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靖国を歩く/第2回 各人に眠る「軍人精神」の魔力(『記録』編集部)

■月刊『記録』01年12月号掲載記事

   *        *        *

 陽が傾くとともに、家路に向かう近隣の高校生や中学生が参道に目立ち始める。セーラー服姿の地味な女子中学生に混じって歩くばっちりメイクの女子高生を、大鳥居そびえ立つ靖国神社で見るのが好きだ。「やっぱー、ダサクナイ?」などという歓声を聞くと、無条件に平和を感じる。 
   しかし神門をくぐり、武器が並ぶ野外展示場まで来ると、そこはもう別世界。もちろん女子高生もいない。
 九六式15センチ榴弾砲に添えられた看板には、「沖縄県糸満町真壁の陣地に據りて善戦し最後に全弾射ち盡し迫り来る戦車群に肉弾攻撃を敢行玉砕す」と書かれていた。 
   なるほど立ち止まって眺めれば、大砲には弾痕が残っている。5ミリ以上はあろう鉄板2枚を貫く直径15センチほどの穴から、黒い地面が覗く。穴の周りの鉄板は、飴細工のように引き伸ばされ引きちぎられている。砲手がいれば1メートルにも満たない距離での着弾である。助かるはずもない。人間を殺した爪跡が、55年もの歳月を超えて目前に迫ってきた。

