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2007年5月

フリーメイスンへの誤解をとく必要がある

■宗教・政治・ビジネスの話は禁止

 大手一般企業で営業をしている若手会員が、「フリーメイスンの会員だとわかると白い目で見られて仕事にも影響するので、会員であることは公表できない」という。このような状況に、私は危機感を持っている。だいたいにおいて、フリーメイスンに強い偏見が持たれるのは先進国の中では日本だけだ。今回などは、オウム真理教によりフリーメイスンの陰謀説が流され、小沢一郎氏が会員であるかのような噂も流された。何か事件があるたびに、フリーメイスンと結びつけられるのは困ったものだ。現在、日本のフリーメイスン会員には、国会、県議会レベルの政治家はいない。もちろん、小沢一郎氏は会員でもなんでもない。また、いわゆる財界人といわれているような人も会員にはいない。

 フリーメイスンについて書かれる時、団体が行った行為なのか、個人の行為なのかが混同されている。確かに米国建国の父であるジョージ・ワシントンは会員だった。だからといって独立戦争がメイスンの仕業だとはいえないだろう。なぜなら、独立戦争の相手国の英国にも多くの会員がいたからである。
 そもそも、会員が儀式を行うために集まるいっさいの集会では、宗教・政治・ビジネスの話は禁じられている。そのため、会員同士が相手の社会的地位を知らないことはよくある。ましてや会員同士だからといってビジネスで遠慮し合うことはない。会員だったマッカーサー元帥が、同じ会員のトルーマン大統領に解任されたのは象徴的な事実だろう。

■保安条例とスパイ容疑と

 では、フリーメイスンが日本で異端視され続けているのはなぜだろうか?少し歴史をひもといてみよう。
 1887年、日本政府は自由民権運動を抑えるために保安条例を発し、秘匿性のあるすべての集会を禁じた。フリーメイスンは伝統的に役員就任式を除く儀式内容は公開していないため、秘匿性のある集会となってしまう。困ったメイスンは、時の井上馨外務大臣と面接して妥協に基づく紳士協定を結ぶ。内容は、日本政府がフリーメイスンの集会を取締の対象としない代わりに、メイスン側は日本人の入会は許さず、宣伝活動も行わないといったものだった。なお日本人の入会は1950年より解禁された。
 その後、日本が帝国主義的ナショナリズムの度合いを少しずつ増していくのにともない、大正末期から昭和初期の新聞や雑誌などに反メイスンの記事が現れた。さらに、第2次世界大戦中は、日本に残留した会員は、ほとんど例外なくスパイ容疑で拘禁され、かなりの数の会員が獄中で死亡した記録が残っている。
 このように、紳士協定によって日本人が会員になれなかったことと、長年にわたり反フリーメイスン・キャンペーンが続けられてきたことの2点が、日本人の心に偏見を宿らせる温床となった。また、10年ほど前から、フリーメイスンが世界を支配するといった内容の出版物が出回り始めた。およそ荒唐無稽な事が書いてあるものだが、日本人の心の奥深くにある偏見を刺激しているのは確かなようだ。

■開かれたメイスンに

 もちろんメイスン側にも問題がある。会員間の相互認識と会員相互の信頼感と団結を強めるために、儀式の内容を公開しない伝統が、会員以外の人に猜疑心と不信感を与えた。メイスンに対する誹謗中傷に全く取り合わない姿勢も、金儲けを狙うライターと出版社を助長させた。
 そのような結果が、日本人会員の数にも現れている。現在、日本での総会員数3000人分のうち日本人は300人しかいない。このような不均衡を打開するためにも、私はメイスンに対する日本人の誤解を解く必要があると考えている。
 具体的には、規則にそむかない形でメイスンを少し開かれたものにする。役員就任式のテレビ放送やビデオ制作も考えている。一方で、あまりにひどい誹謗中傷には、法律的な手段で対抗する。

 もともと、フリーメイスンは中世ヨーロッパにゴシック建設が流行したときに、親方や石工らが相互扶助の立場からギルドを作ったことに始まるといわれる。石工達は、建設現場近くにロッジと呼ばれる集会小屋を作り、食事・宿泊・設計・施工工事・技術指導などを行った。当時は文盲の人が大半だったので、建築技術上のノウハウはメイスンの間で、守秘義務とともに口伝され、同時に道徳教育もなされた。
 このような歴史の中で培われた儀式であるから、秘密の儀式といっても内容は道徳的なものだ。文盲の同士を教育するため、さまざまな大工道具が象徴的に説明に入ってきたのも当然だろう。オカルト的な儀式のための象徴ではない。
 あまり知られていないが、グランドロッジ設立と同時に、他のグランドロッジとの交流が始まるわけではない。グランドロッジとしての活動が深まり、他のグランドロッジから認められ、相互承認の手続きをとらない限り交流は生まれない。さらに、グランドロッジに上下関係はなく、統括する機関もない。このような状況では、世界征服などとても無理なことがわかるだろう。ついでにいえば、ロッジに集まるのもだいたい週1回で、世界征服する時間もない。

 入会勧誘もしてはいけない規則になっているため、あらぬ誤解を招いているようだが。無神論者ではないことと、家族のいるものはきちんと扶養していることなど、常識的な入会資格となっている。私も1963年に、好奇心から会員になった。会員は人種や宗教に差別されない。イスラエルのグランドロッジでは、イスラム教徒がグランドロッジの長になったこともあると聞いている。メイスンの理念を理解する助けになるだろう。

■フリーメイソンの視点から

--ここ数ヶ月の間、テレビや新聞などのメディアを通してオウム真理教に関するニュースが洪水のように流れてきます。オウム真理教については、どのような印象をお持ちでしょうか。

 これだけ大量の情報を受け取りながら、オウム真理教の実態そのものについてはきわめてあいまいであるというのは不思議なことです。オウム真理教に関する情報の大部分が、彼等の犯した凶悪な犯罪の報道であるためかもしれません。修業のための瞑想法としてヨーガが取り込まれており、仏教教団であるかと思うと、終末における善と悪との最後の決戦ハルマゲドンなど本来はキリスト教の思想を宣伝しています。話題の空中浮遊などは、道教の神仙を想起させる超能力です。オウム真理教は独自の教理を持たず、こうした諸宗教の寄せ集め的な教団ではないかという印象をもっています。フリーメイソンにも言及しているようですが、勘違いをしているらしく、まともに取り合う内容ではありません。

--かりに諸宗教の寄せ集めだとしても、それだけなら折衷的な宗教として理解できないことはありません。しかし、オウム真理教の場合には、さらに科学を取り込んでいる点がユニークだと思います。

 科学と宗教とは、じつはもともと相性がよく、俗にいわれているほど矛盾するものではありません。科学、特に近代自然科学というのは、ヨーロッパの歴史を抜きにしては考えられないわけですが、その起源を探っていけばいくほど科学そのものの宗教性を実感せざるを得ません。宗教と科学とをいきなり併置すると何か違和感がありますが、その間に魔術という項をおいてみると、もう少し両者のつながりが分かりやすくなります。
 科学は長い間自然哲学と呼ばれており、それより以前では自然魔術あるいは白魔術と重なっていました。魔術は、宗教よりもむしろ古くから存在する技術であり、人間や自然を、現象的には隠されて見えない特殊な力を探し出そうとする欲求こそ、近代自然科学を生み出す原動力となったのです。

--フリーメイソンは、科学と宗教という視点からどのように位置づけられるのですか。

 フリーメイソンは、宗教の世俗化の動きが頂点に達した18世紀という時代に登場する友愛団体です。初期のフリーメイソン指導者は、イギリスのデザキュリエ、アメリカのフランクリン、オーストリアのボルンなど、いずれも当時の代表的な自然科学者でした。フリーメイソンは近代という時代に登場した一種の理性宗教であったといえるかもしれません。そこでは、科学と信仰が矛盾することなく同居しています。しかし、いくら科学と宗教は相性がいいといっても、オウム真理教のように、宗教集団が毒ガス製造と結びつくことは絶対にあり得ないことです。

--オウム真理教では信徒を何種類かのイニシエーションに参入させることによって、教団におけるその地位を上昇させていくという手法をとっています。

 先日も、地下において絶食状態で何日も瞑想を続けるという修行法を紹介していましたが、修業あるいは試練というのは、密議宗教、仏教、キリスト教などほとんどすべての宗教が取り組んでいるものであり、何も目新しいものではありません。フリーメイソンも例外ではなく、そのイニシエーションにはさまざまな試練が儀式化されて取り込まれています。初期の頃は、親方・職人・徒弟の3位階しかなかったのですが、後には次々に高位位階を創設して儀礼も複雑化していきます。

--オウム真理教のイニシエーションや正大師や正悟師などの位階制などは、効果的な資金調達の手段として利用されていたようですが。

 18世紀のフリーメイソンでも、とくにドイツやフランスにおいてはさまざまなペテン師たちがフリーメイソンのロッジを利用して暗躍し、人々から金銭をむさぼるということがありました。何10種類のさまざまな位階のフリーメイソンの宝章を一台の馬車に満載し、それを高額の金を取って売り歩いたというペテン師の話も伝わっています。
 位階制に関しては、集団の中に置かれるとできるだけ中心に向かおうとする権力欲と名誉欲が人間にはあり、オウム心理教ならずとも、ほとんどすべての社会集団が、程度の差はあるにしても同じような手法を駆使して集団の秩序を維持しています。

--それにしてもなぜ多くの若者がオウム真理教に魅力を感じたのでしょう。

 超能力への憧れがあったという理由のほかに、集団への帰属願望も無視できない要素です。フリーメイソンが多くの人々を引き付けた大きな理由の1つは、くつろいで一時を過ごすことができるというクラブ的な雰囲気にありました。社会が個人と個人のこまやかな結びつきを失いつつあるとき、その内容がどのようなものであれ、同一の信条をもつ人間が集まって、現実の社会とは異なる別世界を構築する動きが出てくるのは十分に理解できます。家庭や学校や会社に居場所を失った若者たちがオウム真理教に引き寄せられていったのは、次章に希薄になりつつある現代社会の人間関係にも原因があったのではないでしょうか。

