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知られざる世襲公務員たち ~特定郵便局の謎~

(月刊『記録』 98年3月号掲載記事)

■郵便局のほとんどが特定局

 例えば切手やハガキを買いに郵便局に行くとしよう。たいがいの人は「本局」と呼ばれる規模の大きい郵便局ではなく、職員が数人規模の小さな郵便局に行くだろう。郵便貯金の口座を持っている人が、貯金をひき出す際も同様だ。こうした小さな郵便局は地域には必ず一つはある。利用者にとっては最も身近な郵便局といえよう。
 このような郵便局を「特定郵便局」という。利用者にとって最も身近ということは、郵政三事業を最末端で支えているということでもある。その功績は大きいというほかはない。だが、特定郵便局にはもう一つの「顔」がある。それは、これらの特定局(正確には特定局の局長集団)が、自民党政権の強力な支持基盤となってきたことであり、さきの行政改革論議では、郵政民営化阻止の原動力となっていたことである。特定郵便局の局長によるこの集団こそ、一時期マスコミにも取り沙汰された「全国特定郵便局長会(全特)」である。

 小さな郵便局の局長の集まりでしかない全特が、何故にそれほどまでに影響力を持ち得るのか――。それは特定郵便局の特異な実態と歴史に由来している。昨年来、特定局をはじめとする郵政事業の周辺を取材しているが、その結果、特定郵便局の存在こそが、郵政民営化論議迷走のカギとなっていることがわかってきた。郵政民営化の問題とは、郵貯の問題よりむしろ、特定局の問題というべきなのだ。
 そもそも日本にはおよそ二万4500の郵便局がある。その種類は普通郵便局、特定郵便局、簡易郵便局の3つに分けられる。普通郵便局とは、冒頭にもふれた「本局」のことである。郵便物の取り集めや配達といった集配業務を行っている。その数は約1300局。
 簡易郵便局は、主に過疎地・遠隔地に設置されており、郵政省が手数料を支払って業務を委託している。要するに「代理店」だ。したがってここで働いているのは公務員ではない。その数は約4600局。
 さて特定郵便局だが、郵政省の「郵便局組織規程」によると、その定義は「特定郵便局長を長とする郵便局」であるという。全くもって意味不明だ。しかしその総数は約一万8600局。全郵便局のおよそ8割弱にあたる。「特定」郵便局との名称からは、何か特別な郵便局であるかのような印象を受けるが、つまりは国内の郵便局のほとんどが、この特定郵便局なのである。
 地域社会に身近な郵便局なのだから、これだけの数と割合になるのも当然のことではある。一般に特定局は1キロメートル圏内に1局あるといわれている。これは小学校とほぼ同じで、子どもや老人が歩いていける範囲が目安とされているという。
 となると何が「特定」なのか。それは、その形態にある。
 特定局のうちの9割は、局舎の土地建物が国有ではなく個人の私有。しかもほとんどの場合、その所有者が局長に就き、さらに退職後は夫人や子息に局長の座が「世襲」されていくのである。後継者たちが、それまで郵政事業に全く関与してこなかった(つまり全くの素人だった)例も珍しくない。これが代理店である簡易局ならば、「家業」を継ぐわけだから、とりたてて問題にすることではないだろう。けれども特定局は国の機関(地方支分部局という)であり、局長の身分は国家公務員である。局長の座を世襲することは、国家公務員の地位を世襲することになるのだ。

