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靖国を歩く/第26回 ドラマティックな遺書たち(奥津裕美)

■月刊「記録」04年4月号掲載記事

       *          *          *

 人は死ぬとき何かを残したがることが多い。家族、恋人または子供へであったりとさまざまだ。残すものもまたさまざま。とくに遺産に関しては問題となることも多いが、幸か不幸か私には遺書かダイイングメッセージくらいしかなさそうだ。あぁ、縁起でもない。
 靖国神社には毎月、英霊達の遺書が掲示板で公開されている。公式ホームページによると、祖国を愛しつつも散っていった英霊たちの心に触れてもらうということが目的のようで、遺書自体もアップされているのがなんとも親切である。ちなみにバックナンバーも過去5年分ある。
 この中で最も気になった社頭掲示をピックアップしてみよう。
 1月に掲示された「大好きな餅が食べたい」だ。正月にちなんだ選別なのだろうか。内容はあっけらかんとしていて、悲壮感が全くない。神雷部隊に所属する予科練習生が書いたもので、18歳で戦死している。若い。
 父親宛に書かれたその文面には、とにかく餅を食べたい、最後に餅を食べて死にたいということを訴えている。
「大好きな餅食って、敵をたたきのめしてやるあっはっはー」、というようなくだりがあるのだが、なんか国のために死ぬぞ!と屈託なく言い切ってしまっているところが純粋すぎて怖い。
 そもそも予科練生は、自ら入隊を希望し選出され、海軍航空隊へ入隊した若者達の集まりである。招集されたわけではないので、国に対して、ことのほか天皇に対して忠義を尽くして死ぬこともいとわない若者たちの集まりでもあるのだ。
 だから歯切れがよすぎるほど、あっけらかんとした、手紙が書かれたのだろう。
 『靖國のこえに耳を澄ませて』(明成社)という本には、学徒出陣した17人の若者の手紙と、彼らにまつわるエピソードが掲載されている。
 この本に出てくる多くの人物は、みんな高学歴で才能溢れた人たちばかりだ。あえてそうした人を選んでいるのだろうが。
 東京帝国大学、慶應義塾大学、早稲田大学、中央大学など、そうそうたる大学が並んでいる。
 なぜ希望ある若者達がどんどん戦地へ行くのか。戦力になるということはわかる。しかし優秀で才能のある人間なんてやたらと量産できるわけではない。死を考えることよりもまず、生を考える方がさきなのではないか。

■読み手の深読みか?

  「必ず命中疑ひなし。燃ゆる燃ゆる殉忠の血潮、熱血、撃滅の闘志、必中の確信、大和男の子にしての誰にも劣らざる気魄がある。誰よりもある」(西田高光)
 このように書かれた遺書を見ると、言い回しや、言葉遣いは優秀なだけあって完璧。
 手紙などの場合、今の若者の多くは話し言葉をそのまま書き、感情もそのままのせる。「昨日、彼氏とディズニーランド行ったんだけど、マジおもしろかった!ミッキーとかチョ~かわいいし!でも帰りにケンカしちゃって、すげぇ最悪。まだ仲直りしてない、てかもう別れる(-_-♯)」。こんな感じで。
 しかし、彼らの遺書には、感情がのることも、話し言葉も皆無なのだ。マニュアルでもあるのではないかというほど、書かれている内容はだいたい同じ、あまりにも真面目に書かれすぎていて、なんのおもしろみもない。
 あの三島由紀夫が涙したという逸話が残っている手紙のエピソードがある。古谷眞二さん(当時、海軍第十三期飛行科予備学生)の書いたもので、三島は彼の遺書を読んだあとこういって泣いたそうである。
「すごい名文だなあ。命がかかっているんだからかなわん。おれは命をかけて書いていない」
「命をかけて書いていない」と言って泣くくらいならば、泣く前に命をかけて書いたらどうだろうか。
 それよりも、これを読んでいて、命をかけて書いた手紙というより、決意表明と両親への感謝文と感じた。命はもちろんかかっているだろう。
 しかし、突然指名されてその一時間後に行くというわけではなく、訓練を積み、まして彼は残留指揮官として後輩の指導までしているのだ。命をかけているのだとしたら、あまりにも出撃までの時間が長すぎやしないか。
 手紙自体は「流れるような名文だ」と彼が語るほど、すらすらと読めてしまうよいテンポの手紙なのだが、どうにも古文の教科書を読んでいるようにしか思えず、どの部分に命がかかっているのかがわからなかった。
 断っておくが、私は彼らや彼らの書いた手紙をけなしている訳ではない。読んでいて、エピソードに深い違和感を感じたからだ。
 この本に出ているのは、遺書だ。それは死んでいるから。しかし彼らが生きていたとしたらどうだろう。そうするとただの手紙である。
 死んでいるからその手紙は遺書となりドラマチックなものになるが、生きていたら、あんなこと書いていたのに生きてるじゃないか、と言われておしまいである。
 ここで私が言いたいのは、遺書だからといって深読みしすぎているのではないかということである。
 この手紙には何か深い意味でもあるのではないかと考えてしまうのは、それは読み手である私たちが、「彼らは戦死している」ということを前提に読んでいるから
だ。内容はなんのことはない、「日本男児として国のために死にます。お父さんお母さんありがとう」というようなことが書かれているのだ。
 時代も文化も当時と今ではかなり変わっていて彼らと私たちの表面的なメンタリティーは変わっているとはおもうが、根本的なところは変わってはいないはずである。
 小難しい言葉で書かれていようとも、結局は10代20代の若者が書いたものである。人生を達観するには早すぎる。
 もし彼らの遺書から何かを得て、評価付けをしようとするのであれば、自分たちはそんなに薄っぺらい人生を送ってきたのか?と逆に問いたくなってしまう。
 本来死とは、死んだという事実のみで、意味や評価などないのではないか。それに対して無理矢理意味づけるから、高尚なものになるが、結局それは死者が自分に対して与えた評価ではなく、生者が生者のために与えた評価だ。そんなものは私は鵜呑みにはできない。

