内部告発・豊島区は税金泥棒/第14回 宿直業務は廃止させない
■月刊『記録』98年12月号掲載記事
※ ※ ※
「宿直業務を廃止したい」という部長の言葉は私にとって、まさに青天の霹靂だった。宿直業務を前提とした合意書を、全く無視してきたものだからだ。
要するに自分達に都合の悪い判決には従わない。それが役所当局の姿勢なのだ。裁判での決定を反古にされたのでは、再度、訴訟を起こすしかない。しかし個人の力ではそう何度も裁判を起こせないものだ。それを見越しての役所の措置だった。
だいたい財政難が原因で、宿直業務を廃止するというが本当なのだろうか。宿直業務がそれほど区の財政を圧迫していたとは思えない。批判すべき出費など、他にも山ほどある。
例えば第一組合のビラには、次のような内容の記事が掲載されていた。
バブルの全盛期、一般価格以上の高値で豊島区役所が土地を買いまくった。しかもその売買は、不動産関係に強い議員が深く関与していたという疑惑だ。もちろんバブルがはじけた途端、土地は二束三文の価値に化けてしまった。このような噂を知っていれば、財政難を理由とした宿直業務の廃止など鵜呑みにする気になれないのも当たり前だろう。
さらに第二組合に何一つ知らせることなく、第一組合が宿直業務廃止に賛成してしまった。この態度も胡散臭い。
私の同僚の二人は第一組合に所属している。当然、宿直業務廃止の賛成派であり、そのうち一人は、かつて当局と組合の容認の下に架空勤務を繰り返していた人物でもある。
宿直業務がなくなれば、彼は昼間の業務へと転属となり、架空勤務やこれに伴うカラ超勤などの事実も過去へ流されるのである。不正を闇に葬り去るために、役所は宿直業務を廃止したのではないか。そんな疑いが頭をよぎった。
裁判での決定を一方的に破棄する役所当局に、私の不信感は高まる一方だった。そして一九九六年一月二九日、役所側との労使交渉で私の怒りは爆発した。
「財政難と称して、区民に対しては、福祉の切り捨てを着々と進める一方、役所の職員に対しては、いまだにカラ超勤手当、カラ出張手当が支給されているという。これは役所内では公然の秘密である。カラ出張、カラ超勤はあるのか、ないのかを返答してほしい」当日、職員課長の望月治夫氏に対して、私はそう問い詰めたのである。
それに対する望月氏の答えが「現在、カラ出張旅費及びカラ超勤は存在しないと思うし、あってはならないことだと考えている。また過去にもそのような事実は無かったと思う」である。だが、昭和四七年、入庁して間もない頃、私は、私の知らないうちにカラ超勤が支払われていた経験をもっている。あれはなんだったのだろうか。私は白日夢を見たとでもいうのか。
この望月氏の言葉が、私を一気に行動へと駆り立てた。
労使交渉の一幕をビラに刷り、役所内に配布したのだ。二月七日にビラを作成。日を置かず、役所の全職員の机の上に、そのビラを配ってまわった。一斉に情報が行き渡るよう、作業は早朝、第二組合の責任者と共に行われたのだった。
「赤字財政の原因は、長らく温存されてきたカラ出張、カラ超勤に原因があるのではないのか。もしそうなら職場の統廃合の前にカラ出張・カラ超勤を廃止するのが先決ではないのか。役所当局の行政改革の手順は本末転倒であり、大きな誤りがあるのではないか」
私がビラで訴えた概要である。役所職員に公僕の良心が少しでも残っていればと、期待しての行動だった。しかし案の定、何の反応もないまま時間だけが過ぎていった。
●高齢者・障害者対策費からカット
ところがある晩、宿直業務についていた私に一本の電話がかかってきた。相手は朝日の社会部の新聞記者。「一度、お会いしたい」という。なんでも世田谷行革一一〇番の後藤雄一氏に、私の名前を聞いたというのだ。
翌日、さっそくその記者に会って驚いた。すると、なんと驚いたことに、私が役所内に配ったビラを彼が持っていたのだ。
すべての発端は、後藤氏に送られた豊島区の匿名職員からのカラ出張やカラ超勤の存在を裏づける五枚の書類だったのだ。早速調査を開始した後藤氏は、私が配ったビラを入手。内部告発の資料と私の存在を、新聞記者に告げたということらしい。どうやら私の配ったビラも、全く無駄なわけではなかったようだ。