--オウム真理教のイニシエーションには薬物が頻繁に使用されています。

 宗教的イニシエーションと薬物が結びつく例は、古代から現代まで極めて多くあります。幻覚や陶酔感を呼び起こす神秘体験への近道として、阿片やコカイン、LSDなどの薬物が使用されたわけです。ギリシア時代の有名なエレシウス密議においても阿片が使用されたと主張する研究者は多くいます。この密議において信徒は、大麦の粉と水と薄荷を混ぜたキュケオンという飲み物を服用するのですが、そこには阿片が混入されたいたと思われます。
 最近の例でも、コカイン密輸で逮捕された書店社長がいますが、聞くところによると彼は自分が建立した神殿において宗教儀礼を行っていたといいます。コカインがそこで使用されていた可能性は充分にあります。オウム真理教においても、幻覚剤をイニシエーションのさいにうまく利用しながら、信徒に終末論的な幻覚体験を起こさせていたと考えられるわけです。オウム真理教の科学班の本来の任務は、このイニシエーションにおいて使用される幻覚剤の調合ではなかったかと推測されます。

--現代社会にオウム真理教が投げかけた教訓とは何だったのですか。

 近代自然科学が確立すると、それまでの魔術を迷信として葬り去ろうとしますが、私などは科学が今なお魔術の呪縛から抜け出していないと思います。むしろ、自然の隠された力への確信をもっているという点において、逆説的かもしてませんが、科学は、宗教や魔術成なしには成立しないといったほうがよいでしょう。
 テレビ・ラジオ、高速輸送、宇宙飛行、コンピューター、臓器移植、遺伝子治療など、現代文明を彩るすべての高度技術には、人間と自然を支配しようとする魔術の陰が落ちています。こうした技術と裏腹に、原爆や毒ガスなどの大量殺戮兵器などが存在しているわけです。問題は、科学の悪魔的な側面を見てそれをすべて否定するではなく、そうした危険な要素をもつ科学を誤用しないだけの批判力を育てる教育が必要であるということです。オウム真理教の事件は、科学技術の支配する近代という時代が、一皮むくと直ちに悪魔性をむきだしてくるということへの警鐘であったといえるでしょう。(■片桐三郎・日本フリーメイソン本部グランドロッジ広報委員会委員長。1925年生まれ。)

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キリングフィールド・大量虐殺される猿

(月刊『記録』99年2月号掲載記事)

 サルの被害が農家を追い込んでいる。全国で、年間5000万円以上の被害額を提示している県も多い。そこで出された対策が、サルの撲滅作戦だ。しかし対象となるサルは、現在、『レッドデータブック』に載せられている、絶滅危惧種のニホンザルだ。絶滅にひた走るニホンザルと人々の闘いを追う。

■巨大な穴に積み重なる死体

 そのオリは、庭先に置かれていた。玄関先から50メートルもないだろう。ビニールハウスで育てられている花を守るため、設置されたものだという。
 朝、猟友会長がサルを始末したオリには、子どもの手のひらほどの血痕が残っていた。殺されてから数時間しかたっていないことは、血がまだ完全には乾いていないことからもわかる。
 庭を覆う砂混じりの薄茶色の土が、真っ赤なはずの血を少し明るく見せるのだろう。足元の土にしみ込んでいた鮮血は、少しピンクがかって見えた。
 サルを捕らえたオリは、幅3メートル、長さは6メートル、高さは2メートルほど。さびた鉄のフレームに、金網が張りめぐらされ、入り口の鉄格子がワイヤーで引き上げられていた。猟友会長がセットした、サルをおびき寄せるための豆が鉄の皿にきれいに盛られていた。
 サルがそのエサに手を触れれば、ワイヤーでつり上げられていた重い鉄格子が、たちどころに落ちてくる仕組みだ。サルがどんなにすばやく動いても、鉄格子がしまり始めたらオリから逃れられない。もちろん重い鉄格子を持ち上げるほどの腕力も、サルにはない。結局、オリにある残りのエサを食べながら、3日に一度回ってくる猟友会のメンバーをサルは待つことになる。そしてハンターが来たときに、彼らの命は終わりを告げる。
「オリにかかったサルの9割方は、殴って殺しているよ。サルがオリの中で牙をむきだしてオレを威嚇している場合や、5匹も6匹も一度にサルがかかった場合は、7~8メートル離れて鉄砲で撃つけどな。撲殺には、1メートルくらいの堅いカシの木の棒を使っている。バットみたいものを想像してもらえればいい。
 棒を振り回す必要なんかないんだ。オリの中のサルはおとなしく座ってるから、まずオリにオレが入って棒でちょっと脅すだろ。そうするとサルは中を行ったり来たり、走り始めるわけ。それでサルがこっちに向かって来たときに合わせて、ちょっと棒を当てれば動かなくなるから。べつに頭じゃなくても、どこでもいいんだよ。それから頭に棒を振り下ろせば、死んじゃうからね。むつかしいくもない」と、猟友会長は語った。
 ぐったりと動かなくなったサルは、南京袋へと入れられる。ニホンザルの平均的な体重は、オスならば10~15㎏ほどだ。特に畑の作物を荒らしていたこのあたりのサルは栄養状態もよく、野生のサルと比べて一回りは大きいという。サルをつめた南京袋はずしりと重い。その袋を猟友会のメンバーは車に運び込む。
 死体埋葬場は、人里から少し離れた山中にある。深さ5~6メートル、直径10メートルほどの穴が、ショベルカーで掘られている。すりばち状に掘られたこの巨大な穴に、サルを投げ込み、土を被す。こうして死体が穴を、少しずつ埋めていくのである。

■誰も殺したくない

 4つのオリを回れば、だいたい1匹は殺すことになる。そのサルを埋め終るまでの全行程は約3時間かかる。作物の収穫時期などサルの多発するとき以外は、それをほぼ1人で行っている。しかも3日に1回は、オリを回らなければならない。もちろん、サルはおとなしいとはいっても、野生動物だけに、危険もともなわないとは限らない。
 だが、猟友会に支払われる駆除対策費は、年間わずか90万円でしかない。それでも97年度は160匹以上のサルを殺さなければならなかった。今年度もすでに100匹以上のサルを駆除している。そのうえ作物の収穫期ともなれば、作物を襲っているサルを殺すために、いきなり呼びつけられることさえあるという。
 この町で猿害対策を一気に引き受けているJA(農業協同組合)の職員は、猟友会の気持ちを代弁する。
「年間で90万円じゃ、猟友会の皆さんの日当にすらなっていないでしょ。もちろん皆さん本業を抱えてますから、忙しいですしね。猟友会の会長さんも悲鳴をあげています。でも町の皆から頼まれて、仕方なく引き受けているのが実状です」
 その言葉に、ウソはないだろう。
「サルを殺すと呪われる」「サルに銃を向けると拝んで許しを請う」。サルにはそんな逸話がついて回る。実際この地方でも、撃ち殺された母ザルを抱えた小ザルが、猟師の家まで押しかけたといった伝説が残っている。知能の高さと見た目が、あまりに人間を思い起こさせるためだろうか。
 これらの事情により、多くの地域でサルの駆除はいやがられる。東京都の西部で取材した時は、「いくら要望を出しても、ハンターが空に向かって撃つだけで、いっこうにサルを殺してくれない」という苦情も聞いた。また、サルを殺すのに1匹1万円でもやり手が見つからず、仕方ないので2万円まで値をつり上げた地域がある、といった話も耳に届いている。
 しかしそれでも多くの地域で、サルは殺され続けている。農作物に対するサルの深刻な被害に、打つ手のない闘いを強いられている住民がいるのである。

■年間9千匹以上を駆除

 現在、日本全国で殺されまくっているサルは、日本にしか生息しない固有種・ニホンザルである。つまり日本で絶滅すれば、地球からこの種は消える。一部の観光地で餌付けされたり、猿回しに使われたりしているので、危機的状況にあるとは認識されにくいが、国際自然保護連合の作る『レッドデータブック』には、絶滅危惧種として名前が載せられている。霊長類のなかでは、この他、ゴリラとチンパンジーがニホンザルと同じ絶滅危惧種に指定されている。
 にもかかわらず、ニホンザルの駆除数は、1996年まで増え続けてきた。最も駆除数が多い96年には、9000匹以上ものニホンザルが殺されたのである。
 ところが実は、ニホンザルの正確な生息数はわかっていないのだ。おおよそ10万匹前後と研究者は推定しているが、それさえもプラス・マイナスにして大変な誤差を含んでいるという。だから年間に9000匹以上を殺している今、種がどれほど危機的なダメージを被っているのか、誰にもわからないのである。しかしニホンザルを保護しようといった試みは、いまだにどこの地域でもなされてはいない。
 ニホンザルを駆除する時には、県もしくは市町村に有害駆除申請を提出しなければならない仕組みになっている。本来であれば、この時点で自治体によって、ニホンザルの生息数と駆除数との間でバランスが取られ、絶滅の危機から救われるはずである。しかし実際のところは、二者の関連はまったくかんがみられることなく、適当に許可が出され、駆除されているのが現状だ。

■モンキーセンターの責任

 さらに驚くべきことがあった。
 それはサルの駆除を効率的に進めるため、群れ単位による生け捕りを推奨した、サルの研究機関があったことだ。財団法人日本モンキーセンターがそれである。
 この団体のホームページによれば、「サル類に関する総合的な調査研究、サル類を主体とした動物園運営、野生ニホンザルの適正な保護繁殖」を行うことが目的となっている。そして、こうした目的のもとで研究の粋を集めて作られたのが、通称「地獄檻」と呼ばれる、ニホンザルの撃滅装置なのである。
 この地獄檻について、モンキーセンターの職員は次のように語っている。
「もともとサルの調査捕獲のために、40年ほど前にイノシシ用のオリを改造して作り上げたものです。大きなオリで捕獲を行うことにより、サルを群れごと捕らえることができるのです。
 その後、猿害に悩む市町村がニホンザルを捕獲するに際し、群れごと捕る方法を私どもが指導しました。けれどずいぶん昔のことです。現在は、その方式が自然に広がったため、もう私どもも指導はしていません」
 なんとこの地獄檻を作ったモンキーセンターは、各都道府県に捕り方の指導までしたという。そして捕らえたニホンザルをモンキーセンター内で飼育し、実験動物として売り払ったりもしていたという。こうした内情を知れば、「群れごと捕らえれば個体調整(種の数を調整すること)を行う場合にもバランス良く駆除できますから」というモンキーセンター職員の言葉も、白々しく聞こえることだろう。
 だが、市町村の補助金で建設されたこの地獄檻は、町の農園主、つまり動物のシロウトに生きた大量のサルをプレゼントすることになってしまった。獣医などいちいち呼んではいられない。しかし畑を荒らす元凶を野放しにする気にもなれない。となれば実験動物や動物園の客寄せとして引き取られない限りは、イヤイヤながらも猟友会がサルを始末するしかないのである。
 生け捕りの機能しかない地獄檻を、全国に流通させてしまった日本モンキーセンターの責任は軽くはない。生け捕りしかできないとはいえ、結果的に、サルは群れ単位で殺されるため、他の駆除方法より絶滅の可能性も高まってしまったのである。

