自己紹介文

■月刊誌「記録」発行にあたって
  1979年4月月刊

 月刊誌『記録』を創刊するにあたって、わたしたちの創刊意図の若干を記しておきたいと思います。

 その一は、現在、記録の方法が呼びだされているということです。わたしたちは、フィクション=虚構の方法や役割を決して否定するものではありませんが、現実の変化の進行度は、極端にいえば、フィクションに必要な手続きとしての準備期間をさらに追い越し先行するほど、早くそして複雑です。言葉を換えて言えば、現実に生きる人間の生存に対する何ものかの汚染度はすさまじいということです。つまり、記録の方法は、現代の腐蝕の現状そのものが生みだすものであり、それに応えるものだということです。
 
 日々、わたしたちは汚染させられ、肉体も精神も具体的に傷つけられ、侮辱させられています。そのことに、まさに具体的に挑戦し、その何ものかの実体を白日にさらすこと、そしてその中から、何が新しい現実改革の勢力として胎動してきたかを見極めること、そこに記録の方法が呼び出される理由があります。過去のすぐれた記録のかずかずも、すべてそうでありました。それらの業績にかかわりつつ、この日本のなかでの記録の方法とは何かを、わたしたちは本誌で試みたいと願っています。
 
 その二は、記録は、たえず無名の民衆の側に立ちつつ、彼等とともにあり、決して表現という行為をもって他に訴えようとしなかった側の立場に立つということであります。そしてそのなかから、実は歴史の真の主役を引きだすということであります。歴史を、そして現実を動かす主人公は、現実の過酷な諸条件に直面しつつ生きてきた民衆そのものであり、わたしたちもまたその一員として生き、そして、ささやかながら記録にとどめる作業を今こそなさねばならないと決意しています。
 
 その三は、記録は、たえず運動論の立場に立つということです。個人の特殊な精神の奇蹟によって人間を計測することなく、人びととともに「あった」、また「ある」方法と考えます。ということは、自己の内部世界にあまったれた同情を寄せる過去のカッコつき芸術から訣別し、「他」の存在の発見に全力を投入し、その場合には、おのれ自身をすら「他」のなかに埋没させることでもあります。ことでもあります。「他」とともにひとつの感動、つまり変革のための真の意味での連帯を展開する時代に、わたしたちは生きていると思います。かつての、時代を先取りした、ということは新しい時代を劃した民衆の勢力を記録した多くの作品、ルポルタージュ、ドキュメンタリー等を想起すれば足ります。
 
 その四は、かつての時代とは比較にならぬほど、「報道」は迅速でインターナショナルになりました。テレビの発達がその一翼を担っていますが、それに応じてあらゆる報道機関のニュースは、大量であり複雑であり、同時に内容選択の基準も混乱を極めています。報道や情報がスピーディで溢れるほどになればなるほど、そのなかからの確かな未来に接続する事実をみずからの手のうちに握りとる困難さもないわけではありません。みずからが時代の進行のどの位置にあるかを確認する上からも、事実の選択を本誌において明らかにし、主張したいと思います。
 
 その五は、明らかに、日本は新たな反動の時代に突入しているという危機感から、記録を考えたいということです。ある意味で、現在多くのドキュメンタリーが活字、映像などのメディアで盛んですが、一概にそのことを喜んでばかりはいられません。旧態依然たる勢力と手に手をとった産物も溢れています。それは明らかに、過去のすぐれた記録者たちに対する冒涜でもあります。わたしたちは、記録本来の方法が決して反動勢力に加担しない基本的精神を堅持し、記録をひとつの武器に転化したいと思っています。そのために、インターナショナルな立場から現代日本の具体的現実に視線をそそぎたいと意図しています。
 
 その六は、これまでのような「量」的な情報の記録としてのマスコミではなくて、記録は、すべてひとつひとつがミニコミであり、その「質」的なミニコミが幅広く集まることによってマスコミを形成するようにしたいということです。現在のマスコミは、むしろこれを排除する過程のうちに虚像をつくるための媒体と申せましょう。その意味では、マスコミの原点に帰るものと言えます。
 
 以上のような趣旨のもとに発行される『記録』ですが、当然ながらさまざまな試行錯誤もあると存じます。私たちは記録の方法を模索する過程で、批判的にみずからを見つめつつ、読者との共同作業によって一歩一歩雑誌を練り上げてゆくつもりです。読者の方々からのご支持と、同時に、わたしたちの能力では掩いきることのできない場所からの記録を本誌に送って下さることを切に希望します。


■「記録」の再刊を喜ぶ    1994年6月  
 庄幸司郎(前『記録』発行人)

 「精神のリレー」とは、埴谷雄高さんの言葉だが、13年半、163号に及んだ月刊誌『記録』に結晶した精神を、若い世代のアストラの中山徹さんたちにリレーし、バトンタッチできるのは嬉しい。1992年10月、余儀なく休刊したときのときの言葉どおり、一時の短い休暇を経ての再出発である。とかく日本の文化・思想運動は再出発することなく断絶しがちだが、そうした状況の中で『記録』の再刊は快挙といえよう。皆様のご支持を切願する。 次の若い走者たちを少しでも支援したい思いから、月刊誌『記録』の再刊にあたって、私はこのような激励のメッセージを贈った。今は亡き花田清輝さんの『再出発という思想』というエッセイを思いおこしながら。数多くのチャップリン映画のラストシーンは、主人公が観客に背をむけて、画面の彼方へと、山高帽子、だぶだぶのズボン、ドタ靴、そして竹のステッキといういでたちで次第に遠ざかって行くのだが、それは決して、主人公の「孤独と絶望と社会からの落語」を意味するのではなく、「チャップリン自身の断乎たる再出発の決意」なのだと、花田さんはいう。そして、チャップリン作品の主人公たちは、「かれらを閉めだした社会に対してふたたび挑戦しようと再出発している」ともいっている。
 
 残念ながら『記録』は休刊したが、その主たる原因は経済面などで『記録』を閉めだしたこの日本の社会にあることはいうまでもない。チャップリンがすべての作品で訴えようとしたのは、花田さんがいうとおり、「無告の代弁者でありつづけるということ」であったと思う。『記録』もまた、その道を163号まで歩んだつもりだ。しかし、日本は、そして世界は、この「無告の代弁者」に背反する道を歩み続けている。花田さんはチャップリンを、山の頂に達した瞬間、せっかくかつぎ上げた岩が麓に向かってころげ落ちる「シジフォスの神話」になぞらえているが、こういう努力をこそ、これからもつづけなければならないし、それをこそ、誇りと思うべきではなかろうか。『記録』というささやかな雑誌に、まさに「無告の代弁者」として文章を寄せてくださった方々に、私は心からの感謝と敬意を表しつつ、新たな再出発へのお力添えをお願いしたい。
 
 私もまた例外ではないが、この人生にはさまざまな挫折、失敗があるだろう。しかし、たえず、そこから立ち上がり、再出発すること。確かに『記録』はいったん休刊した。しかし、それを「リレー」してくれる若い世代が現れた。大人の一人として、どうして、彼等と連帯し協力せずにいられようか。彼等もまた、これまでと同じように困難な道を歩むことだろう。時代の最先端を歩もうとする者の宿命で、この道以外にはないことは当然といえる。だが、時代は常にこのようにして進む。新しい『記録』誌よ、あのチャップリンのように、ひと筋の道を、やさしい山脈をめざして、ただひたすらに歩みつづけて欲しい。