日本進出のキーパーソン-在日フランス商工会議所-

■月刊「記録」2003年9月号掲載記事

■取材・文/本誌編集部
■企画・制作/吉川美帆

 この数年でフランス企業のイメージを一新させたのはカルロス・ゴーン氏の登場であった。発端はルノーと日産自動車・日産ディーゼルとの提携である。その後、危機に瀕していた日産の経営をみごと立て直したゴーン氏の活躍ぶりは、いまだ我々の記憶にも新しい。高級ファッションブランド界以外でも、フランス系企業にの高い経営能力があることを印象づけた。
 改めて周囲を見回せば、フランス系資本がにわかに日本の国内で活気づいていることに気づく。前述した高級ブランドであるルイ・ヴィトン、シャネル、エルメス、ニナリッチ…etc.はもとより、最近では大手スーパーのカルフール、アシェット・フィリパッキ・メディア社と婦人画報社の合併、アクサ・ニチダン保険ホールディングの日本団体生命吸収など、多くの分野においてフランス企業が勢力を伸ばしている。1999年度のジェトロ報告では、対日投資額においてフランスが国別トップに躍り出、91年から連続1位であった米国を抜いたともいわれた。
 じつはここ数年フランスでは、良好な投資先また販路拡張先として、日本へ熱い視線が向けられているのだ。フランスからの日本国内への企業進出の足がかりとして、その中心的役割を担っている在日フランス商工会議所にお話をお聞きした。

■中小規模の企業も日本を注目

  「この1~2年こそ不況や景気低迷を受けて、視線がやや中国へシフトしている部分もありますが、大きくアジア市場を視野に入れたときに、日本をアジア進出へのステップにしたいと考えているフランスの企業は多いですね」と解説するのは、在日フランス商工会議所が発行する『France Japan Eco』編集長のイヴ・ブゴン氏である。
 在日フランス商工会議所は公益社団法人として、法人格をもつ唯一の外国商工会議所である。その歴史は古く、創立は1918年。あまり知られてはいないが、日本で最も古くから機能している外国商工会議所である。
 この商工会議所の特色として、フランスの企業と日本の企業が、ともに会員登録されている点があげられる。外国の商工会議所では、本国の企業しか登録されないところもあるが、在日フランス商工会議所では、両国の企業が登録されることにより、両者が協調して発展するためのサービスを提供しているという。
  「当初は、やはりフランスの企業が日本に進出してくるための手助けをするという意味合いが強かったのですが、現在は、吸収合併や技術提携が非常に多くなっています。ですから両国の企業のための拠点となっております」と、同会議所の広報部副部長である吉田暢子さんは言う。
 このようなサービスの提供の仕方が必要になった背景を、吉田さんは次のように説明してくれた。
  「大手企業、たとえばエール・フランスなどでは、すでに日本での基盤はできあがっています。ですから、いま、もっとも日本に入ってきたいと考えているのは、特殊な技術や特徴的な商品をもつ企業です。化粧品メーカーや高級子供服ブランドのなかには、日本のマーケットをベースにして次は中国で生産を行い、アジア市場への輸出を考えている企業もあります」
 アメリカ企業の動向ばかりを追う日本のマスメディアの影響もあり、世間での注目度は決して高くなかったが、フランスの大手企業の多くはすでに日本への進出を果たし順調に業績を上げている。日本とのビジネス協力は次の段階、つまり特殊技術を持つ中小規模の企業の進出へと進んでいるのだ。
 こうした中小規模の企業が日本でのビジネスを始めるために、商工会議所の果たす役割は大きい。独自のマーケティング力や市場開発力をもたない中小企業に、市場データを提供し、ビジネスパートナーを紹介する。また日本で知られていない高い技術力を持つテクノロジー産業分野を、日本産業界に紹介していくなどなど。
  「フランス企業は、高い技術力を持つ企業がかなりあるのです。すでに日本企業と提携して仕事を始めているケースもあります。たとえば、水処理事業のヴェオリア・ウォーター社では、丸紅と組んで以前から中国のプラントに着手しています。またIT関連に関してても、日本企業からの問い合わせが多くなっています」と商務部の鈴木多佳子さんは言う。
 最近、特に注目を集めているのが、フランスの東南部、グルノーブルに拠点をもつナノ・テクノロジー企業だとだいう。グルノーブルは「フランスのシリコンバレー」ともいわれる。原子力庁の移転とともに総合大学、工科大学、各種研究機関を集積させて作られた産官学が一体となったナノテク・クラスターである。
  「グルノーブルにあるような、規模こそ小さいけれど、技術的には将来、世界的に有名になる可能性の高い企業が、日本でも注目され始めたのは嬉しいことです」と語るのは、商務部の鈴木多佳子さん。
 日本も技術分野にかけては世界でトップレベルにある。得意な分野で両国の企業が協力しあえれば、より高い技術を生むことにもなろう。