■法改正が駆除を増やす

 サルの駆除については、まだ問題がある。
 それは現在、鳥獣保護法の改正が進んでおり、有害鳥獣駆除の許可権限が都道府県から市町村に、どんどん下ろされつつあることだ。実は、許可権限が市町村の手にわたると、ニホンザルの駆除数が劇的に増大することは統計的に裏づけられている。八五年には、前年の倍近いニホンザルが駆除されている。駆除申請が身近になれば、駆除数が多くのなることがわかる。
 そして許可権限を市町村に委任している都道府県数は、97年9月の段階で、24都道府県と、85年当時の倍近い数字になっている。もちろん、こうした県が今後も増えていくことには間違いない。その結果、どこまで駆除数が伸びていくのかは、はかりしれないのである。
 野生動物の権威としても有名な羽山伸一 日本獣医畜産大学講師は、ニホンザルを取り巻く環境をこう嘆く。
「現在、猿害の対策として計画的にニホンザルを駆除している県は、千葉・神奈川・栃木ぐらいのものです。そのうえ、野生のサルは県を超えて移動しますから、せっかく計画的にニホンザルを保護しようと思っていても、他県に足を踏み入れたがために殺されてしまった群れもいたりするのです」
  絶滅の危機はまさに近づいている。

■対策を立てない役人たち

 絶滅危惧種の保護をしないならば、せめて農作物への被害対策ぐらいは、きちんとした政策の下に行われていそうなものだが、これまたお粗末な実態が浮かび上がってきている。
 各方面からの批判を避けるため、匿名での取材に応じてくれた先述のJA職員は、猿害に対する国や県の姿勢を真っ向から批判する。
  「環境庁から県そして町へと、『有害鳥獣駆除取扱要領の一部改正について』という書類が通達されました。そこには関係者間の連携強化等という項目があり、『関係地域において、市町村、農業共同組合、森林組合等の関係機関による連絡協議会等の設置をするよう各関係機関に指導することとされた』と書いてあるんですよ。
 ところがいざ作ってみても、協議会には、国からも県からも予算がつかない。町の補助金、生産部会つまり農業団体の負担金、JAの補助金などによって成り立っているわけです。私どもの町では、わずか130万円弱の経費で、駆除費や会の維持費をまかっているんです。
 しかも猿害にきちんと対処しようという政策がない。中央官庁の役人は、役所内での賞を取るために机上で勝手な対策を考えるけれども、自ら責任で事態を改善しようとはしません。だから地元でも状況は変わりません。協議会を作っても、責任のたらい回しになっている地域が多いのです。
 というのも、サルを個体調整しなければ暮らせないほど、地元農家が被害をこうむっている一方で、自然保護の観点から、駆除数の増大にはいっせいに非難の声が上がるでしょ。だからこの問題は、誰も触れたくないんです。だから責任をもってだれかが立ち上がるまで、駆除対策も進まない。
 私も個人的には自然保護の立場を取っていますが、住民の生活圏が脅かされる以上、サルは駆除せざるをえませんし」
 彼の言葉を証明するように、私が町役場に猿害の取材を申し込んだ時にも、「すべてはJAに聞いてくれ」と言われている。問題が起こっても、触らないようにする体質は、役所体質そのものである。その結果、予算もつかない猿害対策に、営利団体であるJAが中心になって動かなければならないといった事態も起こっているのである。
 だが猿害の実態は、すでに市町村レベルで対応できない事態にまで発展しているのである。
 たとえば、本誌編集部が各都道府県に聞いた、97年度のサルによる農作被害総額は、新潟県で1億1057万円、山梨県で8700万円、山形県で7709万円、千葉県で7425万円など、5000万円を超えている県が7県もあったのである。しかも猿害の被害総額を調査をしていない県や、調査結果を公表しない県が19もあるなかでである。この統計金額のほとんどは、申告被害額であることから、実際の被害金額がこの額を大幅に上回ることは間違いない。
 また、全国のサル被害をまとめた唯一の出版物である『87年度 鳥獣害性対策調査報告書』も、猿害がどれだけ深刻かをうかがわせる。
 たとえば、調査対象となった全国465市町村で育てられたシイタケは、作付面積の18.5%が、芋類は11.94%が、果樹では10.06%が被害にあっているのだ。つまり被害にあった人がシイタケで生計を立てていたとすれば、平均で18%以上もの収入ダウンが、サルによってもたらされたことになるのである。

■コストとメンテナンスがネックに

 各地で、サルと人間の戦争が繰り広げられている。
 95年2月には、東京八王子で農作物を狙うサルを追い払うためにロケット花火を打ち上げ、約50アールもの山林を焼いてしまう事件が起きている。
 サルを追い払う道具も多く開発されている。サルを探知すると爆発音を鳴らす機械は、一時期もてはやされたが、サルが音に慣れるまでの1ヵ月ほどしか効果がなかったと報告されている。天敵を放つ方法も研究され、格好がグロテスクな七面鳥やオオカミの効用が検討されたが、決定的な方法とはなりえていない。
 サルを撃退するのではなく、あくまでも畑や果樹園だけを守ろうとする方法もある。
 最も一般的なのは電柵だ。サルが柵を越えようとすると、電流が流れるように仕掛けがされているものだ。しかし現状の猿害対策としては、最も効果があるいわれる電柵も、いくつかの問題を抱えている。それは電柵を設置後に、しっかりしたメンテナンスをしなければ、効果を発揮させられないことだ。さらに設置コストがメートルごとに2000円近くかかるこのも頭の痛い事実だ。
 先述の羽山氏も、次のように語る。
「まず、電柵の張り方の指導がしっかりしていなければ、サルは電気に触れないで畑に入れる道を見つけます。さらに電柵を張ったあと、こまめなメンテナンスが必要になります。漏電のチェックや、漏電原因となる下草刈りなども重要です。
 市町村単位で電柵を導入した場合には、1つの市町村に1~2人の非常勤職員を置いて、メンテナンスを指導する必要があるでしょう」
 一方、メンテナンス以前の問題として、電柵の効果に不信感を抱いている人もいる。猿害の研究をしている研究者が多く訪れている長野県飯島町で、猿害を食い止めようと対策に走り回っている北原秀美課長だ。
「1メートルあたり2000円をかけて、その分の採算が取れるような作物を育てている農家はいいですよ。例えば果樹だとかは、それでどうにかなるでしょう。でも、そういった作物を育てていない農家は、猿害がそこらじゅうで起こっていて、県からの補助金も出ない状況では、農業をあきらめざるをえないんです。
 それにたとえ1つの畑で効果が出ても、サルは隣の畑にエサを取りにいくだけですからね」
 またこの飯島町でリンゴ農園を経営し、2度も電柵を張った経験をもつ男性も、次のように証言する。
「2度目に電柵を張ったときには、地方大学の偉い教授が張り方の指導をしてくれました。それで2年間は効果があった。ところが1ヵ所あるほころびから、サルが侵入したんですよ。
 そりゃ大変だということで、サルを追い回したら、しびれるのもがまんして電柵を越えてしまったんです。そうやって電柵を越えるのを覚えたら、もうダメですよ。好き放題に、柵の中に入るようになりました。
 どんなに見張っていても、ちょっとしたすきに50~60匹できて、今年のリンゴだけじゃなく、来年実のなる枝まで折っていく。電柵なんか、まったく意味がなくなりました。
 結局、今まで一番効果のあったのは、電柵ではなく庭で飼った犬ですよ。それでさえも収穫の1割は、サルに食われてしまいましたけれど……」
 結局、飯島町では個体調整も使い、どうにか被害を食い止めようとしている。しかしそれでも、荒れ果てた畑が目につく。農業をあきらめた人達がもっていた畑だ。
「この町は戦後に開拓が始まった土地です。自分の父親が1クワ、1つクワ耕して、土地を改良して、農業を営めるようにしたんです。そして私らの代が継ぎ、懸命に農業を支えてきた。なんとか安定した収入も得られるようになりました。それなのにサルのお陰で、畑がどんどん荒れ地になっていく。それがつらいんですよ」
 設備投資も済み、それなりに農業で暮らしていける見込みが立ったところにサルが現れ、農業を継ぐのを辞めた人が少なくないのである。
 猿害への無策が、地元の農業経営者とサルを追い込んでいる。個体調整でしか問題解決への足がかりを得られない市町村。責任をたらい回しに巻き込まれたJA。被害に泣くしかない農家。3日に1回づつサルを殺させられている猟友会。そして絶滅にひた走るニホンザル。誰もが被害者であり、速急な対策が必要なのである。

■予算が必要だ

 この八方ふさがりともいえる状況をどうすればいいのか。そのヒントを、先述の羽山氏が語る。
  「野生のサルといっても、餌付けされいる状態と、まったくの野生では繁殖力も違います。餌付けしている群れならば、3歳から妊娠が始まりますし、発情期のメスのほぼ100%が妊娠します。ところが山に住む野生のサルは、妊娠が始まるのも6~7歳ですし、妊娠率も50%弱に落ちてしまいます。そのため一地域では爆発的にサルが増え、一方の地域では絶滅寸前の個体数までサルが減っていたりします。
 だからこそどの地域に、どのような群れがいるのかを正確に調査し、ニホンザルの保護を計画的に行っていく必要があるのです。もちろんそのためには、お金が必要になります。日本では野生動物全体の保護に40億円しかかけられていません。それは米国における1つの州の野生動物関連予算の3分の1にも満たないんです。環境庁にお金がなければ、農林水産省でもいい。
 そうしてヨーロッパのように自然保護そのものが利益を生むような社会を作る必要があると思います」

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24時間風呂騒動のウラに東京ガス?

