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靖国を歩く/第21回 靖国神社の鳥居(奥津裕美)

■月刊「記録」03年11月号掲載記事

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 靖国神社には鳥居が4つもある。4つあるにもかかわらず、その材質はすべて違う。たくさんあるとどれか1つくらい同じでもいいだろう……と思ってしまうが、靖国は手を抜いていない。ぬかりない。しかし、近くの俎橋(まないたばし)付近から地下鉄九段下駅に歩いていく時に見えるライトアップされた第一鳥居(大鳥居)は正直怖い。満月のときに見る真オレンジ色の月を見たときと同じような怖さがある。
 神社といえば鳥居!鳥居といえば神社!というように、切っても切れない関係にある靖国の鳥居の概要を説明しよう。

 まず九段坂を上ってきて見えてくる大きな鳥居、その名も大鳥居で前述のように第一鳥居ともいう。1974年に完成し、高さ25メートルの巨大さは、25メートルプールが立っているのを想像していただければ、参拝したことがない方でも容易にイメージできよう。笠木という、鳥居のてっぺんに横たわっている棒があるのだが、その長さも約34メートルと、とにかく長い。重さは100トンと、もう想像ができないくらいの重さである。
 1トントラックや2トントラックなど、「何トン」までならば容易に想像がつくが、100までくると何だかもう分からなくなってしまう。震度7の自信にも耐えられるほどの頑丈さというのも納得の日本最大級の大きさを誇る。
 次に、参道中央にそびえ立つ大村益次郎像を左折すると見えてくるのが石の鳥居だ。1933年に奉納されたそうである。約70年ものあいだ立っているにもかかわらず、いまだ現役である。どうやら石製としては、京都の八坂神社と並ぶ最大級の代物なのだそうである。

 3つ目が参道に戻り神門手前にあるのが青銅大鳥居。これは古く、1894年にできたそうである。しかもそれだけではなく、明治時代の最先端技術を用いて製作されたのだ。
 神門をくぐりぬけると最後に中門鳥居がある。どうやら鳥居になる前は扉がついていて門として使用されていたそうである。台湾産のヒノキでできたそれは、1975年に世田谷の材木商が明治神宮の「二の鳥居」とともに献納。明治神宮には鳥居を奉納しているのに、靖国神社には門を奉納するというのもおかしな話である。もしかしたら、この鳥居も門がついた扉だったのかもしれない。
 さて、先ほど神門が出てきたが、少し神門の解説を。1924年にできたこの門は、高さ6メートルという大きさで、扉中央には菊の紋章がついている。
 ちなみにこの菊は16弁で、皇室で使われている菊の紋章と同じである。直径1.5メートルという存在感は、近くで見ればもちろんのことだが、青銅大鳥居付近からみてもわかるくらいである。日本の巡洋艦や航空母艦・戦艦につけられた倍の大きさだそうだが、さすがにあの大きさのものをつけていたら重いだろうし、そんなに見せつけなくても……という気になってしまう。
 話がちょっと脱線してしまったが、元に戻そう。ざっと靖国の鳥居の説明をしてきたが、普段あまり意識してくぐる機会が少ないせいか、知らないことが多い。しかし鳥居は、神社にはなくてはならない存在でもある。
 以前、羽田空港の新社屋ができる前、旧空港駐車場に鳥居があった。行くたびになぜこんなものがあるのやら?と思っていた。新しく空港を建設することになって、その鳥居を壊そうとしたところ、怪事件が続々と起こったそうである。今は無事に撤去され、新居地に移動して静かに暮らしている(?)そうだ。
 鳥居といっても建造物のひとつにすぎないのだが、このような話があるのだから“ただ”の建造物ではなく、“神秘的”な何かがある建造物といえる。鳥居の語源・起源は定かではなく、語源は「鳥が居やすい」からとか、「通り居る」からだとか曖昧だし、起源も日本古来のものという説と、他国からきたという説がある。この鳥居がない神社もあるそうで、対比は五分五分というところである。
『神社の見方』(小学館)によると、神明鳥居系と明神鳥居系に分類される。神明鳥居系の鳥居は、笠木と呼ばれるものが直線的で反り返っておらず、額束と呼ばれるものがない。そして装飾品を一切省いたシンプルな造り。靖国の鳥居がまさにこの神明鳥居系である。明神鳥居系の鳥居はその反対で、転びと呼ばれる柱と笠木に傾斜があり、曲線的な鳥居である。直線的で日本最大級の靖国第一鳥居を見ると、どことなく冷たさを感じる。そして、ライトアップされた第一鳥居は存在感を増し荘厳さが漂うが、どことなく威圧されているように感じてしまう。
 