■日本語を話す経営者がゾロゾロ

 では、フランス企業がこのような活気を帯びてきた原因は何だろうか。
 その原因の一つに2002年の通貨統合があった。ユーロの統一によって欧州市場そのものが活気づいた。もともとからのフランスの好景気のうえにEU統合による欧州グローバリズム意識が重なり、フランス企業が一斉に日本へ進出を開始した。一方の日本企業もEUという巨大市場を求め、欧州へ乗り出し、フランスヘの企業進出を開始したのであった。
 また日本語ができ、日本市場を理解しているフランス人の経営者が増えたことも原因であると、前出のブゴン氏は指摘する。
  「ひと昔前までは、日本語は挨拶程度しかわからない方が多かったのですが、今は、英語はもちろん、日本語でビジネスができるくらいのレベルの方が多くなりました。この原因の一つに、80年代、フランス政府が採用したシステムがあります。将来、企業家になるエリートに対して、軍隊での兵役の代わりに、外国企業の研修に派遣するというシステムがあったのです。そのシステムを使い、日本語を習得し、日本社会への理解を積まれた経営者もかなりいます」
 日本は幕末以降、軍事・科学面でフランスやイギリスなど欧州の技術を導入し、長く手本としてきた。戦後になりアメリカ一辺倒の体制を築き上げ、欧州への関心を失っていたが、本来、技術交流の歴史は古い。
 こうして振り返れば、敏腕経営者ゴーン氏の登場によって一躍脚光が当たったかにみえた、「近年のフランス企業大進出」というイメージも、ある種の誤解であったことに気づく。在日フランス商工会議所を拠点にして、長年にわたり両国のビジネスが順調に推移していたのである。ただゴーン氏の登場によって、日本人の目がやっとフランス企業に向いただけなのだ。
  「ただし日本人にとって、『フランスはハイテクノロジーの国である』というイメージはまだまだ浸透していないようですね」と吉田さんは言う。
  「7年ほど前に、『France Japan Eco』で、フランスに対するイメージについて、日本のビジネスマンにアンケートを取りました。同じ内容のアンケートを昨年も取ったのですが、6年経過しても結果がほとんど変わっていなかったことに編集部は愕然としました。たとえばルノーやエール・フランスなど、いろいろなフランス企業があるにもかかわらず、最初に浮かぶイメージは、ブランド、ファッション、グルメでした。知ってる有名人として挙がったものは、アラン・ドロン、ナポレオン、カトリーヌドヌーブ、トルシエとなってしまうのですね」
 フランス企業の実際とイメージとの間にある齟齬を調整していくことも商工会議所の役割の一つであると吉田さんは言う。
 対米力の柱として、欧州との連携は今後、必要不可欠なものとなるに違いない。長年関心を逸してきた欧州とアジアとの連帯の足がかりをフランス企業の進出のなかに見る気がした。 (■了)

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障害者と健常者がともに楽しめるツアーを実施-株式会社JTB-

