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靖国を歩く/第27回 奉納相撲とおすもうさん(奥津裕美)

■月刊「記録」04年5月号掲載記事

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 年に1回、靖国境内が力士であふれかえる。春季例大祭の一行事として、毎年行われる奉納相撲大会の日だ。 奉納相撲は、靖国以外に伊勢神宮、明治神宮の3社しかない。靖国で初めて行われたのは、その前身である東京招魂社が創立された1869(明治2)年。当時は3日間奉納されたようである。今は1日興行。100年以上続いていることになる。
 もっとも創立から数年後の明治10年代にはいると、野蛮な競技として排斥された。ちょうど欧化主義を広めようという風潮のまっただ中で「鹿鳴館時代」と呼ばれた時代だ。制度や思想などをヨーロッパ風にしようと必死なのに、まげを結った裸の巨漢力士達がぶつかり合うスポーツなどあってはならぬということか。
 相撲場の場所は神門を入り遊就館方向へ行ったさらに奥にある。本当に端にあるのだ。近くにお茶室があり、コイが泳いでいる池もある。ちなみに餌付けもOK!

■まわしと下がりに目が集中

 相撲場はちょっと狭いグラウンドのようなところにあり、奉納相撲の入場を6000人としているだけあって、かなり広め。国技館の土俵ほどではないがしっかり作られている。この相撲場は1917(大正6)年に、両国国技館が消失したときはその翌年から2年間、計4場所の大相撲興業も開催された。
 初めて生で相撲観戦をしてのありきたりな感想だが、やっぱりテレビで見るのとは迫力が違う。頭と頭、体と体がぶつかり合う音、取り組み前の力士の表情がみられる。それが生の醍醐味なのだろう。
  「相撲を見るなら枡席がいいわ!でも高い……」という方には、年に1回それも朝9時からだが、奉納相撲はおすすめ。何といっても「無料」というのがこたえられない。ただ地面の上にビニールシートが敷かれているだけなので、長時間座っているとお尻が痛くなる。常連と思われる見物客は、座布団や膝掛け、シートなどのグッズを持参していた。
 開催日の4月9日は平日にもかかわらず、若者が多かった。相撲人気は低迷気味と言われているが、会場を見る限りそれを鵜呑みにするのは早計かもしれない。
 前夜から九段下にある会社に泊まり込んでいたが、近いことをいいことに8時過ぎに出発。いつものように九段坂をあがって大鳥居をくぐり、売店へ立ち寄ったところ、いつもはサラリーマンや観光客でいっぱいの店内は、力士で埋め尽くされていた。なんだか圧巻。
 恒例の参拝をしたあと、相撲場へ向かう。入り口前に50人程度の見物客が並んでおり、外国人客も多かった。開場し、予定より5分早めに土俵祭が始まった。行司、審判(親方衆)、靖国の宮司が土俵の周りに座る。時間はだいたい30分ほど。土俵祭りは本場所では前日に行われるそうで、地鎮祭のようなものだ。
 終了後、練習。序二段、三段目、幕下の順で行われ、ウォーミングアップはしっかりやっておきたいという心意気なのだろうか、ひとり終わるごとに「次はオレとやるんだー!」という感じで、手を挙げ「ハイ、ハイ」とアピールしていた。
 奉納相撲では残念ながら、序ノ口の取組はなく、午前10時15分、序二段から取組開始。本場所では9時半から行われている。テレビで放映していないので、明日の関取を目指して頑張る姿を見れるのも生でみる楽しみだろう。
 相撲の楽しみといえば、ひいきの力士を作ること。いればますます楽しくなるらしい。有名力士でもいいし、まだ無名の新人力士でもよい。
 ちなみに私は特にいないが、強いてあげるとするならば、旭天鵬関と琴光喜関だろうか。思いっきり幕内力士じゃないかという突っ込みはなしで願いたい。
 地位が低いと、行司も若い。行司は格好も生地も簡素で裸足だ。力士のまわしも学生が締めていそうな素材。白ではなくオリーブ色だが、下がりはピンク、山吹、青、緑などの原色系。同系色の緑あたりならばさほど違和感はないが、ピンクや紫などの反対色だと、パンチがありすぎる。どうしても下がりにばかり目がいってしまった。
 取組になれていないのか、おどおどしている力士もいたが、中には熱戦を繰り広げる一幕もあり、地位が低いからといって、侮ってはいけないと感じた。
 三段目の終了後に第一アトラクションとして初切が行われた。力士と行司が相撲の禁じ手などの技を、おもしろおかしく見せるショートコントのようなもので、地方巡業や花相撲などで行われている。花相撲とは、勝敗が番付に影響されない興行のことで、奉納相撲もこの1つである。
 禁じ手は、①こぶしで殴る②頭髪をつかむ③目やみぞおちなどの急所を突く④両耳を同時に両手で張る⑤前ミツ(まわしの前の部分)をつかんだり、横から指を入れて引く⑥のどをつかむ⑦胸、腹をつかむ⑧一指、二指を折り返す、の計8つ。
 それ以外に、相手に塩を投げつけたり、行司が試合放棄して水を飲んだり、柄杓でチャンバラごっこのようなことなど、禁じ手以外にしてはいけないこともやっていて、白熱した戦いとはうって変わって、ドッと笑いと歓声があちこちからあがっていた。
 昼近くだったので、相撲場内の売店で弁当を買う。もちろん、幕の内弁当。弁当の値段は850円。幕の内弁当というと、いろいろなおかずが入っているが、靖国で売られていた弁当の中身は、鮭、エビフライ、唐揚げ、ちくわ天ぷら、卵焼きなど。コンビニエンスストアで売られている弁当よりはおいしかった。売れ行きも好調。
 むしゃむしゃほお張っていたら幕下の取組が始まった。その中でひときわ大きな歓声が上がっている力士がいた。彼の名は琴欧州関。ブルガリア出身、2メートルの長身力士で、現在20歳。
 このところ外国人力士が増えている。一番多い国は、横綱朝青龍関や私の好きな旭天鵬関の出身地モンゴル。他にも韓国、中国、ロシアなど計10ヶ国から来ている。 スポーツ雑誌「Number」(文藝春秋)593号の黒海関の記事でこのようなことが書かれていた。
  「強くなろう、頑張ろうという意志は誰にも負けない、と師匠の追手風親方も太鼓判を押す。一方で、この一生懸命さが最近の日本人力士に欠けていると嘆く親方衆は多い」
 彼らがめきめき力をつけ上がっていくのは、運動能力の差というよりも、強くなりたい、上にあがりたいという気迫の違いなのではないだろうか。
 相撲は、伝統や力士達のたくましい体躯、技を見せるものではなかろうか。日本の国技なのだから、日本人力士が彼ら以上の気迫、意地、技を見せなければ、いつまでたっても親方衆のその声はなくならないだろうし、人気復活の兆しはみえてこないのではなかろうか。