(月刊『記録』 97年5月号掲載記事)

「幸田電機製作所の社長には、もう少し頑張れと言ったんですけれども。破産してからは、携帯電話にかけても誰も出ない状態が続いています。借金の取り立てなどもあるから、おそらく電話にも出られないんですよ。『通産省を相手に訴訟を起こしたいぐらいだ』と、彼もこの騒動にはずいぶんと怒っていました」。そう力なく語り、二四時間風呂協議会の幹事・酒井応速氏は、しばらく口を閉ざした。

 幸田電機製作所は二月五日に負債総額八億円で破産宣言。ジハードも二月一〇日に負債総額約七億円を抱えて事実上倒産。いずれも二四時間風呂のメーカだ。さらに規模の小さい販売店なども、経営危機に直面している。
 大手企業も、大きな痛手を受けた。二四時間風呂のメーカーで最大シェアを占める蛇の目ミシン工業では、九七年三月期の決算で経常損益が一九億円の赤字になるとの見通しを発表している。二四時間風呂の売り上げは、年間で一三〇億円と見込んでいたが、九〇億円にとどまる見込みだ。この騒動のマイナス分が、そのまま赤字になった計算だ。
 これらの原因は、放漫経営でも景気の悪化でもない。通商産業省のあるプレス発表だった。

 一九九六年一二月一八日、通産省は二四時間風呂の製造・販売業者に対する安全対策の要請と第一回二四時間風呂衛生問題検討専門家会議の開催、そしてプレス発表を同時に行った。同省が作成した資料には、このような要請を行った理由が、次のように書かれている。
「『二四時間風呂』を設置した浴槽水中においてレジオネラ属菌(感染の主要症状は肺炎等で重症者は致死率が高い)の高いレベルでの繁殖が高率で観察される事例が学会等で近時、報告されている。また、その他の雑菌によるものと思われる細菌感染等のクレームが数件、各地の消費生活センター等に寄せられている。(中略)『二四時間風呂』については、現時点では、これを感染源とするレジオネラ肺炎の報告事例は承知しておらず、危害発生の蓋然性は疫学的評価によらざるを得ない状況にあるものの、以上のような衛生面の問題が提起されるに至っている」(要旨)。
 二四時間風呂でレジオネラ肺炎に感染した事例がないにもかかわらず、危険性予防のために情報を公開し、専門家による会議を開催したというのだから、お役所にしてはずいぶんと素早い対応だ。何といっても二四時間風呂の製造・販売業者には、通産省のこのような動きが寝耳に水の話だったというのだから、どれだけ素早かったのかがわかるだろう。

■素早過ぎる対応の意味

 調べてみるうちに通産省はこの件に限っては「素早い」どころか「素早過ぎる」ことがわかった。同省が作成したホームページには、国立予防衛生研究所の遠藤卓郎室長が、二四時間風呂とレジオネラ菌について講演したのが九六年一二月六日で、愛知医科大学微生物研究室の薮内英子客員教授が、二四時間風呂とレジオネラ菌に関する論文を発表したのが、九六年の一二月一六日とある。これでは情報を聞いてから二週間ほどで専門家会議まで設定したことになる。常識では間に合うはずはない。

 この点について二四時間風呂の問題を担当している通産省生活産業局住宅産業課の小野洋太課長補佐は、「この問題について通産省が動き始めたのは一一月ごろです。住宅産業課の高橋武秀課長が、『二四時間風呂には問題があるかもしれない』という話を聞きつけ、調査が始まりました」と語り、ホームページ掲載の情報以前に疑っていたことを告白する。
 ならばそのことも公開して何ら問題はないはずである。ところが高橋課長がどこから情報を聞きつけてきたのかを質問すると、「課長はノーコメントです」という答えが返ってきた。妙なところで扉が閉まるものだ。
 「素早過ぎる」背景には他にも不思議なことがある。例えばレジオネラ菌に対しての安全基準はこれまで厚生省が担当していた。いくら二四時間風呂が製品として通産省住宅産業課に属していても、いきなりレジオネラ菌との関係を調査するのは不自然ではないか。しかも、通産省が厚生省に協力を要請したのは、一二月に入ってからだと厚生省側は証言しているのである。

■スポンサーは東京ガス

 この疑問を解決するキーパーソンとみられるのがレジオネラ属菌の第一人者であり、専門家会議の中心的な人物である薮内英子氏である。過去に厚生省からの予算を得て、温泉浴槽内のレジオネラ菌に関する「レジオネラ属菌防除指針」を作り上げた薮内氏が、自ら通産省に売り込みにいっているのは、「薮内先生から、こういう実験(二四時間風呂とレジオネラ菌についての実験)をするのですがと、情報を寄せてくださったのです」との小野課長補佐の証言でわかった。薮内氏の論文の完成を通産省が急がせたという噂も関係者の間でささやかれている。

 もう一人のキーパーソンが内村泰教授である。彼は九七年一月二九日に行われた第二回専門家会議に、ゲストスピーカーとして出席し、九六年七月から行っていた彼の研究の中間報告を行っている。それは、二四時間風呂を新規に設置した六つのモニターから、毎週決まった時間に水をくみ取り、レジオネラ菌の量を測定するというものだ。実験では、さまざまなメーカーの二四時間風呂を使い、説明書通りに浴水の交換や洗浄などを行ったにもかかわらず、すべての浴槽から高濃度のレジオネラ菌が検出されていた。つまり二四時間風呂の危険性を証明するには、またとない実験結果だったのだ。
 学会で発表されてもいない実験途中の研究を、あえて俎上に上げた理由として小野課長補佐は「私どもが委員会を開いているのを聞いて内村先生が情報を寄せてきた」と発言している。

 要するに藪内氏と内村氏という学者が自らの研究を自発的に通産省に知らせ、同省も打てば響くように一学究の声に応えて迅速に結論を出したといいたいようである。確かにありえない話ではない。だが普段の学者と役人の姿を思い起こすにつけ「素早過ぎる」との違和感が拭えない。さらに取材を続けると意外な事実がわかった。
 実は、通産省は内村氏から情報を得たのではなく、内村氏の研究のスポンサーから情報を得ていたのである。一ヶ月に一度、内村氏がスポンサーに提出していた情報を通産省は確認し、内村氏への専門家会議への出席を依頼したである。そのスポンサーとは東京ガスである。

■二四時間風呂叩きに二千万円投入

 内村氏は本誌の取材に対し、「(東京ガスからの依頼は)九五年の一二月頃に、隣の研究室の後輩が『研究費がつくけれども、実験をしないか』と声を掛けてきたんです。ちょうど、その時は卒論論文の研究も始まっていましたし、学生の手配なども考えるとできる状況ではなかったので、『やってもいいけれど、四月があけてからだね』と答えました。
 その実験は、私に紹介してくれた後輩の友人が、ある会社の社長と知り合いで、その会社をパイプ役にして任された仕事なんです。その実験に、私から出した注文は、一つの会社をいじめることにならないように、二四時間風呂の機種をいくつか使うことでした」と打ち明ける。

 人の紹介で研究依頼が来ること自体は、理系の研究室では当たり前のことだが、研究費のかけ方は普通ではなかった。実験器具はもちろんのこと、実験に使う新品の二四時間風呂まで購入し、モニターの風呂に備え付けたという。これらの総額は一千万円。その上、仲介の会社にも同額のお金を支払っているだろうと、内村氏は語っている。
 いったい二千万円もの研究費を、東京ガスは何を目的に支出したのだろうか。東京ガスは二四時間風呂を製造していないので二四時間風呂のレジオネラ菌を調べる理由は全く見あたらない。厳密にいえば、東京ガスは九五年一〇月に二四時間風呂を発売する予定で商品開発を進めていたが、同年春頃にレジオネラ菌が繁殖する危険を察知し、結局安全な基準まで水を浄化することができず、いままで発売を見合わせている経緯がある。
 つまり東京ガスは自社の製品でレジオネラ菌を減らせないことが明らかになった後に、大金をかけて他社のレジオネラ菌の数を学者に調べさせ、その情報を通産省に売り込んだという構図になる。東京ガスが何を狙ったのか勘ぐるなといっても難しい話ではないか。
 内村氏によれば、通産省の役人と東京ガスの社員、そして内村氏で合った時、通産省側は「何でそちらでやらないんですか」と、研究資料だけをため込み自社開発に結びつけようとしない東京ガスの態度に驚いたという。通産省でなくとも他社製品の危険性を確かめるために二千万円ものお金を使うのは、とても理解できない。唯一、合理的な説明がつくとすれば、初めから東京ガスは他社の二四時間風呂製品が持つ欠陥を宣伝するためだけに、実験を行ったということだ。
 それを裏付ける内村氏の証言もある。「実は九六年一二月に、私は自分の研究結果を新聞社に提供しようと考えたことがありました。ところがどうも通産省が動いていると聞いたので、私が先んじる必要もないと思い直しました」。

■レジオネラ菌は周りにウヨウヨ

 さらに不思議なのは二四時間風呂騒動の決定打となった「レジオネラ菌」なる細菌である。商品化の過程でレジオネラ菌の存在に気づいた東京ガスが、義憤にかられて危険な他社製品を告発した・・・・という筋立ても考えられなくはないが、それはレジオネラ菌が本当に危険でなければなるまい。

 まず確認しておきたいのはレジオネラ菌は、どこにでもいる菌である上に、どれだけ菌がいれば危ないのかという基準も確立していないということだ。
 菌は自然界にウヨウヨしている他、人工の環境では温かい水のあるところが大好きだ。たとえば加湿器や、温水器、温泉などにも普通に存在している。どこの風呂にもかなりの確率で存在するといっても過言ではない。だから二四時間風呂が微生物を使った「バイオ方式」という浄化装置や紫外線・オゾンなど、レジオネラ菌に効果がない殺菌装置に頼っている限り、レジオネラ菌は確実に浴槽に入り込む。一般の浴槽にもレジオネラ菌はウヨウヨいるが、増殖するためにはかなりの日数が必要なために、水を入れ替える分だけ二四時間風呂ほど高濃度にならないというだけの話だ。
 問題は、この菌を含む水などのエアロゾルや土埃を人間が吸引すると、レジオネラ肺炎を発病する場合があることである。この菌は、一九七六年年七月五日から八月一六日までに、ペンシルベニア州で二二一人の肺炎患者を発生させ、そのうち二九人を死亡させた原因菌として最初に注目された。適切で強力な治療を受けなければ、発病後数日以内に死亡するといわれている。患者で最も多いのは、老人や子どもやなど抵抗力のない人だが、健康な人でも発病する場合もあるという。
 つまりレジオネラ菌とはテレビドラマみたいなものだ。日常にあふれかえっており、中には犯罪に結びつく内容を含んだものもあろうが、気にしていても排除できるものではないし、目くじら立てて根絶するほどでもないといったところだ。
 例えば、九三年三月に行われた国民生活センターの調査では、大腸菌の数や、一般細菌の数を調査しているがレジオネラ菌の調査はしていない。そして「公衆浴場水質基準を十分に満たしている」「二ヶ月経ってもお湯がきれいなので、浄化効果がある間は浴槽の掃除は不要だといえるだろう」と結論づけている。
 これらの事実からもわかる通り、東京ガスの調査は「二四時間風呂にはどこにでもいる菌がいた」ということを大金かけて証明したことになる。

