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靖国を歩く/第30回 零戦と特別攻撃(奥津裕美)

■月刊「記録」04年8月号掲載記事

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 遊就館の入り口付近に戦車や軍機の模型が展示してある。私は地面を行く戦車よりも、空を自在に飛び回る戦闘機の方が好きだ。
 軍用機で一番有名なものといえば、零戦だろう。名前に零が入っているところが無敵そうな印象だ。0にどんな数字をかけても0になるという最強の数字が名前に入っているのだ。
 しかし、すべてを失敗してしまうと0になってしまうから最悪な数字ともいえる。そんなどちらの意味もある零がついた零戦とはどういうものだったのだろうか。
  『武器・兵器でわかる太平洋戦争』(日本文芸社)によると、正式名称は、「零式艦上戦闘機」。皇紀2600(1940)年に正式に採用され、零式の零は2600の後ろをとってつけられた。
 艦上と書いてあるのだから、海の上から飛び立ったのかと思ったら、中国の陸上から飛び立ったのが初めての仕事だったそうだ。
 中国が日本に占領された南京から重慶へ政府を移転させたことによって、そこへの爆撃を爆撃機によって繰り返していたそうだが、護衛に当たるべき戦闘機は当時漢口にあった日本の陸上基地から重慶まで(片道900キロ)を往復するほどの力を持ったものがなかったのだ。
 爆撃機は空を飛ぶ乗り物だけれど、飛び続ける力がなければ、特攻兵器と同じようなものだ。ましてや戦闘機の護衛なしだったそうだから、とりあえず爆撃しにいって、帰れなかったらその時はごめん、そんな感じだ。
 だからこそ長時間飛んでいられる飛行機が望まれたのだろうが、だったら最初からそこにポイントをおいて作ればいいのに、と思ってしまう。
 1940年にデビューした零戦だが、陸上から飛んだことに続いてまた一風変わった話が続く。
 味方機の被害が大きいからという理由で、とにかく早く航続力の長い戦闘機を待ち望まれた海軍は、試作機の段階で前線に送り込んだのである。すごいよな。
 そうとう焦って出したとしか思えないが、日本の戦闘機技術がすごいというイメージがあるのは、長時間の飛行にもびくともせず、空中戦で敵機27機をすべて撃墜させ、さらに味方機の損傷がなかったというところにあるのだろう。
 そんな零戦もデビューから4年あまり経つと、栄光も過去のものとなって、特攻機へと墜ちていった。
 せっかく素晴らしい戦闘機として華々しいデビューを飾ったにもかかわらず、戦局が悪くなるにつれてだんだんと突っ込むだけのの悪あがきの道具としか扱われなくなってしまった。切なさを感じるが「仕方ない」だけで片づけてよいのだろうか。

■防御を省いた設計思想

 零戦が「よりよいもの」を目指して作られたのは間違いない。ちなみに製作したのはあの三菱である。
 製作の思想は次の通りだ。
 まず「より速く、強く、遠く」を追求する。これはどんな軍用機も共通しているが「速く、遠く」の実現のために重くなる装備は省かれ、それだけではまだ甘いということで、「肉落とし」と呼ばれる作業を延々と繰り返し、さらに安全率の基準も見直し、主翼部分に超々ジュラルミンという名の新素材を導入などかなりこだわって作られた。
 戦闘機というより、「こだわりの逸品」という印象だ。ただし豪華な盛りつけではなく無駄のなさが第一である。材料に使う素材はすべて一流だが重量のかかるものは除かれ、調理も一流の料理人が丹精込めて作ったには違いないが、あくまでも無駄を省いた「こだわり」である。
 そこまで執拗にこだわった結果として、試作機段階で前線に送り込まれてもびくともせず、見事な初仕事をやってのけることができたのだから、これは技術者の努力のたまものということだろう。
 この技術者の姿勢からとれるのは、当時の日本の技術力や技術者の腕というのは世界でトップクラスなのではないかということだ。
 だがここで重要な問題が浮上する。「強く」が実現できない点だ。料理で例えればダイエットには最適だが満腹にならない。とくに防御が「無駄」の概念に入っているのが重要だ。いくら「速く、遠く」ても弾がかすっただけで墜落するようでは戦闘機の役には立たない。
 この問題は「防御はパイロットの腕でカバー」で解決しようとしたのがもう一つの設計思想だ。日本の熟練パイロットの技術は極めて高く、体が欧米人よりも小さいことも幸いした。アバウトな発想ではあるが、デビュー戦で味方機がやられてないということだから、当初は通用したのだろう。
 相手国の油断も幸いした。真似っこしかできなかった日本が零戦のような戦闘機を作るなんてことは、アメリカもイギリスも考えていなかったらしく、「日本の飛行機技術がすごい進歩している」という話は、うそっぱちか誇張として受け取られていたそうだ。ずっと模倣を続けていればそう思われても仕方あるまい。
 だから真珠湾攻撃で日本の航空力を見せつけられたときはそうとう焦っただろう。「Oh! My god!」なんて言っても遅い。

