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ホームレス自らを語る/最愛のおっかあは粉々に・角田浩一(五八歳)

■月刊「記録」97年10月号掲載記事

             *         *           *

■夢の土地はだまし取られた

 タンスの上に置いていたちり紙の束が、すごい音をたてて畳に落ちたんだ。普通ならば音をたてるはずもないのに、バサっという音が家中に鳴り響いた。その音で飛び起きたほどだ。その数分後、駐在のおまわりさんが飛び込んできた。
「おめえのおっかあ、電車に飛び込んだぞ」
 聞いたときはぼう然とした。何だかわけもわからぬまま、駐在さんに引きずられるようにして現場に行った。駅員さんや警察官が総出で、粉々になったおっかあを集めていた。おれも小さくなったおっかあを、一つずつ拾い集めていったよ。バケツに少しずつおっかあが集まっていく。それがつらかった。
 空にはおっかあの肉を狙っているカラスが飛び回り、ガーガーと鳴き続けていた。その声を聞きながら、おれは自分を責めていた。おっかあが自殺したのは、おれのせいだとね。
 一九三九年、埼玉県の久喜に生まれた。ヒロポン中毒の義父はおふくろを抱くためだけに結婚した。家計を支えていたのは、ホステスをしていたおふくろだ。そんな状況だったから、学費は自分で工面するしかない。新聞配りから牛乳配達まで何でもした。でも、どうにか稼いだカネさえ家に置いておけないんだよ。義父に盗まれてしまうから。仕方なく、他人の家にある柿の木の根元に穴を掘り、少しずつためていったんだ。
 そこまで頑張って高校に入学したが、やはりカネが続かなかった。仕方なく中退し、和食・すし・中華料理と日本中の料理屋で修行を始めた。厨房に立てば、給料のほかにチップが入る。一八歳から始めて二一歳のころには、七〇万円も貯金を持っていたよ。当時の初任給が一万円弱のころだったから、かなりの額だ。
 そんなとき、おっかあに出会ったんだ。おれより二つ上の二一歳。宮城県出身のホステスだったが、とにかく辛抱強くて、性格がよかった。すぐ結婚を決めたよ。貯金をはたいて権利金を払い、新居を構える代わりに貸店舗ながら埼玉県浦和市にすし屋を開店した。当時の売り上げが四万円、粗利が二万円ほどあったから、同い年のサラリーマンの倍以上は稼いでいた計算になる。
 そのうえおれは趣味の山登りと酒を飲むくらいにしかカネを使わなかったから、どんどんカネはたまっていった。おれが二六歳、店を始めて五年たったころには、埼玉県上尾市に七二坪の土地を買っていたほどだ。自分の土地で、自分の店を持つ。それはおれの、そしておっかあの夢だった。おれたち夫婦の幸福を約束してくれる土地。おれたちはそう考えていた。
 ところがこの土地に目をつけたのがおれの兄だ。おっかあをだまして、手に入れた権利書を売っちまった。彼女は身よりの少ない家庭で育ったから、何よりも身内を大切に思っていた。頼みを断れなかったんだろう。しかも兄に権利書を渡したと、おれにいえなかった。店の設計図面を持って上尾に行ったとき、土地が他人に渡ったことを初めておれは知った。