■世襲を前提に形式的に試験

 東京都某区にある特定郵便局を例にあげてみよう。この局は昭和初期に設置され、現局長のAさん(40歳)は局長歴10年。彼で3代目になる。土地建物は彼の所有で、建物は3階建て。1~2階を郵便局舎に利用し、3階がAさん一家の住居だ。住宅事情の悪い都市部の特定局では、このような形態が一般的になりつつある。郵政省から支払われる局舎の賃貸料は、月額80万円。賃貸料を決めるにあたっては、局長自身が地元の不動産業者に見積りを出してもらい、それに基づいて決められる。複数の業者から見積りを出してもらうのが決まりという。
 こうして郵政省が特定局長たちに支払う賃貸料の総額は、年間850億円にものぼる。その他、「渡切経費」という名目で、光熱費や備品費といった局舎の維持費も提供される。Aさん自身の局長(国家公務員)としての俸給は、これらの経費とは別である。
 国から家賃を受け取り、さらに国から給料をもらう。そして親から子へ、子から孫へと、施設と地位が「相続」されていく。特定郵便局の局長とは、このように奇妙な存在である。ところが郵政省広報室は「世襲ではない。制度として世襲になっているわけではない」と言う。
 しかしこれは当然の話で、制度として公務員の世襲が確立されていたら大問題だ。問題は実態として世襲になっていることにある。そこで広報室に、特定局長とはどのようにしてなるものなのかをたずねてみた。
 それによると、まず満25歳以上であること。ただし特定局の2割を占め、主に地方に設置されている、普通局の代わりに集配業務を行う集配特定局の局長の場合は、満30歳以上が条件となっている。郵政省の地方機関である郵政局(沖縄のみ郵政管理事務所)が実施する任用試験に合格することが条件という。試験は局長のポストに欠員が生じた際に随時行われているという。試験科目は一般常識・面接・作文。合格後、郵政省の下部機関である郵政研修所に1週間泊り込みで研修を受ける。内容は人事管理について。郵政事業についてはほとんど学ばない。定年は63歳である。
 この制度を「自由任用」という。実態としての世襲を支えているカラクリがここにある。試験に合格してるから世襲ではない、という論法だ。
 しかし試験といっても一般公募しているわけではない。特定局長の試験の実施の告知や応募要項といったものを見たことのある人がいるだろうか。現実には特定局長の親族など、ごく限られた関係者しか知り得ない。はじめから世襲を前提に形式的に試験を行っているというより他に、その実態をあらわす言葉が浮かばない。

■全特中央事務局が郵政省内に

 このように奇妙な存在である特定局長によって組織されている団体が全特である。その組織は、地方郵政局のブロックごとに分かれている。例えば東海郵政局の管内には東海特定郵便局長会があるといった具合だ。さらにこれが地域ごとに細分化されていき、最小単位は同一地域の特定局数局による部会となっている。全特はその連合体ということもできる。
 中央の事務局は郵政省の庁舎内に置かれている。しかしこれも奇妙なことである。というのも特定局長は確かに国家公務員だが、その集まりである全特は、あくまでも私的な任意団体でしかない。それなのに官庁の庁舎に入居しているのだ。郵政省広報室は、「国有財産法18条3項の規定に基づき、郵政事業の遂行に必要と認められるため使用を許可している」と、「合法的入居」を強調するが、奇異な印象は拭いようがない。
 その事務局を訪ねてみた。大臣官房部局が居並ぶ庁舎2階の奥の小さな部屋がそれだった。部屋番号206。なぜか全特ではなく、「部内連絡室」と表示されている。受付の庁舎案内板にも、全特の名はおろか、この部内連絡室という名称さえも、なぜか全く表示されていない。室内にいるのは、もう老境に達したと思われる男性が数人と、中年女性が一人。取材は一切拒否。応対した男性に名前を聞いても答えない。こう書くと、先方は断固とした態度で拒否したかのように思われるかもしれないが、実際はそうではない。再現してみるとこんな感じだ。
「取材はお受けできませんねぇ・・・・・。なぜっていわれても・・・・・、とにかくお受けできないんですよねぇ・・・・・」
 とまあ、こんな調子でのらりくらりとかわすばかり。何度訪ねても、徒労感ばかり募るといったあんばいである。