■月刊「記録」8月号掲載記事

■取材・文/本誌編集部
■企画・制作/岩田亜矢

 始まりは、パンフレットすらなかった。担当者がワープロで作ったチラシを、ピンク色の紙にコピーしたという。チラシを彩っていたのは、ざらついた写真。
 それでもトラベルデザイナーのおそどまさこさんとJTBは、全盲者8人、弱視者3人を含む総勢18人の参加者と4匹の盲導犬を連れて、ニースとパリを巡る7日間のフランスツアーに旅立った。1995年当時、盲導犬を連れた海外ツアーは、日本の旅行業界初の快挙だった。
 それから8年間、おそどさんとJTBは、障害者と健常者が一緒に楽しむことを目的とする「ユニバーサルツアー」をめざして企画し続けてきた。
  「ツアー企画のさまざまなプログラムを実現するために、毎回闘ってきましたよ。旅行先はもちろんJTBの担当者ともね。マニュアルや先例のない旅にチャレンジし続けてきましたから。今、別の旅行会社でユニバーサルツアーを組んで、いままでのツアーをやり直すのは疲れますね。また一から闘い始めるのかと思うとゾッとしますから」
 おそどさんはそう言うと、JTBの担当者である山本宏史課長と視線を合わせて笑った。
 95年以前にも障害者のための海外ツアーは存在した。91年には、業界初の試みとして「車いすで行くアメリカ」と「車いすで行くカナダ」という海外パッケージツアーが、JTBで販売された。他社でも障害者を対象とした海外ツアーが、90年代後半より売り出されている。
 しかし、おそどさんの企画したツアーは、単に障害者を海外に連れて行ったという枠組みでは捉えきれない。彼女のツアーが、旅行業界の常識を次々と突き崩してきたからだ。
 まず、多額の金銭的負担をかけずに障害者が旅行できるシステムを考案した。トラベルボランティアである。障害のある人をサポートするトラベルボランティアの旅行代金が20~30%引きとなり、その分を障害者が支払う仕組みだ。介護者の料金を障害者が全額負担して旅行するのが当たり前だった時代に、トラベルボランティアは新風を吹き込むことになった。
 また彼女は、真の意味でのユニバーサルツアーを作りあげた。
 現在、ツアーの4分の1がリピーターであり、健常者も障害者もトラベルボランティアも、リピーターに加わっているという。25%という高いリピート率もすごいが、健常者のリピーターが多いという事実にはもっと驚かされる。
 海外ツアーは安くない。行く場所にもよるが、数十万円の支払いは確実だ。もっと安い海外ツアーを健常者が探すのは、それほど難しいことではない。それでも、このツアーに参加したいと人が集まってくるのである。
  「どのツアーでも、半分以上のお客様が健常者です。トラベルボランティアではなく、障害者の付き添いでもなく単独の参加者ですね。
 なぜでしょうかね? ひとつには、みんな優しい心をどこかで出したいんだと思います。ただ一般のツアーだとお節介になってしまう。でも私のツアーなら、助け合うのが当たり前ですから。何かいいことをしたいという気持ちを、全面に出せるツアーなのかもしれません。以前、誰かが言ってました。『このツアーに参加すると、だんだんいい人になっちゃう』って」と、おそどさん。
 もちろん参加者が存分に旅を楽しめるよう、企画したすべてのツアーに同行するおそどさんが、参加者に細かく気を配っているのも大きい。
 トラベルボランティアのためにも、介護なしで動ける人だけが参加する時間を作ったり、企画によっては宿に帰る時間を健常者と障害者で分けることもあるという。
  「到着日の翌日、朝食のときにみんなの顔を観察します。険しい顔の人がいないか、笑顔があるかどうか。問題や不安を抱えている人がいれば、早めに解決の糸口を見つけてあげなくてはいけませんので。
 参加する人は、異なる境遇やいろいろな人生を歩んできて、さまざまな思いもある。旅は人の心を裸にしますので、衝突も起こります。そういったときに私が間に入って、精神面での交通整理をしているんです」
 さまざまな価値観を持った人が集まり、心を裸にして助け合っていく。その貴重で、時に苦しい体験を、おそどさんは何かに昇華させていくようだ。
  「助け合ったりしているから、みんなの心がものすごく近くなっちゃう。家族みたいに。逆に言えば、家族みたいだからこそ、きちんと整理しないとこじれてしまうことがあるんです」
 旅ごとにできあがった「家族」は、帰国後も連絡を取り続けるという。リピート率が高いのも当然だろう。
 これだけ取りあげても、おそどさんのツアーが旅行業界の「常識」を超えていることははわかる。しかし、さらに人を驚かせたのは、その企画内容である。
 人工透析を受けている方や車いすの方が北極圏でオーロラを楽しみ、氷の浮かぶマイナス30℃のボスニア湾でスイムスーツを着て浮かぶ。モンゴルのゴビ草原と北京の万里の長城に、車いすの参加者を連れて行く。
  「最初は無理なことを言っている、と感じたこともありましたよ」と3年間おそどさんのツアーを担当していた山本課長は屈託なく笑った。