■何者かが騒動を大きくした

 次に東京ガスの動きに呼応した通産省の思惑を考察したい。
 レジオネラ菌は、普通の細菌用培地では増殖しない。全国旅環境衛生同業組合連合会が作成した「レジオネラ属菌防除指針」から引用すれば、「レジオネラ菌は通常の細菌学用培地には発生しないので、一般水質検査のための細菌検査をどれほど入念に実施しても決して発見されない。純培養菌はグラム陰性細菌であるが、検査材料をスライドグラスに直接塗抹して染色しても見いだせない」というほど大作業なのである。レジオネラ菌はそれを調べることを目的としなければ、絶対に見つからない菌なのである。

 これで通産省が動き出したのが一一月という事実も合点がいく。内村氏がレジオネラ菌の数を最初に測定した浴槽水は、一〇月二一日に浴槽から取り出されたものだった。レジオネラ菌は、培地に移してすぐ育つものではないため、三六度で五~七日、培養する必要がある。つまり一〇月二一日に取り出された菌は、早くても一〇月二六日にならないと、結果が出せなかった計算になる。
 レジオネラ菌の数の推移を調べる検査は、この後、一〇月二八日と、一一月五日に行われているため、一一月初めごろにはレジオネラ菌の数がかなりわかっていたものと思われる。つまり通産省が動き始めた時期は、東京ガスが検査結果を手にした時期と一致する。

 通産省の勘ぐりたくなる動きは他にもある。
 レジオネラ菌対策を練るために官庁が有識者を集めたのは、通産省が初めてではない。九四年には、ビルなどに設置されている水冷式冷却塔の冷却水の危険性が専門家より指摘され、厚生省生活衛生局が動き出して、「レジオネラ症防止指針」を監修・発表している。さらに同年四月には、温泉浴槽での危険が指摘されたため、全国旅館環境衛生同業組合連合が厚生省に働きかけ、同省の予算を獲得し、再度温泉を調査。九五年三月には「レジオネラ属菌防除指針」を作成している。しかし、どちらも「騒動」と呼ばれるほど大きな混乱を起こさず、指針が発表されているのである。ここが二四時間風呂騒動との大きな違いなのだ。
「レジオネラ症防止指針」を監修した厚生省生活衛生局企画課によれば、安全基準を定めるために、所轄の官庁が有識者の検討会を作るのは、しごく当たり前の方法だという。つまり、通産省が「専門家会議」を開いたこと自体は異例でも何でもない。気になるのがマスコミへの対応である。

 通産省が記者発表した翌日の一二月一九日、『朝日新聞』の朝刊には、「二四時間ぶろにレジオネラ菌 通産省が対策要請」という記事を掲載している。扱いはあまり大きいものではなかった。前述の酒井氏によれば、当時は売り上げが激減するような事態にはならなかったという。
 事態が深刻化したのは、一月二七日だった。『産業経済新聞』が朝刊で、一部メーカーが販売を中止することをスッパ抜いたのだ。その翌日には『日本経済新聞』が、九段抜きで詳細を報じた。「各社に電話が殺到して、とても通常の業務をできる状態ではなくなりました」と、酒井氏は当時のことを語っている。
 通産省が製造・販売を中止している企業があると、正式に認めたのは一月二九日だ。いったい『産経新聞』のネタは、どこから流れてきたのだろうか? 当時、各社の対応をすべて知っていたのが誰なのかを考えると、通産省から漏れたという噂にも信憑性がわく。
 しかし、二四時間風呂の問題を担当している通産省生活産業局住宅産業課の小野洋太課長補佐は、「私達は知りませんよ。新聞社が調べたんでしょ」とつれない。
 記者クラブを通じて各社に情報を流すのと、一社だけに情報を流すのでは、新聞社の食いつきは変わってくる。記者クラブからの情報だけだったなら、これほど大きな扱いになっただろうか?

 また当時、通産省に電話で詳細を問い合わした男性は、次のように語っている。
「通産省に電話をかけると、『ばい菌がウジャウジャいるんですよ。すぐ取り外しなさい』と言われました。二四時間風呂を欠陥商品だと決めつけた言いぐさでした」。
 通産省が二四時間風呂を取り上げたのは、消費者の前に製造元が隠している情報を公開するのが目的だったと聞いている。初めから欠陥商品だと決めつけたような電話の対応など、論外である。

■ガス使用量の低下阻止が動機か?

 東京ガスが通産省と結託して二四時間風呂を追い落とそうとした理由は何なのだろうか。最も有力だと思われるのは、ガス給湯器・風呂釜から二四時間風呂へ移行することに伴う、ガス使用量の低下だろう。二四時間風呂の熱源にはガスと電気の両方があるが、ガスは施設にお金がかかるため電気ほどのシェアを得てはいなかったからだ。

 国民生活センターの試算によれば、二〇〇リットルの水を沸かすためには一回五〇~五五円の料金がかかる。一ヶ月では、一五一二~一六三八円かかるという。さらに、家族前任が入るために追い炊きが数回行われると考えられ、この値段の最大二倍程度が実状と考られる。つまり、一世帯が一ヶ月あたりに風呂を沸かすのに使うガス代は、三〇二四~三二七六円ということになる。
 さらに、二四時間風呂協議会によれば、この騒動がなく順調に売り上げが伸びていれば、九九年には二〇〇万台を越えて普及すると予測されていた。この数字から、ガス用の二四時間風呂の個数を除いて一六〇万台と仮定すると、三一〇〇円で計算しても、九九年には月額四九億六千円ものガス代が消えることになる。年額では、なんと五九五億二千万円もの損害を被ることになるのである。九五年度における東京ガスの総売上が八三一七億円もあるとはいえ、売り上げの七%強が自動的に消えるのを防ぐための二千万円など安いものだ。

 また、これ以外の理由として、二四時間風呂の関係者の間で出回った怪文書には、面白い理由が書かれている。
  「ご存じの通り佐藤通産大臣の妻は、東京ガスの安西家から来た人です。このチャンスを逃す手はないということで、早速二四時間風呂つぶしがはじまったのです。通産省も認めているように、今までただの一人も二四時間風呂による感染者が無いにもかかわらず、強引に新聞発表を強行し大混乱に陥れようと画策したのです。
 おまけに高橋課長という人物が塩川前代議士の娘と結婚しており、遠からず地盤を継いで立候補する予定らしいが、これといって業績らしい業績もないので、このへんで何かやらなくてはということで尻馬に乗ってしまったのです」。
 真偽はとにかく、興味深い内容であることは間違いない。

■なぜ目の敵にし続けるのか

 衛生学・細菌学の権威であり、山野美容芸術短期大学教授でもある中原英臣氏は、「この問題は難しいと思いますね。神経質になり過ぎる必要はないと思いますが、感染したら危険であることは間違いないありません。だからといって患者が出ていない製品を、禁止することもできません。結局、自分の頭で考えて危険だと思うなら、近づかないことです。ただし、レジオネラ菌だけを取り上げて騒ぐのは、お役所のお節介のような気がします」と騒動を総括してくれた。二四時間風呂でレジオネラ菌が繁殖していることは間違いない。しかし、レジオネラ菌の危険性を強調するかのような通産省の姿勢と、その裏に見え隠れする東京ガスの影は、レジオネラ菌以上に危険な臭いがする。

 通産省の小野氏は、「よく情報公開のモデルケースなどと言われますが、私どもには選択肢はありませんでした。国内では感染例がないものの、アメリカにおいてはクルージング船の循環式渦流浴装置の湯が感染源となって、レジオネラ肺炎が集団発生しているのです。通産省が持っている情報を公開して、消費者に利便性と危険性を判断してもらうしかないのです」と語る。
 小野氏の言うことはもっともだ。しかし、強制力を持たない基準を早々とつくった温泉旅館は何の打撃を受けることなく営業を続けており、一方で二四時間風呂は完膚なきまでの打撃を受けたという不公平な事実への答えにはなっていない。
 通産省の執拗な二四時間風呂攻撃は現在も続いている。同省消費経済課では九六年度に行われた商品テストの結果をまとめている。同課は前年度に消費者からの苦情が多かった製品をチェックしているのだが、この中で二四時間風呂は火災の可能性まで含んだ浴槽への悪影響を指摘されているという。

 通産省が「消費者センターに寄せられた声なども反映している」というので調べてみると、九五年に同センターに寄せられた二四時間風呂への苦情は全国で八七〇件あったが、そのほとんどは売り方に関するもので安全衛生にかかわる苦情は、わずか二八件だった。
 そこで事実をぶつけようと消費経済課に電話取材をお願いすると、「(その件は)住宅産業課が管轄している」と、ひどく慌てた様子で答えた。語るに落ちたとはこのことだ。商品テストは間違いなく消費経済課である。その課が思わず口走った「住宅産業課」は前述のように二四時間風呂を管轄している。住宅産業課が消費経済課に二四時間風呂を特定して調査を依頼しなければ、このような対応になるはずがない。通産省は、まだ二四時間風呂をいじめ足りないらしい。
 官僚と大企業が結託した姿がみえるこの騒動のなかで、「一五年かかって作り上げた市場を、たった二ヶ月で失ったのです」と語った酒井氏の言葉が胸に重くのしかかっている。
研究開発は続いている

――二四時間風呂の開発の経緯を教えてください。
 当社が二四時間風呂の販売を内定したのは、一九九四年の秋です。九五年秋の発売を目標に、研究開発を続けていたのです。ところが同年の春に、開発セクションから二四時間風呂にはレジオネラ菌が繁殖する可能性があることを指摘され、どうなるかわからないので発売という表現は控えることにしました。その後も開発は続いてきましたが、夏を過ぎてもレジオネラ菌が目標の数値を下回ることがなかったため、開発は続けるものの発売は延期することにしました。
 レジオネラ菌には明確な安全基準がありませんが、少なくともも空調の基準である「レジオネラ症防止指針」を下回らない限りは、当社では販売ができないと考えています。万が一事故が起こった場合、責任の取りようがないからです。

