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レバノン9.11・難民キャンプを歩く 最終回/「祖国」とは何か

■月刊『記録』03年5月号掲載記事

 バハーさんが手ずから刺した伝統刺繍に彩られた部屋、暖かい雰囲気の中でのインタビューは、私の一言で一転した。「自爆攻撃…。そう名付けるのですね、あなた達は…」。日本から来るほど、パレスチナ難民の現実に理解があると思っていた人間との意識の溝を痛感したように、彼女は乾いた白い顔を突然上気させた。

「個人的には、相手がイスラエル人だろうが、人を殺すのは反対です。民間人ならなおさらです。私は殺人を憎みます。でも、ここで考えねばならないのは、イスラエルはパレスチナ人の家を破壊し、虐殺を繰り返している。なのに、パレスチナ人は妥協に妥協を強いられている。ナイフを首に突き付けられているというのに、それでも『私たちはテロリズムに反対です』だの『平和を愛しています』だの言えばいいのですか! 私は人間としてそんなことはできない。イスラエルこそテロリズムとあらゆる犯罪の頂点です。爆弾を体に巻いて抵抗する人たちをあなた達は『自爆攻撃』という、でも私達は『シャヒード(殉教者)』になるというのです。そういう質問をする人には言いたい。『じゃあ対案をくれ!』と。一体、どうしろというのですか! 一方的に私たちが殺されているというのに…」

 一気に言葉を吐き出すと、彼女は深く息を吸い込んだ。半世紀を超えても何一つ改善されない現実と世界の無関心への苛立ちが、わずが数秒に凝縮されていた。彼女は呼吸を整えると、おそらくは硬直していた私たちの顔を見て、悲しそうな、そして、少しすまなそうな顔で何かを呟き、インタビューを続けるよう促した。

 36年に及ぶ軍事占領、恒常化する外出禁止、経済破綻と失業、一方で入植地はオスロ合意以降も増加を続け、パレスチナ人の土地は奪われ続けている。殺戮と破壊が日常化するなか、自爆を選択する若者もいる。私たちが人でいることを許さない現実を続けさせているのは誰なのですか?この上どうすればいいのですか? 自分たちが安心する答えを私たちからむしり取りたいのですか? 答えるべきは同じ世界を共有しているはずのあなた方ではないのですか…? 問われているのは私だった。

 センターが現在、取り組んでいるのは、YWCAと共同実施しているボランティア活動である。障害のある人の介護や、キャンプ内の清掃などをする。他団体と共同ですることの意義について彼女は語る。「重要なのは、レバノン人のキリスト教徒と出会い、彼らが民主的な人たちであること、私たちを抑圧するレバノン政府とレバノン人は別であることを学んでもらうのです。決して、サブラ・シャティーラやタッル・ザァタルで私たちを殺した人ばかりではないことを知ってもらうのです。先日は日本から絵画の専門家を招き、講習会をしました。そうした専門家がここにはいないことも理由の一つですが、もっと重要なのは、ムスリムでなくても、私たちパレスチナ人のために身銭を切って航空券を買い、はるばるレバノンまで来てくれる人たちが世界にはいるのだということを子どもたちに知って欲しかった。人は、他者の境遇について共感できる、それを知って欲しかったのです」

「昨年9・11、どこに居て、何を思いましたか」
 気持ちを整理するように少し考え込んだ後、バハーさんは意を決したように話し始めた。
「…率直に言います。最初に聞いた時は嬉しかった。世界の覇権を握っている米国の一部が崩れたのですから。でも序々に理性的になり、無辜の市民が殺されたことを実感しました。その痛みは今も続いています。そして次に感じたのは恐怖であり、不安でした。この代償を支払うのは私たちだと思いました。そして実際、そうなってしまった。ビンラディンを育てたのは米国なのに、ツケを払うのはパレスチナであり、アフガニスタンだった。そして今、イラクが攻撃されようとしている」

 深い思慮、そして、こちらが戸惑うほどの率直さ。バハーさんの話に私たちは引き込まれていた。本当は夜通しでも話したかったが、最後に将来の夢を訊いた。
「将来はこのキャンプに止まらない青年サークルを作りたい。自分のことしか考えない子どもが増えている。これはとても危険なことです。根本にあるのは、経済状況の悪化と希望のない現実です。社会保障も仕事もない。しかも帰還の希望も持てないからです」
 ある時、ベイトのプログラムで、隣国・シリアを訪問することになったパレスチナ人の子どもが、出国カードの国籍欄に「パレスチナ人」と書いたところ、レバノン人の官憲が言い放った。「パレスチナ人だと? 違う、パレスチナ『難民』だろう!」
「『難民』には辞書にない、特殊な意味があるのです。それは烙印であり、若者であればなおさら誇りを傷つけられます」。レバノンにいる限り彼ら彼女らはあくまでも『難民』であり続ける。約38万人といわれるレバノンのパレスチナ人難民のなかには、青年層を中心に、デンマークやスウェーデンへの移住に踏み切る人も増えているという。
「今後については、いろんな望みを持っています。ただ、私の夢は、ベイトで働くことと切り離せません。ここで働くことが私の、パレスチナ人としての夢を育ててくれた。私は闘います。帰還するために人を殺すことは私には出来ない。でも子どもたちのために力を尽くします。これが私のジハードなのです。この夏の初めから昨日まで、1日の休みもなく働き通しでした。何が私を働かせるのかを考えると、とにかく『パレスチナ』のために力を尽くしたいからだと思うのです」