■精神主義の追求、そして失敗

  「六屯牽引車による迅速な機動力と最大射程一一、九〇〇米に達する正確にして巨大なる火力に国軍砲兵の華にして、その戦績はノモンハン事件、満州国黒河省神武屯国境警備、比島作戦等幾多の戦場に赫々たる武勲を奉す」と、大砲の横に置かれた碑には書いてある。しかしこの大砲で戦った野戦重砲兵第一連隊の運命は、悲惨の一言である。 
   牛島康充著の『ノモンハン全戦史』によれば、確かにこの部隊に対する期待は高かったようだ。「野戦重砲第一連隊と第七連隊という日本では最新式の自動車編成による虎の子部隊を派遣するものであって、砲兵団の見解によれば、三時間でソ蒙軍砲兵は撃滅され、射撃目標はなくなってしまうと自負していた」と書かれている。 
   しかし結果はまるで違った。崖の影に隠れた敵には、ほとんど損害を与えられなかったばかりか、敵に雨あられの砲弾を浴びせられ、その後に玉砕。
  「全弾を射ち盡し火砲を自爆、敵戦車群に決死の肉薄攻撃を敢行、火砲と運命を倶にせり」と、靖国神社の碑には書かれているが、戦車に肉弾戦を挑むなど狂気の沙汰。戦いというより自殺行為そのものだった。 
   日本軍の研究として書として名高い『失敗の本質』によれば、ノモンハン事件の砲兵戦は「ソ連軍に比較して火砲数、とくに弾薬量が少なく、また火砲自体の性能も劣っていた。さらに敵情の捜索、観測を十分に行わずに実施した攻撃が失敗するのは当然」の結果であったという。しかも悪いことに、「戦場では過度に精神主義が誇張された」。 
   戦力不足を精神主義で補おうとして失敗。そのまま精神主義を貫こうとして玉砕。ノモンハン事件のころから、このような悪循環は始まっていたのである。もちろん選局が悪化すればするほど、精神主義は強くなっていった。 
   事件直後に軍部が設置した「ノモンハン事件研究委員会」では、「物的戦力の優勢な敵に対して勝利を収めるには、日本軍伝統の精神威力をますます拡充すべきである」(『失敗の本質』)という討議結果も出されたという。第2次ノモンハン事件だけで1万8000人もの人が死んだ大失敗の結論がこれでは、死んだ兵士も浮かばれまい。 
   6年後、この反省のなさが野戦重砲第一連隊を再び悲劇に陥れる。場所は沖縄だった。靖国神社の碑から紹介しよう。
  「遂に全弾を撃ち尽くすや迫り来る敵戦車の火焔攻撃に全員最後の切り込みを決行す。時に昭和二〇年六月二二日、聯隊長山根忠大佐以下七三九柱の将校逝く。神国日本の永遠の平和と繁栄を祈願しつつ靖国悠久の大儀に殉じ、火砲と運命を具にし玉砕せり」 
   当時、米軍との物量差はどうしようもないまでに広がっていた。1発打てば、1000発返ってくるという状況で戦っていたのである。しかも当時の野戦重砲第一連隊には、旧制中学の学生を「鉄血勤皇隊」として徴集し、医務室や炊事班で働かせていた。勝ち目のない戦に子どもまで動員し、最後に玉砕。 
   だが、この狂気のような悲劇が起こった状況を、僕は理解できる。 
   それが怖い。 
   胸の奥でカチリと歯車が回り、普段は眠っている感情が目を覚ました。玉砕に突き進む兵士に、わずかながらもシンパシーを感じてしまった。学生時代、部活で精神主義的な練習に夢中に取り組んだ経験や、赤穂浪士の映画で描かれる桜吹雪の自決場面での感動に、通じるところがあるのかもしれない。 
   理不尽な要求に従って組織の一員になる安心感や死を美化する意識は、多くの日本人が持っている。そんなバカなと思うかもしれない。しかし周りを見渡してみてもらいたい。旧日本軍の生き残りのような人が、いくらでもいる。
  「気合いが足りないから売れないんだろう」と、飛び込み営業を指揮していた営業マンを僕は知っている。そんな組織に愛想を尽かしつつも会社を辞められなかった人も思い出した。
  「日本軍はある意味において、たえず自己超越を強いた組織であった。それは、主体的というよりは、そうせざるをえないように追い込まれた結果であることが多かった。往々にして、その自己超越は、合理性を超えた精神主義に求められた。そのような精神主義的極限追求は、そもそも初めからできないことがわかっていたものであって、創造的破壊につながるようなものではなかったのである」(『失敗の本質』) 
   合理的な結果を認めなくていいという点では、「自己超越」を強いる組織も便利なものである。「そうせざるをえないように追い込まれれば」、しだいに何も考えないようになり、楽になってくる。
  『ノモンハン全戦史』には、「これらの攻撃(自殺的攻撃)は、命令する者は語るまでもなく、命令された者も、命令されたから仕方なく実行したといようなものではない」と分析している。 
   もちろん玉砕に抵抗感のあった人もいたであろう。実際、『玉砕しなかった兵士の手記』(横田正平著)には、玉砕を覚悟したときの心境が次のようにつづられている。
   「僕が死をやむをえないことだと考えていたのは、家族のためであった。僕のためを思ってくれている、僕にとって大事な人たちのためだった。彼らも僕を縛りつけている国に、社会に縛られている。その人たちが、その国で、その社会で抵抗を少なくしてゆくためには、そこの掟に、風習に順応しなければならない。その掟と風習は、ここまできた僕に死を要求していた。だから僕は死ななければならなかった。――その好きな人たちのために」 
   しかし筆者は、当時としては珍しく「軍人精神」がなかったと人物だったと本人も認めている。ここまで冷静に考えることなく、死を強制されたとさえ思い及ばず、ある種の興奮状態で玉砕していった人たち少なくなかったに違いない。 
   だからこそ煽っちゃいかん、と思うのである。
  「神国日本の永遠の平和と繁栄を祈願しつつ靖国悠久の大儀に殉じ、火砲と運命を具にし玉砕せり」などと、大砲と兵士の死を格好よく謳いあげれば、各人に眠る「軍人精神」がそぞろ動きだしかねない。 
   本当に平和を祈願するなら、ソ連軍など3分の1の兵力で壊滅できると、理由のない自信で関東軍がノモンハン事件に突入していったこと。あるいは野戦重砲兵第一連隊が駐屯した沖縄県糸満町真壁近辺でも、防空壕で泣き出した赤ん坊を兵士が殺したというような事件が起こっていることも、同時に書き記すべきだろう。 
   碑に書いてあるほど、この野戦重砲が大活躍したわけでもなく、格好よく玉砕したわけでもない。

 ■書き写していると怖くなる 

 最初、九六式15センチ榴弾砲の碑を読んだとき、そのアジテーションぶりがおかしかった。しかし座り込んで碑の文章を書き写していると、だんだん怖くなってきた。都合の悪い事実を削っていることもあり、書かれている歴史が心地よく感じたからだ。結末が悲惨なのにである。時代が時代なら、けっこう先頭走って戦ったかもしれない。少なくとも同じ世代の男には、そんな人が多いのではないか。みんな見事に会社人間になっているし……。 
   ギャル系の女子高生なら、こんな碑を読んだところで、「え~、そんな人生つまんないじゃん。ヤバイよ。なんかダサクない?」と頭ごなしに否定くれるかも。そんな思いが、ふっと頭をかすめた。  (■つづく)

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