――発売延期ということは、現在でも研究開発は続いていますか
 続いています。ただし商品というレベルまで達していません。

――どうして内村泰氏に実験をお願いしたのですか。
 当社が苦しんでいるレジオネラ菌の基準を、他社がクリアしているのか知りたかったからです。先生に依頼したのは、昨年の春ごろでした。結果はご存じの通り、レジオネラ菌が高濃度で観測されたわけですが、私としては「やっぱりな」という感じでした。

――では、内村氏が実験を行っている情報は、どこから通産省に流れたのですか。
 通産省がプレス発表を行った九六年一二月一八日の少し前に、同省から「二四時間風呂の販売を延期した理由を教えてくれ」という要望がきたのです。通産省との会談の席では、内村先生の実験も話題にのぼりました。すると通産省側が「ぜひ、そのデータを欲しい」と言い出しまして、私どもも「出せない」とは言えない立場ですから、実験した二四時間風呂のメーカー名を教えないという約束で、データをお渡ししたのです。そのデータを見て、通産省から「ぜひ専門家会議に出席してください」と、内村先生に要請がありました。この時の会合は開発担当者が出向いたのですが、当時通産省は二四時間風呂について、すでにかなり詳しい情報を持っていたと聞いております。

――内村氏が、九六年末に研究結果をマスコミに流そうとしたことはご承知でしたか。
 当社は、内村先生の実験のスポンサーですが、実験結果の公表については先生の一存に任せておりました。ですから内村先生が年末にマスコミにデータを流そうとした件については何も知りません。

――今回の二四時間風呂騒動の鍵を握っている薮内英子氏に、意見を求めたことはありますか。
 レジオネラ菌の問題が浮かび上がってきた時、当社でも二人ほどの専門家に意見を伺いましたが、薮内英子先生にはコンタクトを取っていません。

■課は消滅、課長は逃走

「レジオネラ属菌の浴水中の存在量とヒトへの感染との関係を、学術的な確実さを持った『閾値(ある系に注目する反応を起こさせるのに必要な作用の大きさ、強度の最小値)』の形で示すことは、現下の研究の状況では不可能。不検出を目指すことが望ましいが、製品にどのような性能を付与すべきかは製造者の判断と責任によって決定されるものである」

 これは、九六年一二月一八日から四回にわたって開催された「二四時間風呂衛生問題検討専門家会議」の結論として、九七年五月二二日に出された「二四時間風呂衛生問題検討専門家会議所見」である。お役所言葉の典型ともいえる文章のため意味がわかりにくいが、要約すれば「通商産業省では水質の基準を決められないので、業界がきちんとやれ」と言っているだけだ。なんと無責任な回答だろう。マスコミを焚きつけて二四時間風呂がいかに危険であるかを宣伝し、二四時間風呂業界で四社も倒産させた通産省が、何の指針も示さず何の責任もとらずに騒動は終わりを迎えたのである。
 それだけではない。なんと六月三〇日をもって、騒動の火元である生活産業局住宅産業課は窯業建材課と統合され、住宅産業窯業建材課となった。騒動の最中に出回った怪文書で、国会議員へ立候補するための業績欲しさに二四時間風呂潰しを画策したといわれる高橋武秀課長は当然のことながら移動。騒ぐだけ騒いでおいて、課は消滅、課長は逃走という事態には怒りを通り越してあきれるばかりだ。

 じつは今年の四月には、「通産省は問題を解決する気がない」「専門家会議でも建設的な意見は出ていない」といった噂がマスコミや業界関係者でささやかれていた。これらの情報が正しかったことは専門家会議の所見により図らずも明らかになったが、もともとレジオネラ菌には対策の立てようがない事情があることも判明した。
 今回の騒動では注目されていなかったが、レジオネラ菌は日和見感染を特徴とする。しかも全身の抵抗力がかなり落ち込むほどの病気にかかっているときに感染する菌なのである。通常の健康状態ならば、水のあるところならどこにでもいると言われるレジオネラ菌を恐れる必要はない。
 たしかに集団感染は存在する。通産省が何度も引き合いに出し、レジオネラ菌の発見にもつながった七六年アメリカのフィラデルフィアで起こった集団感染では、感染者二二一人、死亡者二一人と報告されている。しかしその後の調査で、この集団感染はかなり特殊な状況で起こったことが明らかになっている。
 まず第二次世界大戦を体験したかなりの高齢者が、在郷軍人会のパーティーのために集まっていたこと。さらに彼らが宿泊しているホテル屋上にある冷却塔のパイプに細かな穴が開き、レジオネラ菌を含む水が霧状になって窓から入り込んできたことである。

■抑えられた情報

 レジオネラ菌は肺に入らなければ感染しない。つまり水に住むレジオネラ菌への感染は、エアロゾルつまり細かい水の粒になって空気と一緒に肺に入ったときか、または水におぼれるなどして肺に水が流れ込んだときに起こる。そう考えるとわかるだろう。レジオネラ菌に感染するのは、かなり大変なのである。おぼれるのはもちろん、エアロゾルを含んだ空気を吸い続ける機会などなかなかあるものではない。まして全身の抵抗力が衰えるほどの病気や高齢でなければ感染しないというのだから、菌がいるから即危険といった認識は誤りであり、集団感染などは諸処の事情が組み合わさって初めて発生するのである。

 二四時間風呂を問題にした時点で、これぐらいの情報は通産省ならば当然入手していたはずだ。ところが現在に至るまで通産省は、レジオネラ菌が容易に感染するかのような発表を行っているのである。さらに衝撃的な報告もある。
 フィラデルフィアの集団感染の翌年にあたる七七年、細菌分類学者の坂崎利一氏が厚生省に働きかけ、東京と大阪の大きなビルの冷却塔タンクを調べた事実を、訪問販売の専門紙『訪販ニュース』紙上のインタビューで明らかにしている。
 その記事によれば、タンクの半数以上からレジオネラ菌が発見され、そのなかには一日一トン以上も冷却水が飛散する大きなタンクが含まれていた。にもかかわらずビル内には発病者はいなかったという。さらに地下鉄の工事現場の地下水の場合、すべての検査箇所からレジオネラ菌が検出されたが、ここでも発病例はなかったとされる。対策方法もなく被害もない状況を見て、坂崎氏はパニックを起こさないために公表を差し控えたと語っている。
 このような事実に照らしてみると、厚生省管轄のビルの冷却塔や温泉に対するレジオネラ菌の基準が、大騒ぎされることもなく粛々と作られたのも頷ける。厚生省はパニックを起こす必要のないことを知っていたのである。
 必要のないパニックが起きる可能性を鑑みて公表を差し控えられたレジオネラ菌の情報が、パニックを起こすために二〇年の時を経て亡霊のように立ち現われるとは、誰が予想していただろう。亡霊を担ぎ出しパニックに乗じて敵を叩くなど、三文小説もいいところだ。

 二四時間風呂におけるレジオネラ菌の危険性については、まだ問題がある。二四時間風呂とエアロゾルの関係だ。専門家会議の所見でやり玉に挙がっているのは、二四時間風呂に併設してある気泡発生器(ジェットバス)やシャワーの機能だが、本当に危険なのだろうか。某大手電機メーカーでは、測定誤差ありすぎて公表できないとはしているものの、ジェットバスやシャワーではエアロゾルまで小さい水滴にならないという実験結果を持っている。百歩譲ってエアロゾルが発生したとしても、一日一トン以上が飛散する大型冷却塔や、空中に水をまき散らす加湿器などと比べて、どちらが危険かは判断を待たないはずだ。

■何があってもしらんよ

 何処にでもいるが条件が整うと猛威を振るう菌など、専門家会議にどれだけ高名な学者を集めても対策の立てようがない。ましてPL法が施行された現在、ことによっては製造物責任の肩代わりさえ求められる水質基準を通産省が作れるわけがない。案の定、専門家会議の所見では「製造業者が自己の製造にかかる設備・器具を感染とする疾病発生のリスクは製造業者が負うものであり、さらに、自ら設けた『閾値』の正当性についての責任を、製造業者が負うものである」と書いてある。あいも変わらずわかりにくい文章だが、結局「俺は関係ない」と言っているだけだ。騒動の初めから指針など出せないと知っていながら騒ぎ立て、あげくの果てにはこれである。さすがはお役所。

 これだけ明らかな業界潰しが平然と行なわれたことも驚くべき事実だが、さらに信じられない事実が発覚した。この騒動が起こる三ヶ月も前の九六年九月から、通産省産業政策局消費経済課の九州支所製品評価技術センターで、二四時間風呂の商品テストが進められていたのである。なぜかこのテストは極秘扱いとされ、電話取材でも九州支所はテストの事実を認めていないが、テストの結果は公表されている。しかもこのテストには、二四時間風呂の専門家としてメーカー側の民間人が参加し、研究に必要な資料や情報が一個人から提供されているのである。しかも将来的に厚生省から指摘される可能性を予見して、レジオネラ菌と緑膿菌の検出検査まで消費経済課に彼が進言し、検出されなかったという報告まで受けているのである。

 同じ通産省で、どうしてこうも違った見解が出ているのだろか?
 九七年六月三〇日、このような矛盾を問いただした質問書が、試験に参加した本人から住宅産業課に提出された。しかし通産省自体が持っている矛盾を指摘するために来庁した個人に対する言葉は、脅しだった。
「おやじさん、会社や個人に何があってもしらんよ」。通産省の一課長補佐に過ぎない田坂勝芳氏に何ができるのかは知らないが、企業や個人など自由になると思っている態度にはあきれかえるばかりだ。もちろん書類提出の四日後に送られてきた回答も、すでに公開しているインターネットのホームページをコピーするだけというバカにしきった内容だった。
 これだけの矛盾を指摘されても、非を認めるどころか牙をむく官僚に、瞬時に何%も企業規模を縮小させられた経営者の痛みなどわかる日はこないのだろう。

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知られざる世襲公務員たち ~特定郵便局の謎~

(月刊『記録』 98年3月号掲載記事)