■取り組み後の力士も間近で見れる

 幕下が終わったあと、第二アトラクションの相撲甚句、第三アトラクションの櫓太鼓打分が行われた。両方とも初切と同じく花相撲でしか行われない催しだ。
 相撲甚句は、化粧まわしをした力士達が、力士の哀歓や各地の名所を「アー ドスコイ、ドスコイ」という掛け声と共に円になって唄う。
 唄ったメンバーは、安美錦関、玉乃島関、旭鷲山関他8人。練習しているのもあるだろうが、そろいも揃っていい声で上手い。
 櫓太鼓は、寄せ太鼓(親方衆を集めて話し合いを行うときに叩く)、一番太鼓(若者集の練習の合図)、跳太鼓(さよなら、また今度という意味で叩かれる。見事なばち叩きが冴える)を実演。
 相撲は国技としてのスポーツだけでなく、こういった娯楽的要素も入ったエンターテイメントなのだろう。
 それから幕内土俵入り、横綱土俵入りと続き、幕内以降の取組。
 ロボコップの愛称でおなじみの高見盛関が出てくると、ものすごい歓声と拍手の嵐。思わず携帯電話のカメラで動画を撮ってしまった。残念ながら貴ノ浪関が勝ったが、土俵から下がっても拍手が鳴りやまなかった。彼の人気ぶりがうかがえる。
 結びの一番は、横綱朝青龍対大関千代大海。途中場外の様子を見ようと入り口へ向かったところ、付近のアナウンス席に朝青龍関がいたのだが、愛嬌ある笑顔を振りまき、勝負前の鋭い眼光とは対を成していたのが印象深かった。
 彼の強さはやはり本物で、開始直後ヒヤッとする場面はあったものの、安定した力で千代大海を破った。
 私はまだ国技館で相撲を見たことがないからわからないが、取組後のリラックスした力士の姿やうろちょろ歩いている姿が見られるのも奉納相撲、花相撲ならではでないだろうか。
 今回観て、相撲にはまってしまいそうな予感のする春の一日だった。ごっつぁんです。
(■つづく)

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