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靖国を歩く/第36回 トホホ……英霊めぐり in Singapore(奥津裕美)

■月刊「記録」05年11月号掲載記事

       *        *        *

 シンガポールのガイドブックを読んでいると、戦争に関する建物などが多いことに気づいた。直接靖国とは関連はしないが、やはり靖国ライターとしては行かねばなるまい! ということでそのレポートをお届けする。
 まず一番目。
 MRT(地下鉄)シティホール駅周辺をぷらぷらと歩いていると、突然現れる白い大きな4本の柱。
 その柱は高さ約70メートルで戦争記念公園(公園というより広場)内にある。ちなみにこの4本の柱はそれぞれ中国人、インド人、マレー人、ユーラシア人を意味しているそうだ。
 1967年に、シンガポール・日本の両政府の協力で建てられたこの塔の名称は「日本占領時期死難人民記念碑」といい、シンガポール占領中に虐殺された人の霊を鎮め、さらにこのような悲劇を繰り返さないように、という戒めの意味で作られたらしい。
 ガイドブックには、「戦争の悲惨さについて考えさせられる」と書いてあったので、どんなところなんだろうと少しわくわくしながら行ったのがいけなかったのか、圧倒的な存在感というより突然現れた白いトーテムポールという感じだった。
 街並みにとけ込みすぎていることに加え、シティーホールには国会議事堂や歴史博物館、マーライオンなどの見所がたくさんあるので影が薄くなってしまっているのはたしかである。それはそれでいいのだが、ガイドブックに書いてある肝心の「戦争の悲惨さ」は伝わってこなかった。
 このガイドブックを書いた人は、これを見て戦争について何かを考えさせられたのだろうか。
 では次。
 島すべてが一大アミューズメントパークになっているセントーサ島にあるイメージ・オブ・シンガポールという蝋人形館だ。
 セントーサはもう一つシロソ砦というところもある。日本軍に抵抗するためにイギリス軍が立てこもった場所らしい。中には入っていないが、セントーサをまわっているモノレールに乗ると一部であるが見ることができる。
 さてその蝋人形館だが、人形一つひとつがしっかりと作られていて、どれもがとっても本物っぽい。そのリアルな作りと少し暗い照明のおかげで不気味さまでもが際立っている。
 怖がりの私には迷惑なところだが、シンガポールの歴史、伝統、風俗を人形を使って説明しているので、わかりやすく知ることができるおすすめスポットである。
 靖国的目玉はシンガポールの歴史ではなく、1942年に日本軍がイギリス軍に降伏を迫るシーンと、1945年にイギリス軍から降伏を迫られる日本軍シーンの蝋人形の展示なのだが……これを見るために行ったにもかかわらず、その展示室は閉まっていた。
「なぜだ! なぜ閉まっている」と叫びたくなったもののこればかりは仕方ないので諦めることにした。
 それをカットして先に進むと、侵攻後のシンガポールの写真や占領下の資料が展示が。
 それ以前の展示では、中国語と英語のみの説明だったのが、日本語の説明が加えられている。これは「きちんと見なさいよ」という日本人に対するメッセージなのだろうか。
 丁寧に日本語の説明を付けてくれるのはいいのだが、日本語がめちゃくちゃで意味がわからない。日本語を話せるようになってきた外国人の話し言葉をそのまま書いている感じだった。
 笑っちゃいけないけど、真面目な文章の中に散りばめられるおもしろ日本語(たとえば、この蝋人形館の名前「イメージ・オブ・シンガポール」が「イメーヅ・オブ・シソガボール」となっていたりするところ)は、下手なお笑いよりもセンスがある。
 自分の語学力を考えると笑ってもいられないのだが、重要任務である旧日本軍の展示が見れなかったため、日を改めてくることにして、3つ目は日本人墓地。
 ここは第二次世界大戦以前にシンガポールで亡くなった人が埋葬されているらしいが、当時の南方総司令官も埋葬されているらしいので、とりあえず行ってみることにした。
 墓地は家から遠かったので、とりあえずタクシーに乗り「日本人墓地へ行きたい」と告げたところ、連れて行かれたのは日本人会。