■郵便局のほとんどが特定局

 例えば切手やハガキを買いに郵便局に行くとしよう。たいがいの人は「本局」と呼ばれる規模の大きい郵便局ではなく、職員が数人規模の小さな郵便局に行くだろう。郵便貯金の口座を持っている人が、貯金をひき出す際も同様だ。こうした小さな郵便局は地域には必ず一つはある。利用者にとっては最も身近な郵便局といえよう。
 このような郵便局を「特定郵便局」という。利用者にとって最も身近ということは、郵政三事業を最末端で支えているということでもある。その功績は大きいというほかはない。だが、特定郵便局にはもう一つの「顔」がある。それは、これらの特定局(正確には特定局の局長集団)が、自民党政権の強力な支持基盤となってきたことであり、さきの行政改革論議では、郵政民営化阻止の原動力となっていたことである。特定郵便局の局長によるこの集団こそ、一時期マスコミにも取り沙汰された「全国特定郵便局長会(全特)」である。

 小さな郵便局の局長の集まりでしかない全特が、何故にそれほどまでに影響力を持ち得るのか――。それは特定郵便局の特異な実態と歴史に由来している。昨年来、特定局をはじめとする郵政事業の周辺を取材しているが、その結果、特定郵便局の存在こそが、郵政民営化論議迷走のカギとなっていることがわかってきた。郵政民営化の問題とは、郵貯の問題よりむしろ、特定局の問題というべきなのだ。
 そもそも日本にはおよそ二万4500の郵便局がある。その種類は普通郵便局、特定郵便局、簡易郵便局の3つに分けられる。普通郵便局とは、冒頭にもふれた「本局」のことである。郵便物の取り集めや配達といった集配業務を行っている。その数は約1300局。
 簡易郵便局は、主に過疎地・遠隔地に設置されており、郵政省が手数料を支払って業務を委託している。要するに「代理店」だ。したがってここで働いているのは公務員ではない。その数は約4600局。
 さて特定郵便局だが、郵政省の「郵便局組織規程」によると、その定義は「特定郵便局長を長とする郵便局」であるという。全くもって意味不明だ。しかしその総数は約一万8600局。全郵便局のおよそ8割弱にあたる。「特定」郵便局との名称からは、何か特別な郵便局であるかのような印象を受けるが、つまりは国内の郵便局のほとんどが、この特定郵便局なのである。
 地域社会に身近な郵便局なのだから、これだけの数と割合になるのも当然のことではある。一般に特定局は1キロメートル圏内に1局あるといわれている。これは小学校とほぼ同じで、子どもや老人が歩いていける範囲が目安とされているという。
 となると何が「特定」なのか。それは、その形態にある。
 特定局のうちの9割は、局舎の土地建物が国有ではなく個人の私有。しかもほとんどの場合、その所有者が局長に就き、さらに退職後は夫人や子息に局長の座が「世襲」されていくのである。後継者たちが、それまで郵政事業に全く関与してこなかった(つまり全くの素人だった)例も珍しくない。これが代理店である簡易局ならば、「家業」を継ぐわけだから、とりたてて問題にすることではないだろう。けれども特定局は国の機関(地方支分部局という)であり、局長の身分は国家公務員である。局長の座を世襲することは、国家公務員の地位を世襲することになるのだ。

■世襲を前提に形式的に試験

 東京都某区にある特定郵便局を例にあげてみよう。この局は昭和初期に設置され、現局長のAさん(40歳)は局長歴10年。彼で3代目になる。土地建物は彼の所有で、建物は3階建て。1~2階を郵便局舎に利用し、3階がAさん一家の住居だ。住宅事情の悪い都市部の特定局では、このような形態が一般的になりつつある。郵政省から支払われる局舎の賃貸料は、月額80万円。賃貸料を決めるにあたっては、局長自身が地元の不動産業者に見積りを出してもらい、それに基づいて決められる。複数の業者から見積りを出してもらうのが決まりという。
 こうして郵政省が特定局長たちに支払う賃貸料の総額は、年間850億円にものぼる。その他、「渡切経費」という名目で、光熱費や備品費といった局舎の維持費も提供される。Aさん自身の局長(国家公務員)としての俸給は、これらの経費とは別である。
 国から家賃を受け取り、さらに国から給料をもらう。そして親から子へ、子から孫へと、施設と地位が「相続」されていく。特定郵便局の局長とは、このように奇妙な存在である。ところが郵政省広報室は「世襲ではない。制度として世襲になっているわけではない」と言う。
 しかしこれは当然の話で、制度として公務員の世襲が確立されていたら大問題だ。問題は実態として世襲になっていることにある。そこで広報室に、特定局長とはどのようにしてなるものなのかをたずねてみた。
 それによると、まず満25歳以上であること。ただし特定局の2割を占め、主に地方に設置されている、普通局の代わりに集配業務を行う集配特定局の局長の場合は、満30歳以上が条件となっている。郵政省の地方機関である郵政局(沖縄のみ郵政管理事務所)が実施する任用試験に合格することが条件という。試験は局長のポストに欠員が生じた際に随時行われているという。試験科目は一般常識・面接・作文。合格後、郵政省の下部機関である郵政研修所に1週間泊り込みで研修を受ける。内容は人事管理について。郵政事業についてはほとんど学ばない。定年は63歳である。
 この制度を「自由任用」という。実態としての世襲を支えているカラクリがここにある。試験に合格してるから世襲ではない、という論法だ。
 しかし試験といっても一般公募しているわけではない。特定局長の試験の実施の告知や応募要項といったものを見たことのある人がいるだろうか。現実には特定局長の親族など、ごく限られた関係者しか知り得ない。はじめから世襲を前提に形式的に試験を行っているというより他に、その実態をあらわす言葉が浮かばない。

■全特中央事務局が郵政省内に

 このように奇妙な存在である特定局長によって組織されている団体が全特である。その組織は、地方郵政局のブロックごとに分かれている。例えば東海郵政局の管内には東海特定郵便局長会があるといった具合だ。さらにこれが地域ごとに細分化されていき、最小単位は同一地域の特定局数局による部会となっている。全特はその連合体ということもできる。
 中央の事務局は郵政省の庁舎内に置かれている。しかしこれも奇妙なことである。というのも特定局長は確かに国家公務員だが、その集まりである全特は、あくまでも私的な任意団体でしかない。それなのに官庁の庁舎に入居しているのだ。郵政省広報室は、「国有財産法18条3項の規定に基づき、郵政事業の遂行に必要と認められるため使用を許可している」と、「合法的入居」を強調するが、奇異な印象は拭いようがない。
 その事務局を訪ねてみた。大臣官房部局が居並ぶ庁舎2階の奥の小さな部屋がそれだった。部屋番号206。なぜか全特ではなく、「部内連絡室」と表示されている。受付の庁舎案内板にも、全特の名はおろか、この部内連絡室という名称さえも、なぜか全く表示されていない。室内にいるのは、もう老境に達したと思われる男性が数人と、中年女性が一人。取材は一切拒否。応対した男性に名前を聞いても答えない。こう書くと、先方は断固とした態度で拒否したかのように思われるかもしれないが、実際はそうではない。再現してみるとこんな感じだ。
「取材はお受けできませんねぇ・・・・・。なぜっていわれても・・・・・、とにかくお受けできないんですよねぇ・・・・・」
 とまあ、こんな調子でのらりくらりとかわすばかり。何度訪ねても、徒労感ばかり募るといったあんばいである。

■地域のボスが代々局長に

 それにしても、このような国家公務員の世襲と、前特のような奇怪な団体が、今日までなぜまかり通っているのか。これも郵政事業の長い歴史の所産である。特定郵便局の歴史は、郵便制度の創設とともに始まったといえるからである。
 1871(明治4)年、明治政府は東京・大阪・横浜・神戸・函館・新潟・長崎の3府5港に「郵便役所」を設けた。これが日本の郵便制度の始まりである。この年に実施された廃藩置県同様、郵便制度の創設も近代化政策の一環だった。このとき奔走したのが前島密であり、その功績から「日本の郵便の父」と呼ばれている。いまも1円切手にその肖像が使用されているのは、その功績を称えてのものである。
 しかし政府直轄の郵便役所8ヶ所だけでは、国家独占としての郵便事業を維持することは不可能だった。そこで政府は国内171ヶ所に「郵便取扱所」を設ける。これは、それぞれの地域の富豪などの有力者から土地と建物を無償で提供させ、彼らを「取扱役」に任命することで郵便業務を請け負わせるというものだった。維持費、人件費等の経費は一定限度額までしか支給せず、不足分は取扱役に郵便事業の収益をあげることで賄わせていた。国家の公役に就くという名誉を与える代わりに、拠点を確保し、経費をも負担させるという、一挙両得をはかったわけである。
 この郵便取扱所が、特定郵便局の前身である。実はいまも地方に顕著にみられるが、特定局長たちは「地域の名士」とされる家が世襲していることが多く、あるいは名士として地域社会に認知されているのは、この系譜を今日なお継承しているためである。
 その後、郵便役所と郵便取扱所は一等から三等までの「郵便局」に統合され、さらに1941(昭和16)年に一等、二等郵便局が普通局に、三等郵便局が特定局へと改編、名称も変更された。そして戦後は、局舎は有償、局長は一般職国家公務員となる。
 結局、戦後になって変わったのは、土地建物の提供が有償になったことと、局長の身分が国家公務員として明確にされたことだけ。地域社会の「ボス」的存在が局長に就き、代々世襲されていくという根本的な矛盾は放置されたままになった。むしろ国家公務員とすることで、その矛盾を正当化させてしまったのである。「戦後民主主義」といっても、根源的なところでは、日本は何ら近代化されていないと思うことがよくあるが、これなどもその好例ではないだろうか。

