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靖国を歩く/第40回 勝利祈願は靖国でOK?

■月刊「記録」06年4月号掲載記事

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 ここのところ、新聞やニュースで報道されるときの靖国神社は「A級戦犯が祀られているのに首相が参拝に行くのはいかがなものか、という中国(や韓国)からの批判があった」という内容がほとんどだ。そういう報道を繰り返し耳にしていて、かつ一度も行ったことがない人には、靖国という場所はどことなくタブーな、簡単に触れてはいけない場所というイメージを持たれているかもしれない。
 はじめて靖国神社をおとずれる人には、ぜひ神社に飾られている絵馬を見てほしい。鈴なりにぶら下げられた絵馬には脈絡なくあらゆる願い事が書き込まれている。これらを見れば、この神社が決して「こわいところ」ではなく、どんな人からも親しみやすいことが分かってもらえるのではないだろうか。
 安全祈願、昇進祈願、恋愛成就にはじまり、個人的な願い、たとえば「給料を上げてほしい」「今年こそVIPクオリティ!!」「氷室京介LOVE」、中には「明鏡止水」など祈願なのか何なのかよくわからないものもある。「先祖代々のお墓を直す為に何卒三億円の宝くじが当たりますように」という異常に率直な願い事もある。いったいどんな墓だ。
 いつもなら願い事の傾向など存在しなかったと記憶するが、注意して見ると、時期的な理由からか、受験合格を祈願したものが多いことに気付く。大学では立教、法政、明治、早稲田など、高校ではやはり靖国から近いからか九段高校合格を願うものが多かった。
 なるほど、たしかに靖国は戦死者を慰霊し顕彰する神社であると同時に、祀られている戦死者たちは国のために戦ったのだから、受験生たちは受験を戦争に見立てて靖国を「戦いの神が祀られている神社」として参拝に来るのかもしれない。
 ここでふと疑問に思ったのは、靖国は勝利祈願をする神社としてふさわしいか、ということだ。というのは、日本は日清・日露戦争では勝利しているが、太平洋戦争で惨敗しているということに思い当たったのだ。要するに、英霊とひとくくりにされてはいるが、中には勝ち戦の英霊と負け戦の英霊がいるわけである。そんな英霊たちがごちゃ混ぜに祀られているという事情を抱える靖国は、勝利祈願をする神社として果たしてふさわしいのだろうか。

■靖国は勝利祈願する場としてふさわしいか

 まず、靖国神社にたずねた。
「当神社は、国のために尊い生命を捧げられた方々を慰霊顕彰申し上げる神社です。ただ、参拝者がどのような目的で参拝されても、御祭神は大いなる威を発して御導き下さるものと信じます」。
 勝利祈願にふさわしいと直接いっているわけではないが、「どのような目的」でも「御導き下さるものと信じます」というのだから、靖国自身では勝利祈願にふさわしいと考えているのということだろう。「大いなる威」というのが何なのかよく分からないが、それで受験に合格できるのなら御祭神にどんどん発してもらっていい。 ただ、そうであっても、実際に祈願におとずれた受験生は勝利しているのか。気になったので、参拝に来る受験生と思われる学生に聞くことにした。
 男子高校生2人組。私大の受験を2つ控えている。
「合格祈願に来ました。…靖国神社が勝利祈願にふさわしいかどうか…については、考えたこともないです、すいません。ここに来た理由は、そんなに遠くなくて、有名だからです」
 なぜか謝られてしまった。しかし、これから受験する人に勝ったか負けたかを聞いてもしょうがない。聞きたいのは、あくまで祈願した結果がどうだったかなのだ。 女子高生2人組。
「受験生ではないです。弓道部のレギュラーに選ばれたくて祈願にきました。祈願にふさわしいかはよく分からないですけど、姉が2年前に彼氏と一緒に明治大学の合格祈願に来て、2人仲良く落ちてしまいました」。
 なぜ彼女の姉は合格祈願に靖国を選んだのだろうか。「やっぱり近いからじゃないですかね」。
 靖国に勝利祈願に来た理由は、ただ「近いから」「有名だから」という理由からが多かった。たしかに絵馬に「よりスタイリッシュに生きたい」というような願いが書かれているこのご時世、祈願に靖国を選ぶ理由に深いものなどないのかもしれない。サンプル数が少ないということもあるが、この時点では靖国神社は「まったく」勝利祈願にふさわしいとはいえない。