■七八〇万円が一週間で消えた

 店を出すには好条件の土地だったから、せめて土地を売っていなければな。落胆したよ。どうしておれに話してくれなかったのか、おっかあにも怒ったが、どうしようもない。もちろん、おっかあも絶望の淵にいた。自分のせいで土地がなくなったんだから。
 彼女が自殺をした日、体の調子が悪かったのに息子を幼稚園に送るといってきかなかったんだ。おれが送るというのも振り切って、「どうしても送りたい」と息子を連れていった。死ぬ気だったんだろうな。
 おっかあが残した保険金は、手元に残したくなかった。七八〇万円が一週間で消えた。使い切れなくて、一〇万円単位でホステスに配ったりもした。四歳の息子の腕を引いてバーに陣取り、浴びるように酒を飲み、カネをばらまいていたから異様な光景だったと思う。
 結局、おっかあとの思い出がつまっている店は閉めることにした。だいたいおっかあがいなければ、息子を置いて出前に行くわけにもいかないから、売り上げも激減していたんだ。
 それでも息子は育てなければならないし、おふくろも養わなくちゃいけない。だからおっかあを思い出さないように、がむしゃらに働いた。中華そば屋やキャバレーを出したこともある。どこもそれなりに繁盛していた。なかでも神奈川県の川崎市に出した中華そば屋は、客が入っていたよ。でも、この店も最後は手伝ってくれていた人にあげちゃった。店をやっていると、どっかでおっかあを思い出すからつらかったのかな。本当のところは自分でもわからねえな。でも、ほしいっていうからやったよ。
 そんな理由で、一時期包丁を置いて運送会社で働いたこともあったんだ。おふくろに息子を預けて、トラックを転がした。これはもうかった。その後、飲食関係の職場に戻ったりもしたけれども、ホームレスになる前の一五年間は、タクシーの運転手をしていた。
 どの仕事でも生活できるだけの給料は稼ぎ出していたし、働くのも好きだった。それにギャンブルや女に狂ってもいないから、カネに困るはずもなかった。ただ友人がつくった借金の保証人になったのが、運の尽きだよ。 一緒に山を登った仲間から「判をついてくれ」と頼まれて、五万円くらいの金額ならば断れない。軽い気持ちで引き受けた。ところがその後、友人はおれへの相談なしに借り入れ金を増やしていったんだ。友人が失踪したときには、七五〇万円もの借金を背負っていた。
 タクシー運転手をしていたころは、月二七万円の給料から二四万円を借金の返済にあてていた。生活が厳しくても、借金の返済をあきらめようと思ったことはなかった。
 ところが五〇歳も半ばをすぎたころになって、おやじ・おふくろ・弟・孫が立て続けに死んでいった。腹違いの弟は、まだ四二歳だったのに、頸動脈が破裂してあっけなく死んじまった。ふと気づけば、自分を頼りにしてくれる人は誰もいない。おっかあをなくしたとき心の支えだった息子とも仲違いしていた。
 心に穴の空いたおれを、さらに突き落としたのは弟の嫁だった。九六年七月、おれが墓を訪れたときのことだった。そこで見たのは二つの墓石。弟の名前が刻まれた墓石が、親族一同の墓石の横に立っていたんだよ。同じ墓の敷地に、二つも墓石があるのは変だろう。早死にした一族が安らかに眠れるようにと、おれが祈りを込めて買った墓に、血を分けた弟の墓石を別に立てたやつがいたのさ。
「お兄さんはいなくてもいいのよ」
 どうして弟だけ別に墓石を立てたのかと問いただしたおれに、義理の妹は吐き捨てるようにいったよ。弟夫婦は同じ墓に入りたくないほどおれが嫌いで、別に墓石を作ったらしい。残った親族すら相手にしてくれない自分が情けなかった。
 人の借金まで背負い込み、どうして働き続けているのか。この事件をきっかけに、疑問はだんだん大きくなっていったんだ。きっかけさえあれば暴走していく予感はあった。

■警官を殴っていた

 墓参りから一〇日ばかりたった夜、仕事途中になじみのウナギ屋で旧友に会ったんだ。結局、そんな小さな偶然がきっかけになった。
 おれは不自然にはしゃぎ、酒を流し込んだ。店先に何時間もタクシーを置いておけば、当然目立つ。チェックしていたんだろう。酔いの回ったおれが運転し始めると、すぐにパトカーがマイクで停止を指示してきた。目の前に赤信号。左に寄せて停止すれば、免停ですんだはずだ。でもおれはアクセルを踏んだ。追っかけるパトカーを振り切るために急停車と急発進を繰り返し、ぎりぎり通れる路地を疾走した。もちろん逃げられるはずもないけどな。
 やっと停車したおれの車の窓に首を突っ込んだ警官は、「酒に酔っているね」とつぶやいたんだ。その途端、おれは警官のあごを殴っていた。苦痛にゆがんだ警官の顔を見て、さらに二発目をたたきこんだ。結果は、罰金五万円と二〇日間の拘留、さらに三年間の免許停止。そして職を失った。
 拘留中の態度も悪かったから当然だろうな。何たって捕まってから三日間、飯を食わなかったんだから。やけになっていたんだよ。普通に考えれば、少しでも警官の心証をよくしておくべきだ。でも、おれは反抗した。どうにもならない自分の人生に、かみつきたかったのかもしれないな。
 警察から解放されると、次は借金取りが待っていた。それこそ二四時間襲ってきた。職もないんじゃ、カネを返せといわれてもどうしようもない。仕方がないから、家を捨てたんだ。

■ただただ涙だけが流れ続けた

 手持ちのお金二七万円を持って、まず鬼怒川温泉に行った。最後のぜいたくだと思ってね。六日間、いろいろな宿に泊まった。
 温泉を選んだ理由には「どこかでもう一度、旅館の板前になれないか」なんて思いも確かにあった。でも、出てくる料理を見て、やっぱり旅館には勤められないと感じた。器が違うんだ。有田焼なんかの大きな器に、料理が盛られている。おれが学んできた盛りつけとは、まったく違うんだ。皿の模様を生かす盛りつけだからな。料理人に戻るというはかない夢もあきらめて、おれは路上生活を選択した。親族への体面など、もはや気にする必要がなかったしな。
 そんなおれに次の不幸が襲ったのが、新宿に来て三日目だった。カネも服も靴も盗られちまったんだ。はだしで歩いている自分がみじめだったよ。そのとき、心から死にたいと思ったんだ。酒びんを抱えて、朝の五時からJR総武線のホームで飛び込む機会をうかがった。電車が近づくたびにホームの端まで迫ってみたが、どうしても死ねない。飲んでも飲んでも不思議と酔わない。ただただ涙だけが流れ続けた。電車に飛び込んだおっかあを思い出していたのかもしれないな。結局、終電まで粘ったが飛び込めなかった。
 おれは生き残った。でも、その日から心が死んでしまったんだ。生きるために必要な「心の張り」が消えたんだ。寝たまま目が覚めないことが、今の一番の願いだ。 (■了)

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