 靖国の鳥居に話を戻して、『靖國神社大鳥居再建之記録』によると、現在の第一鳥居は再建されたものだ。先代の大鳥居は戦時中の1943年に取り壊され、陸海軍に献納された。国民から「空をつくよな大鳥居」と呼ばれ親しまれていたことから、かなり大きい鳥居だったことが想像される。軍部は助かっただろうな。
 解体され、その間代用されたのが木製(最高級のヒノキ製)の鳥居だそうである。43年から74年までの約30年間使われた。その30年の間には晴れの日もあれば、雨の日もある。雷や雪の日もあるのだから、新しい大鳥居ができあがるころには、見るも無惨な姿になっていたに違いない。「お疲れさま」と声をかけてあげたかったが、私はまだ生まれていなかった。
 その中にとても興味深いことが書かれていた。再建するにあたって、全国近衛歩兵第一連隊会(全国近歩一会)から提案された意見のなかで事前承諾したもののなかに、「再建大鳥居は新しい素材を使用してよい」というものがあった。
 どうやら、北海道神宮の大鳥居に使用されている耐候性鋼板を使用すると建設費は2000万円程度ですむらしい。だが、旧来の銅を使用すると3億円かかるそうだ。額面通りみれば、靖国は新しいことにチャレンジする旺盛な神社に見えるが、実際は3億出すのは痛いからそのようにしたとしか思えないのだが……。
 神明鳥居系の鳥居は日本全国約20の神社に設置されている。また日本だけでなく、海外にある神社約16社にも設置されている。けっこうな数があるということがわかる。どれも靖国鳥居という別名がついているが、鳥居のデザインのひとつとして名付けられたのだろう。国内にあるということは、数ある鳥居の種類からそれを選んだということで、疑問に思うことはないが、海外にある神社にまで靖国鳥居が使われていることに関しては、日本の植民地だったということが連想され、いまだその爪あとが残っているように思える。
 現在の靖国鳥居になる前は、御陵鳥居というものが使われており、御陵とは、天皇・皇后・皇太后・太皇太后の墓のことである。つまり墓が鳥居になっているということだ。靖国が建立された目的が、日本の国のために尽くした人々の御霊を祀るということなので、墓ではないが、御霊を慰めるためにできたところから御陵鳥居というものが使われても自然なことであるが、時が経つにつれ、靖国の立場が変わっていくとともに、鳥居も変わっていったということだろう。
 御陵鳥居と靖国鳥居の違いを簡単に説明すると、御陵鳥居は皮を剥いだ白い丸太を使っており、靖国鳥居は貫の部分に角材を使用して結合させやすくしたものである。
 ざっとではあるが鳥居について書いてきたが、日本国内には様々な鳥居がある。たまにはおみくじを引いて参拝するだけではなく、鳥居を眺めてみるのもよいのではないだろうか。

 靖国の4つの鳥居はどれも個性的だが、やはり第一鳥居が断然いい。どっしりと構えた姿と、日本一の大きさが醸しだしている威圧感にとてつもなく惹かれてしまう。とくに青空のもとで見る鳥居は格別だ。しかし、冒頭に記したように昼と夜とでは、東京タワー並みの印象の違いがあるので、ぜひ両方を見比べていただきたい。 (■つづく)

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