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靖国を歩く/第31回 ザ・みたままつり(奥津裕美)

■月刊「記録」04年9月号掲載記事

      *          *           *

 今年も行って参りましたみたままつり。
 昨年も一人だったけれど、今年も一人祭り会場へ。しかし、今年は少し違う。いろいろと取材をしてきたおかげで、かえって開き直り精神がでてしまい、気にならなくなってしまったのだ。
  「なんで一人で祭りなんかに行かなきゃならないんだー!」という心の叫びなんてどこへやら、「今日見逃したら明日はやらないかもしれません」という甘い誘い文句にのせられて見せ物小屋へふらふら入ってしまった。
 最大の目玉が体に針金を通す演目なのだが、前もって針金を通す部位に穴を開け、そこにチューブを設置しておき、そこに観客が針金を通すというものである。
 以前に、ドカン型ピアスを開け、向こう側が見える状態の耳だった私にはちょっとつまらなかった。針金を通すことくらいできる。
 参道にはあいかわらず出店も多いし、カップルも多い。祭ってこんなものなのか。お腹はすくが、お金はない。
 隣に彼氏でもいれば、「あれ食べたいー」と言えば、お腹くらいは満たせるんだけどな……と思いながら歩いていると、まさに私がやりたがっていることを代行してくれているありがたいカップルがわんさかいた。舌打ちをしつつ、それを横目に目的地へ急ぐ。
 さて、今回見にいったのは大提灯とかけぼんぼりである。参道の途中から黄色の大きな提灯がぶら下がっており、それが神門手前までかかっているのである。
 それには奉納した人の名前や企業名が書かれていている。その総数は約2万5千個以上。とにかくものすごい量なのだ。
 手前から遺族、神門に向かって靖国にまつわる組織や企業、国会議員と続く。
 遺族や縁故者は個人であるから省くとして、組織やら国会議員の提灯を見ることにした。
 国会議員枠の一番上は、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という提灯、その下にそのメンバー名の書かれた提灯がぶらさがっている。
 それにしても、この会の名前は抜群のセンスだ。「みんな」というところに、日本人特有の感覚を匂わせているし、日本を動かしている偉い人たちが「みんな」と使っているところがとてもキュートである。
 奉納している議員をちょっと挙げると、小沢一郎、青木幹雄、中川昭一とよく聞く名前のなかにひっそりと、鈴木宗男の名前もあった。
 さらにみていくと驚くべき(そこまで驚きじゃないけど)名前があった。毎年、参拝に行っては物議をかもし、意味不明な言動を繰り返す首相、小泉純一郎と書かれた提灯があるのだ。
 公式参拝に反対する人は、参拝だけを批判するのではなく、この提灯を奉納していることにも目を向けるべきなのではないか。奉納しているということは、参拝しているのと同じようなものだし。
 この提灯の中で、注目されていたのは、小泉純一郎提灯と、鈴木宗男提灯の二つだけだった。政界のドンと呼ばれる人たちの提灯があったとしても、若者たちは一切関心を示していなかった。
 企業系の枠をみると、「おやじ」という提灯があった。……おやじ。なぜか、山本譲二が北島三郎のことを呼んでいる姿を思い出してしまった。
 提灯に書かれている名前を復唱しながら歩いていたのだが、「……グアム、シベリア、トラック諸島……」となんか聞いたことある名前だな、と不思議に思ってその提灯一帯を見回すと、硫黄島、ガダルカナル、フィリピンと日本がかつて占領した国や島ばかり並んでいることに気づいた。 

 さりげなく飾られていたから気づかなかったが、その多くが激戦地だったことを考え合わせると「これもいいのかなぁ?」という感じである。大提灯の奉納って何でもありなのだろうか。靖国といえば、世界の紛争や戦争で亡くなった人たちを慰めるために作った鎮霊社があるが、リベラルっぽく見えて、何かをごまかしているようにも見える。
 なにが良くて、なにが良くないことなのか、世間一般で言われている戦争についての事柄を靖国に当てはめようとするのは、実は非常にナンセンスなことなのではないかと思う。靖国には、擁護派・反対派・中立派を超越した独自の思想があるのではないか。
 そんなことを思いながら眺めていたのだが、ふと、島の名前が書かれた提灯が、バカンスにもってこいのリゾート地の宣伝を見せられているような感じがして、なんだか滑稽に思えてしょうがなかった。そう、かつての激戦地は今やリゾート地なのである。
 場所を移して、神社内には著名人が書いたかけ提灯が飾ってある。昨年のみたまでも少し触れたが今年もなかなか楽しいものがあった。
 特に私の心に響いた二つを紹介すると、横綱朝青龍のかけ提灯。提灯は半紙のような紙にメッセージや絵を描いてサインをするというのがほとんどなのだが、朝青龍は違う。
 ど真ん中に名前が書いてあり、その右横に「国,」と書いてある。その下の点はなんなのだろうかとその字をよく見ると、くにがまえの中が玉ではなく王になっている。ここで謎が解けた。きっとその点は、玉のてんで、外に出すことによって遊び心を出したに違いない。お茶目さ爆発でいいのではないか。

 さて、もう一つ。プロレスラー橋本真也のかけ提灯だ。筆で力強く「破壊 創造 誕生」。サインは、「破壊王橋本真也」である。創造、誕生はいいけど、破壊はどうかと。
 でもまだ破壊だけなら、そのあとにつづく文とマッチするが、破壊王は……。靖国には撃墜王は眠っているが、破壊王は眠っていないし、ちょっとまずいのではないか?!
 大提灯やかけ提灯をみて、改めて靖国の懐の広さを思い知った。やっぱりこの神社は、いい意味、悪い意味を
含めて他とは違う神社なのだ。私が惹かれるのはきっとそういうところにあるのかもしれない。

■独特な神社靖国

 それにしても祭りは平和な行事だ。浴衣を着て、焼きそばを食べ、盆踊りを踊る。そういった楽しいことを楽しいこととして享受できるのは、平和という土台が成り立っているからである。
 「平和、平和」と念仏のように唱えている割には、平和にあぐらをかいているように感じるし、本当に平和が欲しいのか?  というような行動が目立つ。
 この矛盾加減がよくわからない。この連載でよく、「意味がわからない」「よくわからない」と書いているが、そのわからなさは靖国という深みにはまればはまるほど増していくのだ。
 毎月、靖国の原稿を書き、靖国に参拝し、靖国に関する本を読み、靖国とはこういう神社だという固定されたイメージではなく、なんとなくこういうイメージというのはある。
 世の中には、靖国を好む人、嫌う人がいるし、靖国にまつわる出来事に明るい話題はほとんどない。外交問題が絡むこともしばしば。社格が高いとか、祀られているのは神ではなく人間だということは置いておくとしても、やはり特殊な神社であることには違いない。
 ただそれは政治、外交、歴史などマクロの視点で靖国をみるから、話も大きくなるし、面倒なこともたくさん起こってしまうのであって、個人レベルで靖国を考えると、ただの神社であり、それ以上でもそれ以下でもなくなる。参拝する、祭りに訪れる人がどのようにとらえるかで変わってくる。
 日本に忠義を尽くし散っていった英霊たちに感謝をしろ、というのも悪いとは思わないが、「みたまとか、お盆てよくわかんないけど、祭りって楽しくない?!」というスタンスでも十分よいと思う。
 祭りはすごく楽しいものだが、それと同時にいろいろなことを考えさせてくれたり、気づかせてくれたりする大切な行事なのだろう。
 魂が帰ってくるというのは、こういうことなのだろうか。 (■つづく)

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