■全逓=社会党ラインへの対抗策

 では特定郵便局長会の方はどうか。その結成は戦時下の1943(昭和18)年である。ただしこれは、戦後すぐにGHQの解体令を受けている。産業報国会などと同様、民間における軍国主義団体と認定されたためである。
 しかし局長たちはあきらめなかった。サンフランシスコ講和条約発効の2年後、日本が「独立」を回復して間もない1953(昭和28)年、再び局長会を組織する。もっともその六年前の1947(昭和22)年に「全国特定郵便局長会規程」が制定されており、実質的な活動はその頃から始めていた。GHQによって解体されても懲りなかったわけで、その監視の眼から解放されるのを待って、晴れて再結成したというのが真相だ。これが今日の全特である。
 全特が再び組織された背景には、郵政省当局の意向もはたらいていた。より具体的には労働組合対策、すなわち全逓に対抗するためである。かつて郵政省には「人事局」という部局があった。他の省庁の人事部門は部課レベルでしかないのに、郵政省だけは局という規模のものになっていた。これは労務管理が郵政省にとって重要な仕事になっていたからだ。特定局長を最末端の管理職として労務管理の「先兵」とする、というねらいがあったわけである。特定局長が就任時に受ける研修で人事管理だけ学ぶのもこのためだ。
 さらに、特定局長の組織化には、自民党政権による保守体制の地盤固めという側面があった。全逓=社会党ラインへの対抗であることはもちろん、地域ボスが務める特定局長を束ねておけば、選挙の際の票固めに得策と踏んだからである。地縁・血縁がものをいう地方においてはなおさらのことである。
 一時期の自民党は、特定郵便局を特別職の国家公務員にしようと企図したことがある。特別職公務員は政治任用だから、時の政権にとって都合のいい人物を局長に据えることができる。公務員は本当は政治活動が禁止されているが、特別職はその対象外なので、自由に活動できることをねらったものだった。
 さすがにこれは失敗に終わったが、結果からみる限り、その必要もなかったというべきだろう。地域ボスが務める特定局長とその集団としての全特が、保守政権の支持基盤とならないはずがない。現実に、全特は選挙のたびごとにあずかって力を発揮した。ここから「自民党の集票マシン」との異名を奉じられるほどの存在となっていき、政治的影響力を振るうに至ったのである。郵政民営化阻止への暗躍では、その政治的影響力が如実にあらわれた。
 
■顧客名流用は当たり前

 既に定年退職した、ある地方の特定局長のBさん(70歳)は、全特の政治活動を次のように証言している。
「特定局長は、1人につき8人の自民党員を集めなければならなかった。参議院選挙で、岡野裕前労相のような郵政OBが出馬するときには、1人につ100人の支持者名簿を集めることになっていて、お客さんの名簿から100人分の名前を提出していました。よく知っている人には事前に了解を得たが、勝手に名前を使わせてもらう人もあった。局長は公務員だから表だってはできないので、妻の名前で動いていました」
 前出のAさんもこう語っている。
「1昨年の総選挙の際、後援会に提出すると全特から指示されて、百人分の名簿を作りました。東京ではお客さんの支持政党は全くわからないので、特に親しいお客さんや、友人、親類に頼み込んで、名前を貸してもらったんです。やはりあからさまにはできないので、勤務時間外に作っていましたが」
 Bさんのように、特定局長がボス的影響力を振るえる地方社会では、顧客の名前を流用するのは当たり前。仮に使われた側が不満を抱いたとしても、抗えるような状況にはない。ただしこれがAさんのいる都市部となると、さすがに状況が変わってくるらしい。
 公務員である局長は、前述の通り本当は政治活動が禁止されているので、夫人の会やOB会を組織して、彼らが前面に出て活動している(ことになっている)。だが現実には局長自らも活動しているのである。Aさんなどはまだ控え目な方で、特定局に働く複数の郵政職員の話では、勤務時間中に名簿を作成することなど当たり前。局長同士が電話で連絡をとりあい、何人分集めたか互いに状況報告を怠らない(ことわっておくが、これも勤務時間内である)。局長にもいろいろな人がいるから、こういった政治活動に無関心、不熱心な人もなかにはいるらしい。そうした局長のことを他の局長が「あいつは全然集めない」と陰口をたたくこともままみられるという。

■小選挙区の導入で状況一変

 ところで、かつて全特が一致団結して集票に動くのは参院選のときだけだった。衆院選ではそういった動きはなかった。保守系候補どうしが激突する地方の中選挙区では、局長もそれぞれの系列に色分けされており、下手に一本化をはかると、局長会自体が空中分解しかねなかったからだという。
 しかし小選挙区の導入で、この状況は一変した。郵政の少数組合である郵政産業労働組合(郵産労)の太田英雄執行委員長がこう語る。
「東海地方の局長会では、小選挙区の区割に合うように、部会の組織を再編成することまで行っています」
 しかも全特が影響力を有しているのは政治活動ばかりではない。「本業」たる郵政事業においても隠然たる力を持っているのだ。特定局長たちによる「特定郵便局業務推進連絡会」(特進連)がそれである。
 任意団体である全特とは異なり、特進連は大臣官房に直結している公的機関だ。営業活動などにおける郵政当局と特定局間の連絡機関という位置づけである。「全特とは違う組織である」(広報室)というのだが、全特の会長は特進連の全国連合会の会長も兼ねる。地方組織などの構成も重なりあっている。実際に取材した例から紹介すると、奈良県南部の南和(南大和の意)地区特定郵便局長会の前川藤吾会長は、同時に南和特定郵便局長業務推進連絡会の会長も兼ねている。特進連の最小単位も全特と同じように部会である。
 全く同じ顔ぶれでありながら、あるときは私的な任意団体、あるときは郵政省の公的機関という、いわば「公私」の別を実に巧みに使い分けているのである。
 この特進連が、特定局の局長補佐、総務主任といった役職者の人事権を事実上掌握している。制度上の任命権を持っている地方郵政局は、特推連の結論を追認するに過ぎない。したがって局長の「おぼえめでたくない」職員は、いつまで経っても承認できないことも現実に起こり得る。世襲して新たに就任した局長と古株の職員との反りが合わなかったりしたときには、特推連を通して、他の特定局の職員と「交換」するようなことまで行われているという。
 この傾向は特に東京に著しい。東京郵政局の某関係者は「特推連に押されっ放し」と内実を明かす。東京は人口が多い分、特定局の数も多い。特定局のあげる事業収益が東京郵政局全体でもかなりの高率となっているため、強力な発言権を保持する結果につながっているという。
 これ以外にも特定局長による団体として、「全国特定郵便局長協会連合会」(全協連)という財団法人がある。東京にある「全特六本木ビル」を所有するために設立された全特の財産管理団体である。この会長も全特、特推連の会長と同一人物が就くのがならわしとなっている。
 郵政事業は郵便、郵貯、簡保で三事業一体といわれているが、これをもじっていえば、特定郵便局は、局長たちによる全特、特推連、全協連という「三団体一体」の運営とでもいえばいいのだろうか。

■地域で果たす一定の役割

 このように、特定郵便局の局長たちが行使する「影響力」の源泉となっているのは、最初にも書いたように、特定局が地域に密着している点にある。これが彼らの強みなのだ。
 郵便局全体の都市部と郡部の設置割合はほぼ6対4。銀行など民間金融機関が8対2なのと比べれば、地域性の高いことがわかる。
 前出の南和特定郵便局長会は、地場産業の発展をはかるため、地元業者の生産による季節ごとの特産品を郵便小包で発送する「花・水・木領布会」を設立している。会員制による地域・対象限定版の『ふるさと小包』である。前川会長は「特定郵便局だからこそこういうことができる。特定局長には転勤がないから、地域に根をおろした活動ができる」と語った。
 領布会の事務局が置かれている吉野上市郵便局の亀田宏局長は五代目、世襲としては二代局長の曾祖父から数えて四代目の局長である。東京でのサラリーマン生活を経て、13年前、帰郷して父の後を継いだ。この郵便局は、眼下に吉野川が流れ、歌舞伎の演目で知られる妹背山にも近い。奈良県でも8番目に古く、明治初期にはもう開局していたというから、特定局の歴史そのもののような郵便局である。亀田局長は「特定局は上(郵政局)からの支持に従うだけではなく、それぞれの地域に応じた活動をしている」と語っている。
 確かに特定局が地域社会に果たす役割を否定することはできない。郵政省と全特、さらに全逓・全郵政ら労働組合(最近は労使一体となって民営化に抵抗する彼らを称して「郵政一家」と呼ぶ)が主張する「あまねく公平な郵政サービス」を、最前線で担っているのが特定局だからである。
 郵政事業の民営化を唱える小倉昌男ヤマト運輸元会長の持論は「民間ができないところこそ、公共の責任で国がやればいい」というものだ。「郵政省は、民間はいいとこどりをするというが、それでいいじゃないか」とも語っている。これは、もしヤマト運輸が郵便事業に参入した場合、黒字の見込める地域では営業しても、過疎地・遠隔地など採算のとれないような地域では営業しないという意味である。だがその先に見える光景は、郵政事業が赤字と化し、現在は独立採算となっている郵政事業に税金が補填されるというものではないだろうか。

■後継者難が表面化

 しかしだからといって、特定局の特異なありようが不問に付されていいわけではない。郵政省が敷地と局舎を借り上げるのはいい。賃貸料を払うのも当然だが、その持ち主が局長として国家公務員の地位に就き、しかもそれが実態として世襲されているのを尋常なことといえるだろうか。ふつうはこれを「既得権益」と呼ぶのではないか。
 特定郵便局長も最近は後継者難が表面化しつつある。所有者兼局長が定年退職した後もその子弟が継がず、郵政職員が人事異動で定年まで局長を務めるケースもみられるようになってきたという。地方の若者が一旦都会に出たら、簡単には戻ってこない。それでなくても特定局のように、少人数で人間関係が濃密な職場は敬遠される。給与も決して恵まれてはいない。また、例えば父親の局長が定年を迎えるころ、息子は30~40歳代の働き盛りだ。この先あり得べき地位や収入を放棄してまで、小さな郵便局の局長になることを選択するのには、かなりの決断を要する。
 そのため、このような後継者のいない特定局では、第三者に土地建物と一緒に局長としての「権利」を売買するようなケースさえあるという。やはり「既得権益」になっているのである。
 かつての特定局は、土地建物の提供を受ける見返りとして、所有者を局長の座に就けていた。そうでもしなければ誰も協力しなかったからである。しかし現代は状況が違う。オフィスビルのダブつきがいわれてから久しい都市部においては、郵便局=国というのは理想的な店子ではないか。よりよい物件を探すのにも困らない。農村部にあっても、所有する土地や農地の一部などに局舎を建てるなりして、家賃収入を得てもいいと考える人もいるはずである。どちらもべつに局長の身分がほしいとは思わないだろう。あるのは純粋なビジネスとしての感覚だけだ。
 世襲でなければ郵便局を確保できないという時代はとうに過ぎた。民営化には反対というしかないが、特定局の奇異な実態は改めるべきだろう。また、民営化に恐怖するあまり、かつては特定局の廃止さえ唱えた全逓が「特定局の所有者と局長が同一人物なのはたまたまの偶然」(菰田義憲企画部長)と、郵政当局ですら恥ずかしくて言わないような戯れ言を平然と口にしている有様も、醜悪の一言に尽きる。
 このような郵政一家の有様が知られれば知られるほど、国民の郵政事業への不信となって跳ね返ってくることを、当事者たちは思い知るべきである。
(肩書は取材当時)

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