■成功から何も学べなかった日本

 機体は「速く、遠く」を追求し、「強く」はパイロットの腕次第というテクノロジーと人力を組み合わせた奇妙な戦闘機である零戦の弱点は結局はこの奇妙さに内包されていた。熟練のパイロットだからこそ、防御機能が整っていない零戦を乗りこなせて、さらに敵機を全滅できたのであって、未熟なパイロットでは零戦を乗りこなすこと自体不可能だからだ。
 航空機による攻撃は軍艦同士がぶつかり合う「艦隊決戦」を上回るという教訓は日本自身が真珠湾以来の作戦で証明してきた。勝ったのは航空機であって戦艦ではないのだ。このことを気付かされた米英は以後優秀な軍用機製作に力を入れていくことになる。
 ところが戦艦が強いというのは昔の話だと教えた側の日本は相変わらず日露戦争での日本海海戦で戦艦で勝っちゃった成功体験を引きずり、艦隊決戦を主軸から外すことはなかったから不可解である。人は失敗から学ぶことはできるが、成功からは学ぶことができないのだろうか。なぜ緒戦の勝利で軍用機のさらなる開発と人材育成を手がけず戦艦大和を作って喜んでいたのか。航空兵力の成功から学ぶ代わりに「あくまでも緒戦は緒戦。いよいよ本番がくれば日本海海戦並みの艦隊決戦だ」と思いこみがさらに増したと分析したほうがよさそうだ。
 そうでもなければ転換点となった42年のミッドウェー海戦で海の空港である航空母艦を丸裸同然で先導させたりしなかったはずだ。同海戦では日本が誇る本格空母6隻のうち4隻を失った。空母が消えればパイロットも帰る先がない。かくして一挙に熟練パイロットを失った日本は「強く」の要件を欠くこととなった。

■名機と人命を無駄にした特攻

 機械は流れ作業で作れても人が技術を習熟するのは時間がかかる。かくして大戦後半の零戦は未熟なパイロットが乗り込むしかなくなった。
 私は合理的なことが好きなので、合理的とは思えない特別攻撃のことを見るたび疑問符がついて回る。戦闘機は戦闘するための飛行機だし、兵隊もまた戦うための力であって、どちらも突っ込んで一緒に死ぬためにあるのではない。しかも命を捨てても戦果はあがらない。日本軍の状況と思想を考えれば、自爆テロ・特別攻撃をやりたくもなるだろうが、しょせんは不合理かつ意味のわからない行動であり、それをやるくらいならさっさと白旗をあげればよい。結果的に負けてしまうのは明白だというのがわかっているのであれば、なぜそんな悪あがきとしか思えないことをしたのだろうか……。
 作り手だって、そのようなことを望んで作ったわけではないだろうし、零戦だってそうだろう。機械だから「いやだー」とはいえないが、もし感情があったらそう思っているかもしれない。
 零戦は名機である。だがいくらいい機械でも、パイロットの腕が追いついていかなかったら、せっかく全勢力を傾けてつくった作品もただの宝の持ち腐れになってしまう。
 ただ前述の零戦の製作思想をたどってみると次のような仮説が成り立たないだろうか。
 まず「強さ」はパイロット次第という点は変わらないし変えようもない。かつては熟練で補ったが未熟な者では技術で強さを証明することは無理だ。
 じゃあどうするか。戦争の終盤には材料も底をつき始め鍋まで出させるような状況になってしまったので新しい飛行機など作れない。そこで熟練でなくても人の目で最後まで敵に接近して自爆すれば、つまり未熟者でも自爆によって人も一緒になって突っ込めば熟練に近い仕事ができるかもしれない。そう思ったのではないか。「お国のためなら命を捧げることもいとわない」という思想ががまかり通っていた時代だから、特別攻撃をやるということが起こってもなんら不思議なことではない。
 また「精神には物理的な力がある」という日本特有の発想が後押ししたともいえる。自ら神風(神の風だよ)と名乗ったのは象徴的だ。きっとすごい説得力があったのだろう。だから神風とつけたり、志願者が出てきたりということが起こったのかもしれない。
 しかし、これは思考停止だ。にらみつけてもタバコ1箱さえ動かせないし、ましてや台風(神風)など人力で起こせるはずもない。何でそんなことがわからなかったのか。
 その思いこみによって、特別攻撃に限らず沖縄戦での犠牲者、長崎・広島の原爆犠牲者が多数でることにつながったといっても過言ではないだろう。靖国の英霊も少なくすんだよ。二百四十六万余柱って想像つかないよ。
 勝ち戦を信じて戦いを始めた日本軍だから、負けが込むにつれて焦ってきたこともあろう。だが材料がつきてきたのは精神力が足りないのではなくて単に無駄なものを作りまくって、どこに重点を置くかを考えていなかったからだろうし、腕のいいパイロットが少なくなったのは、パイロットをないがしろにしたからだ。
 結局戦争とは私でも普通に思いつく単純な合理性さえ失わせる営みだというしかないし、何も生み出さない戦争をすることもわからない。世の中わからないことだらけ。唯一わかることは、犠牲者がたくさん出るということと、疑問符がたくさん出てくるということだ。
 兵士と兵器を無駄遣いする特別攻撃というのは、はたから見ればイラク戦争と同じようにどこに大義があるのかも、非常に理解しにくい攻撃方法なのだ。 ((■つづく)

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