 2000年7月、イタリア・カプリ島へのツアーが、山本課長とおそどさんが初めて組んだ仕事だった。目玉の企画のひとつは、青の洞窟見学。しかし、大問題が発生した。参加者も集まった出発1ヶ月前に、カプリ島の船組合が障害者の乗船を拒否したのである。
 テレビコマーシャルなどでもお馴染みの、この観光名所を見学するためには、小舟に乗る必要がある。ツアー参加者には全盲の人も、車いすを使っている人も、盲導犬と一緒の人もいる。小舟への乗船が危ないと現地の船主に言われれば、従いたくもなる。ツアーは無理だとあきらめたくもなる。
  「『なぜ?』って。おそどさんから聞き返されました。なぜしてはいけないのかなんて、それまであまり考えなかったのかもしれませんね」と、山本課長は当時の衝撃を口にした。
 現地から危険と言われれば、反論すら思いつかない。それが通常であろう。ところが、ハワイで山本課長の電話を受けたおそどさんは許さない。「なぜ?」という問いは重かった。結局、おそどさんの指摘を受け、洞窟に入れない理由や、どのような障害を持った人が入れないのか、誰が入場を拒否しているのかなどを明らかにするよう、山本課長は船組合に掛け合うなど、支店をあげて取り組んだ。
 当時の思いを、おそどさんは次のように語った。
  「できれば排除したい、面倒な人はやめてほしいというのは納得いきませんから。車いすの方がダメなのか、目が見えないから入れないのか、誰に対して、誰が拒否しているのかを、きちんと聞きたかったんです」
 この事件は、JTBの欧州各支店まで動き出す大きな問題となった。しかし折れたのは、船組合だった。正当な排除理由を持たなかったこと、そして安全の確保に向けた具体的な提案が日本サイドからあったためだろう。
 おそどさんが強調するのは、自己判断と自己責任である。旅をする権利は平等に与えられなければならない。だからこそ旅に行く前に他人から拒絶されるのではなく、危険といわれる場所まで自ら近づき、自分で行くか否かを判断する必要があるのだ、と。
 もちろん安全確保のためにできることはする。一方で、こうした明確な方針を打ち出すことで、他のツアーでは体験できないような旅を障害者も高齢者も楽しめるようになった。
 今年2月には、ついに17日間の世界一周ツアーまで成功させた。全盲の方や高齢者の方も参加して、リオのカーニバルを見学し、アマゾン川でピラニア釣りを楽しんだという。祭りとともに殺人などの重大犯罪が続発するとも報道されるリオのカーニバルだ。障害者の受け入れを拒否した現地のオペレーターもいたという。しかし、そんなことであきらめるおそどさんでも、山本課長でもない。受け入れ先を見つけ旅は実現した。
 この世界一周ツアーで、おそどさんが鮮明に覚えている光景があるという。アマゾンのジャングルロッジで、釣ったピラニアのスープが出されたときだ。通常、魚は火を入れると色が落ちるのに、ピラニアのエラは、真っ赤なままだった。しかも釣り上げた時の険しい顔で、スープから皆を睨みつけていたという。
  「視覚的に、ちょっと気味が悪いんですね。口に入れるのを、私も少しためらってしまいました。ところが目の不自由な参加者の1人が、視覚の代わりに味覚とばかり、頭からガブッとかじりついたんですよ。食べられない人も多いなか。
 そのとき私は『負けたな』と思いました。一歩前進するか、一歩後退するかで、人生は大きく変わってきます。かぶり付いたことで、ためらわず一歩進んだことで、彼が感じたピラニアの印象は、食べなかった人より強かったと思います。
 障害者だから、私たちより旅の経験が少なくなるなんてことはありません。一緒に旅をして学ぶこともすごく多い。障害者も健常者も、旅ごとに何か新しい発見がある。そんなツアーなんです」
 おそどさんは、すべての人が旅をできるよう「一歩前進」した。山本課長含めJTBの歴代担当者も「一歩前進」した。そうした「一歩」が観光地をも変えてきたのである。おそどさんとJTBの踏ん張りによって、礼文島で盲導犬を連れての宿泊が解禁になった。青の洞窟でもピサの斜塔でも、障害者入場の実績を作ってきた。
 また、おそどさんとともに培ったユニバーサルツアーの経験は、福祉専門セクション「JTBバリアフリープラザ」として華開いている。高齢化社会が進むなか、発展していく可能性の高い商品を、会社は手に入れたともいえる。そう、観光地もJTBも「一歩前進」したのである。
  「39人集まったツアーもあれば、11人のツアーもありました。ただ適切な利益を生み出さないと、企業に根付きません。だから勝ち続けないとダメなんです」と、おそどさんは語る。
 ちなみに世界一周ツアーの参加費は、ひとり127万円。契約パンフレットを作れずに、11人の参加者が集まった。
 8年間、勝ち続け前進してきたトラベルデザイナーと、前例のない旅を認め支えてきた企業の成果が、ここにある。
 さて、あなたは「一歩前進」していますか? 取材を通じて、そんな問いを投げかけられたような気がした。(■つづく)