■エリートであったのが原因

 前回のカレンダーの時も少し触れたが、だいたいが私と同じ年齢の青年達ばかり。
 いくらメンタリティーはさほど変わってはいないとはいえ、私にはわからないことがある。それはなぜそんなに国のために死にたがるのか。
 あたかも国のために死ぬことが、結果的に日本や、国民、そして子孫のためによいと言っているが、それはただの幻想にしかすぎないのではないか。
 死ぬことがなんのプラスになるのか。明日の日本のためになることとは、死ぬことではなく、戦争をさっさとやめることではないのか。
 そもそも日本が本当に勝っていたら、まず特攻隊というものは存在していたのか。勝っているということは、少なくとも兵力にまだ余裕があるということだから、わざわざ自爆テロのような突っ込んでやっつけるという方法はとる必要はないはずである。
 死んだら終わりだよ。敵をいくらやっつけたって、死んだら、敵を何機やっつけたという事実だけで終わってしまう。その先は何もない。
 しかし彼らは、なにも疑うことなく、ただ勝つということだけを信じて死んでいる。それは彼らがエリートだというところに原因があるのではないか。
 右を向けと言えば逆らわず右を向く。そしてやめろと言われるまで、向き続ける。そういう世界の人たちなのだ。だから絶対に勝つという思いこみも、国のために死ぬことがよいと信じることも、至極当然のことかもしれない。
 私は当然ながらエリートではない。ただこれだけは言える。挫折を知らないエリートたちは、頭の回転は早いが、柔軟ではない。そしてそれは今も昔も変わってはいない。
 でも結局意識はわかっても、その精神はいつまでたってもわからない。これからも模索し続けるのだろう。

■サマワの自衛官の心情も知りたい

 そういえば自衛隊がイラクのサマワへ派遣されたが、彼らはどういった心境なのだろうか。安全だとは言われているが、安全に100パーセントなんてない。なんだかんだいって、死と隣り合わせでもある。
 彼らも、少しはこの17人や他の英霊達と同じような気持ちはあるのだろうか。戦争をしにいったのではなく、支援しにいったのだから、遺書は書いてはいないだろうが、戦地に赴いたのである。戦後50年以上たち、これといった活動を海外でしていない彼らの心情をぜひ知りたいものである。
 またイラク戦争のときにパレスチナホテルに滞在していた記者達もまた英霊達のメンタリティに近いのかもしれない。現に攻撃され、亡くなった記者もいる。
 この本や社頭掲示をみていると、そろいもそろって「国のために死ぬ」ことをいとわないとしている人ばかりである。
 そりゃ、仕方ないよな……と納得はできるものの、中には本望ではない人もいるだろう。ぜひとも後学のために、そういった英霊達の遺書も公開してもらいたい。  (■つづく)

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