 彼女も00年の国境地帯解放時、センターのスタッフと250人の子どもを連れ、有刺鉄線の向こうにある故郷を見に行ったという。「どう思いましたか」。バハーさんは言葉に詰まり、目を涙でいっぱいにした。「祖国が…」。遠くを見るように、あの時、心に刻み付けた風景を思い出し、その記憶をいとおしむように言葉を続けた。
「初めて祖国を見ました。見えるのに、触れることが出来ない。そこに見えるのに、触れることが出来ない………。とても…、困難な瞬間でした」。私も涙が止まらなかった。今回の旅で何度目のことだっただろうか。

 インタビューを終え、玄関に行った。青い鳥が檻を破って飛び立つ姿が描かれた絵が掛かっている。日本の絵画ボランティアが描いたものという。絵の意味を聞いた。
「パレスチナを意味しています。牢獄から飛び立ち、自由になるのですよ」。
 バハーさんらが外まで送ってくれた。ここで培われ、そしてここに賭ける彼女の夢に触れた後では、殺伐とした外の風景が少し暖かく感じられた。誰も居なかったグラウンドでは、子どもたちがサッカーをしていた。海岸線に沿い、日が傾くのを見ながら北上していく。UNRWAの事務所前ではまだ、人々が座り込んでいる。反対側にはサブラ・シャティーラ虐殺事件の際、キャンプ住民を集合させ、連行する人間としない人間を選別したというスタジアムが見える。連れ去られた者たちの多くは帰ってこなかったという。ベイルート市中心部に入ると、信号機もない雑然とした道路に車がひしめき、クラクションが鳴り響いていた。

 15日に帰国すると、すでに新聞は日朝首脳会談に関する記事で満ち溢れ、そして17日、会談当日が来た。以降、メディアは拉致事件一色になり、それからの1カ月足らずで、日本各地の朝鮮学校生への暴行や脅迫は300件を超えた。拉致被害者の悲劇は、かつて日本が行った、そして「解放」から半世紀を超えても正されない不正に対し、日本の人々が思考を開き、その被害者たちに共感する契機となりえるはずだった。だが、現実は逆に他者の悲劇を周縁化し、不信と憎悪を膨張させ、有事法制など、反動化へのいわば「切り札」になっている。
 今年1月のイスラエル総選挙では、シャロン率いる極右政党リクードが圧勝した。彼らは「テロ防止」を掲げ、自治区内に巨大な壁を築き始めている。あのホロコーストをきっかけに出来た国の人々が、かつて、ナチスがユダヤ人を囲ったゲットーを再現している。そして3月20日、イラク侵略が始まった。米国兵士の死が詳細に語られる一方で、米英軍が、まるで人体実験のように投下する最新兵器で殺されていくイラクの人々の死は、名前どころか、数ですら語られない。
 そして「『人間の盾』には配慮しない」とのブッシュの言明に応じるように、3月16日、ガザでパレスチナの家屋破壊を止めようとした米国人女性が、イスラエル兵の運転する米国製軍用ブルドーザーに轢き殺された。ガザではその1カ月後にも、イスラエル軍の銃撃から子どもを救けようとした英国人男性が後頭部を撃たれて、脳死と宣告され、00年9月以降、イスラエル軍と入植者が殺した2000人を超える犠牲者の一人に加わった。イスラエル軍が攻撃する際の大きな「基準」だった「パレスチナ人とそうでない者」という一線、いわば「殺戮におけるレイシズム」は「乗り越え」られた。

 ホダーさんは結局、大学を断念した。今は専門学校で経営学を学び、大学に復帰できる日が来るのを夢見ている。兄のハーレドさんは結婚したという。私たちが帰国した後、レバノンの広報大臣が延々とパレスチナ人の大義についてスピーチをしたユネスコ宮殿では、サブラ・シャティーラ虐殺事件20周年を記念して、広河隆一さんの写真展が開かれた。だが、レバノン史の暗部を焼き付けた記録は、当局の命令で即日撤去させられた。
「人は他者の境遇に共感しうることを、子どもたちに知ってほしい」。子どもに未来を託し、バハーさんは包み込むような口調で語った。しかし、あの「9・11」は米国の物語として特権化され、横領され、アフガニスタンに続いて、イラクでの新たな殺戮を後押しした。
「私たちだって生きたい! 希望を持って、世界の人と同じように生きたいんです」。ミリアムさんは声を振り絞った。だが、世界の関心がイラク攻撃に集中する陰で、パレスチナでは当たり前のように人が殺され、家屋が破壊され続けている。

 1972年、ベイルートで、車に仕掛けられた爆弾で暗殺されたパレスチナ人作家、ガッサン・カナファーニの作品に「ハイファに戻って」という中篇がある。イスラエル建国で難民となったパレスチナ人夫婦、サイードとソフィアが67年、イスラエルの西岸占領によって、20年ぶりに帰郷する。自宅はユダヤ人夫婦、アフラートとミリアムのものになっており、ベッドに置き去りにせざるを得なかった息子・ハルドゥンは彼らの子、ドウフとして育てられ、イスラエルの軍人となっていた。ハルドゥンに拒絶されたサイードは語る「ねぇ、ソフィア。祖国というのはね、このようなすべてのことが起こってはいけないところなのだよ」。在日朝鮮人の作家、徐京植さんはこの作品を通して語る。「祖国」とは、政治的諸条件のもとで選ばれる未来に向かう姿勢、生き方の謂いなのだと。バハーさんの祖国、ミリアムさんの祖国、ハーレドさんの祖国、ホダーさんの祖国。彼ら彼女らを取り巻く不正が正され、その夢が実現する場所。パレスチナ、それはパレスチナ人の祖国であると同時に、私たちが求めるべき祖国でもある。
 パレスチナ人として生きること、それこそがこの旅で、私たちが出会った彼、彼女ら一人ひとりのジハードに他ならなかった。(■了)

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