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地域に根ざす総合スポーツクラブを目指し-東京フットボールクラブ株式会社(F.C.東京)-

■月刊「記録」2003年7月号掲載記事

■取材・文/本誌編集部
■企画・制作/山口早紀

 東京フットボールクラブ株式会社。帝国データバンクによれば、2002年の決算では1600万円以上の利益をあげたという。
 不況の長期化と日本型経営の崩壊とともに、企業スポーツは縮小の一途をたどっていった。そうした企業スポーツの終焉を予測したかのように、サッカーリーグはプロ化され、ドイツなどを理想とした地域密着型のJリーグへと生まれ変わった。そのJリーグ発足から9年、FC東京を運営する東京フットボールクラブ(株)は、2002年1月の決算で黒字企業へと転換したのである。この不景気でありながら、集客能力は衰えをみせない。スタジアムへの観客動員数は、昨年Jリーグで3位を記録した。
「まだまだ満足出来るレベルではありませんが、すごく良い方向には来ていると思います」と、同社の広報担当の小林伸樹マネージャーは語った。
 もちろん当初から順調だったわけではない。99年、Jリーグ2部であるJ2で試合していた当時の観客動員数は、1試合平均わずか3000人強だったという。2000年に1部リーグのJ1で試合するようになって1万1000人。翌年には、ホームグランドとなる味の素スタジアムが完成し、2万2000人と観客が倍増した。
 Jリーグのほとんどのクラブは、株式会社の形式で運営されている。つまりお客さんを集めることで利益を上げ、その資金を使ってさらにクラブの環境を整えていく使命を負う。チームの選手全員が社員であり、会社の仕事として競技を行う企業内チームの時代とは、観客動員に対する考え方がまったく違ってきている。入場者が少なくなれば、経営を圧迫する。ある意味で当たり前の経済論理が、クラブを運営する会社にのしかかってくるのだ。
「会社の設立当初、私が上司から言われたのは、『観客を増やせ』それだけでした」と、小林氏は笑った。
 彼は広報の担当マンであるとともに、FC東京を地域に根付かせる「営業マン」でもある。最初に担当した地域はホームスタジアムのある調布市だった。
「調布市は動きが早かったですね。地元のプロサッカークラブを誘致しようとしていた団体もありました。僕らと二人三脚でどんどん町が動いてくれた。それで調布は大丈夫だろうと。その次に担当したのが府中市だったんです」
 99年早春、府中市サッカー連盟の理事が、小林氏と会う時間を作ってくれた。だが、喫茶店で向かい合って15分、小林氏は打ちのめされていた。
「全然、話が盛りあがりませんでした。せいぜい15分くらいしか話が保たなかったんですから。僕らが熱を持って良いクラブだと宣伝すれば、相手もそう思ってくれると思い込んでいたんですね」
 外は冷たい雨。テーブルにはまずいコーヒー。そして気まずい時間。
「受け入れてもらうための準備が必要だと実感しました。相手のメリットも示す必要がありますし、簡単じゃないな、と」