■地域のボスが代々局長に

 それにしても、このような国家公務員の世襲と、前特のような奇怪な団体が、今日までなぜまかり通っているのか。これも郵政事業の長い歴史の所産である。特定郵便局の歴史は、郵便制度の創設とともに始まったといえるからである。
 1871(明治4)年、明治政府は東京・大阪・横浜・神戸・函館・新潟・長崎の3府5港に「郵便役所」を設けた。これが日本の郵便制度の始まりである。この年に実施された廃藩置県同様、郵便制度の創設も近代化政策の一環だった。このとき奔走したのが前島密であり、その功績から「日本の郵便の父」と呼ばれている。いまも1円切手にその肖像が使用されているのは、その功績を称えてのものである。
 しかし政府直轄の郵便役所8ヶ所だけでは、国家独占としての郵便事業を維持することは不可能だった。そこで政府は国内171ヶ所に「郵便取扱所」を設ける。これは、それぞれの地域の富豪などの有力者から土地と建物を無償で提供させ、彼らを「取扱役」に任命することで郵便業務を請け負わせるというものだった。維持費、人件費等の経費は一定限度額までしか支給せず、不足分は取扱役に郵便事業の収益をあげることで賄わせていた。国家の公役に就くという名誉を与える代わりに、拠点を確保し、経費をも負担させるという、一挙両得をはかったわけである。
 この郵便取扱所が、特定郵便局の前身である。実はいまも地方に顕著にみられるが、特定局長たちは「地域の名士」とされる家が世襲していることが多く、あるいは名士として地域社会に認知されているのは、この系譜を今日なお継承しているためである。
 その後、郵便役所と郵便取扱所は一等から三等までの「郵便局」に統合され、さらに1941(昭和16)年に一等、二等郵便局が普通局に、三等郵便局が特定局へと改編、名称も変更された。そして戦後は、局舎は有償、局長は一般職国家公務員となる。
 結局、戦後になって変わったのは、土地建物の提供が有償になったことと、局長の身分が国家公務員として明確にされたことだけ。地域社会の「ボス」的存在が局長に就き、代々世襲されていくという根本的な矛盾は放置されたままになった。むしろ国家公務員とすることで、その矛盾を正当化させてしまったのである。「戦後民主主義」といっても、根源的なところでは、日本は何ら近代化されていないと思うことがよくあるが、これなどもその好例ではないだろうか。

■全逓=社会党ラインへの対抗策

 では特定郵便局長会の方はどうか。その結成は戦時下の1943(昭和18)年である。ただしこれは、戦後すぐにGHQの解体令を受けている。産業報国会などと同様、民間における軍国主義団体と認定されたためである。
 しかし局長たちはあきらめなかった。サンフランシスコ講和条約発効の2年後、日本が「独立」を回復して間もない1953(昭和28)年、再び局長会を組織する。もっともその六年前の1947(昭和22)年に「全国特定郵便局長会規程」が制定されており、実質的な活動はその頃から始めていた。GHQによって解体されても懲りなかったわけで、その監視の眼から解放されるのを待って、晴れて再結成したというのが真相だ。これが今日の全特である。
 全特が再び組織された背景には、郵政省当局の意向もはたらいていた。より具体的には労働組合対策、すなわち全逓に対抗するためである。かつて郵政省には「人事局」という部局があった。他の省庁の人事部門は部課レベルでしかないのに、郵政省だけは局という規模のものになっていた。これは労務管理が郵政省にとって重要な仕事になっていたからだ。特定局長を最末端の管理職として労務管理の「先兵」とする、というねらいがあったわけである。特定局長が就任時に受ける研修で人事管理だけ学ぶのもこのためだ。
 さらに、特定局長の組織化には、自民党政権による保守体制の地盤固めという側面があった。全逓=社会党ラインへの対抗であることはもちろん、地域ボスが務める特定局長を束ねておけば、選挙の際の票固めに得策と踏んだからである。地縁・血縁がものをいう地方においてはなおさらのことである。
 一時期の自民党は、特定郵便局を特別職の国家公務員にしようと企図したことがある。特別職公務員は政治任用だから、時の政権にとって都合のいい人物を局長に据えることができる。公務員は本当は政治活動が禁止されているが、特別職はその対象外なので、自由に活動できることをねらったものだった。
 さすがにこれは失敗に終わったが、結果からみる限り、その必要もなかったというべきだろう。地域ボスが務める特定局長とその集団としての全特が、保守政権の支持基盤とならないはずがない。現実に、全特は選挙のたびごとにあずかって力を発揮した。ここから「自民党の集票マシン」との異名を奉じられるほどの存在となっていき、政治的影響力を振るうに至ったのである。郵政民営化阻止への暗躍では、その政治的影響力が如実にあらわれた。
 