■トリノ勝利祈願はゼロ

 ただ、受験における勝利祈願といっても、それは個人的な問題だ。やはり、国をあげての祈願ということになれば事情はちがうのではないだろうか。「日本代表」の看板を背負う選手団を送り出したトリノオリンピックには国費も当然投入されている。ならば誰にとってもトリノはまったく他人事ではないはずだ。当然、各競技で日本の必勝を願った絵馬があってもいいところだろう。
 しかし! なんとなんと、絵馬はひとつも見つからなかった。自衛隊員が書いた「死んでもこの国を守ります」とやたら気合いの入ったものは見つけたが、「安藤美姫が金メダルをとりますように」と書かれたような絵馬はゼロだった。
 なぜだ。なぜ「トリノ必勝」絵馬がないのだろう? 「勝った英霊」と「負けた英霊」が混在しているため、純粋に「勝利祈願のための神社」とはいえない点はあるが、「お国のため」に戦った英霊たちが祀られている靖国に、国をあげて世界に挑むという大イベントであるオリンピックでの成功を願う絵馬がまったくないという事態は問題だといっていいのではないだろうか。
 絵馬を見ていた主婦風の女性にたずねてみた。いきなり、少し(大いに?)珍しい質問をぶつけられて戸惑った様子の女性だが、少し考えてから話してくれた。
「うーん…、やっぱり、今のオリンピックはCMなどで盛り上がってはいるんですけど、昔はもっと、選手たちには日の丸を背負って戦うんだという気概のようなものがあったと思うんです。今の選手は、自分のために戦う、と平然として言うようになりましたよね」。
 たしかに女性のいうことはよくわかる。しばしばいわれる「公共という概念の喪失」ではないけれど、国民としての一体感を感じることは生活していてほとんどない。私も、愛国心のようなものはほぼ持っていないし、愛校心もなかったから高校の校歌なんてまったく覚えていない。親の世代からはこの感覚が理解できないらしい。 考えられるのは、現在では受験などの個人的な戦いであればどんどん祈願するが、日本がひとつにまとまって戦うというような場合については、国民は総じて一体感のようなものを持たなくなったということだろう。念のためトリノの必勝祈願があったかどうかを靖国神社にたずねてみるが、「何を祈願されるかは個人の自由です」とかわされてしまう。しかし、多分絵馬がゼロなんだから、わざわざ祈願に来る人もいなかったのだろう。
 靖国とオリンピックは無縁であるから祈願には来ないということでもない。1932年のロサンゼルス大会、「バロン(男爵)西」こと西竹一騎兵中尉(当時)は馬術大障害で金メダルを獲得した後、硫黄島の戦いで戦死したので英霊として靖国に堂々と祀られている。果たしてどれくらいの人がこのことを知っているかという問題はあるが。
 あるいは、テレビでは大いに盛り上がっているように伝えられたトリノだったが、結局それはエンターテイメントとしての行事という位置づけだったのだろうか。エンターテイメントに国民の一体感を求めてもしょうがない。かといって、他に国民が一体になることができる行事はあるのだろうか。トリノの勝利祈願は靖国ではなく他の神社でする、という知られざる傾向があった可能性も否めない。英霊の多くは第二次世界大戦の戦死者であり、誰もが知るようにそれはボロ負けの戦争だった。アタマの片隅にそれがあり、なんとなく、足は明治神宮に向かっていた…という場合が少なからずあったりして。 ひょっとすると、英霊たちはトリノ必勝祈願にひとりでも来ることがあれば、「大いなる威」を発してなんとか選手を勝たせようとじっと待っていたのではないか。しかし、結果的にひとりも祈願に来ることはなかった。これに激怒した英霊の怒りが、トリノの日本選手たちに悪い流れを呼び込み、結果的に荒川静香の金一点を除けば他は惨敗という結果につながった。いささか超常現象的な考えだ。けれど、次回の北京オリンピックで挽回のメダルラッシュを狙うのであれば、万全を期してJOC(日本オリンピック委員会)から英霊に歩み寄ってみてはどうだろうか。…などと考えつつ、靖国の社務所に問い合わせてみると、「正月の縁起物として取り扱っているため、ただいま絵馬は品切れです」とのこと。
 …すいません、いろんな意味で。 (■つづく)

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