「違う違う、日本人墓地、墓地に行きたいの~」と地図を見せ(持って行った地図は日本語表記だった)た。日本人墓地だから「Japanese cemetary」、セラングーンというところにあるので、とりあえず英語できちんと伝えたのだが、通じなかった?それとも運転手のおじさんが知らなかった?のか途中でタクシーを止め、携帯で「日本人墓地ってどこだ?」とどこかに電話。
 とりあえず場所がわかったのか、ローカルマップを手にして走ること約20分。ついた先は住宅地。
それも簡素な住宅地。その中にひっそりと佇む墓石。
「本当にここは日本人墓地なのか?」という疑問が。とりあえずその疑問をはらさなければ仕事は進まない。おじさんに待っててもらい墓地へと進む。
 日本人墓地というから、よくある日本の墓石みたいな感じなのかと思っていたのだが、実際はアメリカ映画で見るような墓石が並び、草がボーボーと生え、手入れもされていないところだった。
 日本人会があるんだから手入れくらいしたらどうなんだ? とはつっこまずに、写真をパシャパシャと撮る。
 そういえばガイドブックに「訪れる人はほとんどなく、住宅地の片隅でひっそりと静まりかえっている」と書いてあったような気が……。
 さらに「1895年にできた墓地で東南アジア最大の日本人墓地」とあるが、本当にそうなのか?と思わせる佇まい。手入れがされていないだけではなく、お参りしようにも入り口には棒が横たわっていて入るのを躊躇してしまう。
 なんというか、そこだけ時間が止まったままひっそりと存在している。そんな雰囲気だった。
 切ない気分になりながらタクシーに戻ったら足にチクッとした痛みがはしった。なんだと思って見たら蟻にかまれていた。
 せっかくセンチメンタルな気分に浸っていたのに、蟻のおかげで一気に冷めてしまった。
 タクシーのおじさんに飴をもらい気を取り直して、最後に向かうはクランジ戦没者祈念碑。ここは第二次世界大戦時にシンガポール防衛で死んでいったイギリス兵を祀った慰霊碑があるらしい。
 日本人墓地前でおじさんと「クランジ競馬場の近くにある」と地図を見ながら確認したので、問題はないだろうと思っていたが、また道を間違えてしまった。
 「このあたりなんだけど」とおじさんは言うものの、目の前に見えるのは、シンガポールの美しい街並みとは遠くかけ離れたスラムのような怪しい風景。
 とりあえず先へ進んでも何もないのでUターンしたら「モニュメント」という看板が!
 いやー、とりあえず着いてよかった。「曲がる?」と聞かれたのに「任せるよ!」と愚かなことを言ってしまったけど、着いてよかった。
 ここもひっそりと佇んでいたけれど、シティーホールの戦没者記念碑と違うのは、モニュメントの周りに墓石がたくさん並んでいたところ。墓地に祈念碑が建っていると思っていただければよいのだろうか。
 観光地というわけでもないし、行きにくいところにあるにもかかわらず、人がちらほら。たぶん地元民。
 周りは緑に囲まれ、墓碑も規則正しく並んでいる。きれいな青空、なだらかな芝生、爽やかな風、白い祈念碑と墓碑。なんという開放感。墓地なのに爽やかすぎる。 いいなぁ。お寺の横にひっそりと佇む墓地より、こういう開放感と爽やかさに満ちた墓地ならば埋葬されたいものだ。とはいえ、生きているからこういうところがいいと思うのであって、死んだあとは爽やかな風なんて感じられないからどこに埋葬されてもかわらない。
 墓地なのに墓地という気がしないここは、涼しい日に行くと気持ちいいのでおすすめ。      少し慌ただしい英霊巡りツアーだったが、なかなか楽しかった。楽しかったというのも変だが、いつもは日本で靖国へ行くくらいしか英霊とのつながりがなかったのに、日本以外の国にいる英霊を訪ねまわるというのは珍しいことだったからだ。
 シンガポール以外にも英霊が眠るところ、英霊にまつわるところははたくさんある。機会があれば他の国へ行って、日本以外で刻まれている戦争の爪あとを見て回りたいと、そんな気持ちを抱かせる旅だった。
 そういえば、イメージ・オブ・シンガポールの例の展示だが、別の日に改めて行ったところ、なんとその施設自体がクローズしていた。たぶん、改装でもしているのだろう。
 結局、シンガポール滞在最終日まで歴史的な蝋人形と出会うことができなかった。とほほ。またシンガポールへ行くかはわからないが、行く機会があれば今度こそはみたいものだ。 (■つづく)

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