■顧客名流用は当たり前

 既に定年退職した、ある地方の特定局長のBさん(70歳)は、全特の政治活動を次のように証言している。
「特定局長は、1人につき8人の自民党員を集めなければならなかった。参議院選挙で、岡野裕前労相のような郵政OBが出馬するときには、1人につ100人の支持者名簿を集めることになっていて、お客さんの名簿から100人分の名前を提出していました。よく知っている人には事前に了解を得たが、勝手に名前を使わせてもらう人もあった。局長は公務員だから表だってはできないので、妻の名前で動いていました」
 前出のAさんもこう語っている。
「1昨年の総選挙の際、後援会に提出すると全特から指示されて、百人分の名簿を作りました。東京ではお客さんの支持政党は全くわからないので、特に親しいお客さんや、友人、親類に頼み込んで、名前を貸してもらったんです。やはりあからさまにはできないので、勤務時間外に作っていましたが」
 Bさんのように、特定局長がボス的影響力を振るえる地方社会では、顧客の名前を流用するのは当たり前。仮に使われた側が不満を抱いたとしても、抗えるような状況にはない。ただしこれがAさんのいる都市部となると、さすがに状況が変わってくるらしい。
 公務員である局長は、前述の通り本当は政治活動が禁止されているので、夫人の会やOB会を組織して、彼らが前面に出て活動している(ことになっている)。だが現実には局長自らも活動しているのである。Aさんなどはまだ控え目な方で、特定局に働く複数の郵政職員の話では、勤務時間中に名簿を作成することなど当たり前。局長同士が電話で連絡をとりあい、何人分集めたか互いに状況報告を怠らない(ことわっておくが、これも勤務時間内である)。局長にもいろいろな人がいるから、こういった政治活動に無関心、不熱心な人もなかにはいるらしい。そうした局長のことを他の局長が「あいつは全然集めない」と陰口をたたくこともままみられるという。

■小選挙区の導入で状況一変

 ところで、かつて全特が一致団結して集票に動くのは参院選のときだけだった。衆院選ではそういった動きはなかった。保守系候補どうしが激突する地方の中選挙区では、局長もそれぞれの系列に色分けされており、下手に一本化をはかると、局長会自体が空中分解しかねなかったからだという。
 しかし小選挙区の導入で、この状況は一変した。郵政の少数組合である郵政産業労働組合(郵産労)の太田英雄執行委員長がこう語る。
「東海地方の局長会では、小選挙区の区割に合うように、部会の組織を再編成することまで行っています」
 しかも全特が影響力を有しているのは政治活動ばかりではない。「本業」たる郵政事業においても隠然たる力を持っているのだ。特定局長たちによる「特定郵便局業務推進連絡会」(特進連)がそれである。
 任意団体である全特とは異なり、特進連は大臣官房に直結している公的機関だ。営業活動などにおける郵政当局と特定局間の連絡機関という位置づけである。「全特とは違う組織である」(広報室)というのだが、全特の会長は特進連の全国連合会の会長も兼ねる。地方組織などの構成も重なりあっている。実際に取材した例から紹介すると、奈良県南部の南和(南大和の意)地区特定郵便局長会の前川藤吾会長は、同時に南和特定郵便局長業務推進連絡会の会長も兼ねている。特進連の最小単位も全特と同じように部会である。
 全く同じ顔ぶれでありながら、あるときは私的な任意団体、あるときは郵政省の公的機関という、いわば「公私」の別を実に巧みに使い分けているのである。
 この特進連が、特定局の局長補佐、総務主任といった役職者の人事権を事実上掌握している。制度上の任命権を持っている地方郵政局は、特推連の結論を追認するに過ぎない。したがって局長の「おぼえめでたくない」職員は、いつまで経っても承認できないことも現実に起こり得る。世襲して新たに就任した局長と古株の職員との反りが合わなかったりしたときには、特推連を通して、他の特定局の職員と「交換」するようなことまで行われているという。
 この傾向は特に東京に著しい。東京郵政局の某関係者は「特推連に押されっ放し」と内実を明かす。東京は人口が多い分、特定局の数も多い。特定局のあげる事業収益が東京郵政局全体でもかなりの高率となっているため、強力な発言権を保持する結果につながっているという。
 これ以外にも特定局長による団体として、「全国特定郵便局長協会連合会」(全協連)という財団法人がある。東京にある「全特六本木ビル」を所有するために設立された全特の財産管理団体である。この会長も全特、特推連の会長と同一人物が就くのがならわしとなっている。
 郵政事業は郵便、郵貯、簡保で三事業一体といわれているが、これをもじっていえば、特定郵便局は、局長たちによる全特、特推連、全協連という「三団体一体」の運営とでもいえばいいのだろうか。