そこで四月二五日、第二組合長の同意を得て二枚目のビラを私は作成した。カラ出張、カラ超勤の全額を金額を細かく示すなど、内容は一枚目よりもかなり突っ込んだものにした。また両カラ手当の無駄遣いを改めることなく、区民に必要な財源を削り続ける区の政治姿勢をも批判した。
なぜなら、当局は、財源を削除する最初の対象を、高齢者や身体障害者、すなわち、声を大にして抗議しにくい人々に絞っていたからである。例えば、一人暮らしの高齢者宅にインターホンを設置する制度の廃止、寝たきり高齢者への見舞品支給制度の廃止、敬老金の支給の廃止、車椅子の利用者あるいは寝たきり状態の人が、そのままの状態で乗り降り可能なリフトつきハイヤー制度の廃止などなど、数えあげたら腹が立つばかりだ。結局、区民だろうが職員だろうが、等しく弱者から切り捨てるのだ。それがお役所体質なのである。
二枚目のビラは、前回同様に役所職員に配った。さらに今度は、前回のビラと一緒に一三一名の町内会長全員にも配ることにした。
この判断は、間違っていなかった。役所の職員に比べ、町内会長の反応はずば抜けて速かったからだ。二枚のビラに驚いた町内会長は、事実の確認のためすぐに来庁したのである。もちろん役所側は前面否定。そして役所によるお決まりの事情聴取が、私に課せられることになった。
一度目は文書による質問だ。しかし、これでは埒があかないと役所側も思ったのか、結局、職員課長と総務課長から部長室で事情聴取を受けることになった。
「どういう意図でこれを作ったのか」「何に基づいてこれを作ったのか」「情報提供者は誰か」
そんな彼らの質問に対して、私は答えた。「このビラに書かれた内容は、複数の人から聞いている話であり、事実だと確認できる証拠もある。ただし情報を寄せてくれた人達に迷惑がかかるので、名前をあげるわけにはいかない」
私を取り調べている職員も、実は事実であることを知っているのだ。そして知っているから青筋をたてて怒る。要するに彼らは「役所の職員もあろうものが、役所内の不正を外に漏らすのはけしからん」と怒っているだけなのだ。
良い部分も悪い部分もすべて白日の下にさらし、改めて出発してはどうか。私は、ビラにそんなメッセージを込めたつもりだった。しかし役所側は耳を貸すどころか、さらなる攻撃をしかけてきた。
九六年八月八日、当局は、区長加藤一敏名で六ヶ月の停職を言い渡してきた。処分理由については次のように書かれていた。
「一律カラ残業手当、カラ出張手当については、およそありえないことである。しかし、このような虚偽の文書を区の町会長宛に送付したことによって、結果的にこれらの文書に書かれている事柄があたかも存在する、また、存在したかのような印象を町会長に与えるに至っては、到底見逃すわけにはいかず、許されるものではない。このような行為は、職員全体の不名誉となるような行為、また、区民から信託をうけて、全体の奉仕者として誠実に勤務すべき職員としてふさわしくないものである」
もし、前の裁判で合意書の作成を拒否して敗訴していたら、私はこの件で確実に解雇されていたはずだ。というのも一五日の停職処分の是非をめぐって高裁で審理している最中に、さらに同一事由をもって三〇日の停職処分を重ねて行った当局の目的は、単なる訴訟費用に関する経済的負担の加重を狙ったものではなく、私の解雇処分の時期を、より早くするための布石であったことが、その後の内部情報からわかったからだ。
近藤勝弁護士の先見の明が、私を救った。しかも彼は、この処分に関しても、敢然と立ち上がってくれた。
「文書を送った行為は憲法で定めた表現の自由の範囲内で、懲戒理由には当たらない」。九六年八月三一日の読売新聞で、彼が語ってくれた言葉だ。この指摘は大変ありがたかった。私の言いたいことを、はっきりと言ってくれたからである。
そして、さらに四面楚歌、満身創痍で闘う私に強力な助っ人が息せききって駆けつけてくれた。助っ人とは、以前、新聞記者を通じて名前を知った世田谷行革110番代表の後藤雄一氏であった。 (■つづく)
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