■地域で果たす一定の役割

 このように、特定郵便局の局長たちが行使する「影響力」の源泉となっているのは、最初にも書いたように、特定局が地域に密着している点にある。これが彼らの強みなのだ。
 郵便局全体の都市部と郡部の設置割合はほぼ6対4。銀行など民間金融機関が8対2なのと比べれば、地域性の高いことがわかる。
 前出の南和特定郵便局長会は、地場産業の発展をはかるため、地元業者の生産による季節ごとの特産品を郵便小包で発送する「花・水・木領布会」を設立している。会員制による地域・対象限定版の『ふるさと小包』である。前川会長は「特定郵便局だからこそこういうことができる。特定局長には転勤がないから、地域に根をおろした活動ができる」と語った。
 領布会の事務局が置かれている吉野上市郵便局の亀田宏局長は五代目、世襲としては二代局長の曾祖父から数えて四代目の局長である。東京でのサラリーマン生活を経て、13年前、帰郷して父の後を継いだ。この郵便局は、眼下に吉野川が流れ、歌舞伎の演目で知られる妹背山にも近い。奈良県でも8番目に古く、明治初期にはもう開局していたというから、特定局の歴史そのもののような郵便局である。亀田局長は「特定局は上(郵政局)からの支持に従うだけではなく、それぞれの地域に応じた活動をしている」と語っている。
 確かに特定局が地域社会に果たす役割を否定することはできない。郵政省と全特、さらに全逓・全郵政ら労働組合(最近は労使一体となって民営化に抵抗する彼らを称して「郵政一家」と呼ぶ)が主張する「あまねく公平な郵政サービス」を、最前線で担っているのが特定局だからである。
 郵政事業の民営化を唱える小倉昌男ヤマト運輸元会長の持論は「民間ができないところこそ、公共の責任で国がやればいい」というものだ。「郵政省は、民間はいいとこどりをするというが、それでいいじゃないか」とも語っている。これは、もしヤマト運輸が郵便事業に参入した場合、黒字の見込める地域では営業しても、過疎地・遠隔地など採算のとれないような地域では営業しないという意味である。だがその先に見える光景は、郵政事業が赤字と化し、現在は独立採算となっている郵政事業に税金が補填されるというものではないだろうか。

■後継者難が表面化

 しかしだからといって、特定局の特異なありようが不問に付されていいわけではない。郵政省が敷地と局舎を借り上げるのはいい。賃貸料を払うのも当然だが、その持ち主が局長として国家公務員の地位に就き、しかもそれが実態として世襲されているのを尋常なことといえるだろうか。ふつうはこれを「既得権益」と呼ぶのではないか。
 特定郵便局長も最近は後継者難が表面化しつつある。所有者兼局長が定年退職した後もその子弟が継がず、郵政職員が人事異動で定年まで局長を務めるケースもみられるようになってきたという。地方の若者が一旦都会に出たら、簡単には戻ってこない。それでなくても特定局のように、少人数で人間関係が濃密な職場は敬遠される。給与も決して恵まれてはいない。また、例えば父親の局長が定年を迎えるころ、息子は30~40歳代の働き盛りだ。この先あり得べき地位や収入を放棄してまで、小さな郵便局の局長になることを選択するのには、かなりの決断を要する。
 そのため、このような後継者のいない特定局では、第三者に土地建物と一緒に局長としての「権利」を売買するようなケースさえあるという。やはり「既得権益」になっているのである。
 かつての特定局は、土地建物の提供を受ける見返りとして、所有者を局長の座に就けていた。そうでもしなければ誰も協力しなかったからである。しかし現代は状況が違う。オフィスビルのダブつきがいわれてから久しい都市部においては、郵便局=国というのは理想的な店子ではないか。よりよい物件を探すのにも困らない。農村部にあっても、所有する土地や農地の一部などに局舎を建てるなりして、家賃収入を得てもいいと考える人もいるはずである。どちらもべつに局長の身分がほしいとは思わないだろう。あるのは純粋なビジネスとしての感覚だけだ。
 世襲でなければ郵便局を確保できないという時代はとうに過ぎた。民営化には反対というしかないが、特定局の奇異な実態は改めるべきだろう。また、民営化に恐怖するあまり、かつては特定局の廃止さえ唱えた全逓が「特定局の所有者と局長が同一人物なのはたまたまの偶然」(菰田義憲企画部長)と、郵政当局ですら恥ずかしくて言わないような戯れ言を平然と口にしている有様も、醜悪の一言に尽きる。
 このような郵政一家の有様が知られれば知られるほど、国民の郵政事業への不信となって跳ね返ってくることを、当事者たちは思い知るべきである。
(肩書は取材当時)

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