■アトラクションに行列が

 ホームタウンを決め、地域に根ざした総合スポーツクラブをつくりあげようというJリーグの理想は、日韓ワールドカップを知らない99年当時の日本人にとって、まだまだ夢物語だった。
 ヨーロッパのプロリーグのように、サッカーチームが町の誇りとなるためには、クラブが町に浸透し、クラブが町とともにあると、住民が実感しなければならない。Jリーグ発足が93年。野球人気の陰に隠れていたサッカーが、町で「市民権」を得るには時間が足りなさ過ぎた。
 だからこそ小林氏は考えたのである。「まず、僕という人間を知ってもらい、本気だぞということをわかってもらおう」と。
 彼はサッカー関係者や市の商店街関係者などを、こまめに回り始めた。ひたすら顔を出し、知人を紹介してもらい、雑談をし、FC東京の宣伝をする。
 タダのチケットを持ってくるようにお願いしてきた人もいた。一企業が宣伝のためにチームを持っているなら、いくらでも入場券を配ることができる。チケット販売は、チームを抱える企業にとって大きな意味を持たないからだ。しかしFC東京は違う。270もの出資先を抱える株式会社の運営の中核に、チケット販売がある。依頼を断るしかなかった。
 そんななか大きく流れを変えたのが、99年の夏に行われた府中最大の祭り「商工祭り」だった。たびたび顔を出す小林氏の熱意に押され、商工会議所がスペースを分けてくれたのである。ホコリの舞う小さなスペースだったが、小林氏は燃えた。
 試合を抱える選手を呼ぶことはできない。もちろん祭りのために、巨額の資金を投じるわけにもいかない。使えるのは、小林氏の頭だけ。
 彼はハンドボールゴールほどの大きさのキックターゲットを作りあげた。板に空いた穴へと蹴りこめば、商品を貰えるアトラクションだ。穴は3つ。幼児が転がして入るような穴も作った。参加費無料。入ったボールの数によって景品を変え、市販されていないFC東京のオリジナルグッズを大量に用意した。
「炎天下にズラッと行列ができました。朝から晩まで子供が並び続ける大盛況。ただ僕を含めたスタッフは辛かったですね。休みなくアトラクションを動かし続けましたから。精魂尽き果てましたよ(笑)」
 翌年、FC東京のブースはより人の集まる場所へ移っていた。すでに参加2年目から、定番アトラクションになったのである。そして府中市の3500社を束ねている商工会議所は、現在、FC東京の株主となっている。商工会議所を動かしたのは、やはり小林氏の情熱だろう。

■名門バルセロナに人気で追いつく!?

 こうした小林氏の動きもあり、FC東京の人気は少しずつ裾野を広げてきた。観客動員数こそ昨年と変わらないものの、年間チケットを買うファンの会員数は着実に増えている。現在の人数はなんと約4500人。J2の平均観客数3000人強だった時代から、わずか4年の快挙であった。
「全然満足なんてしてません。スペインのサッカークラブ・バルセロナは、10万人のコアなファンを抱えています。それだけファンを増やすことができれば、スポンサーに頼らない経営ができるでしょう。それこそクラブの理想でしょうね。
 でもバルセロナは創立50年で約2万5000人。FC東京は創立4年で4500人。あと45年かければ、到達できるんじゃないかなと思っています。
 満足しちゃ、ダメなんです。そこで止まってしまいますから。目標は高い方がいいと思います」
 小林氏の目は本気だった。
 今年、FC東京はバレーボールチームを立ち上げた。地域に根ざした総合スポーツクラブ構想を実現するためだという。精神修業を目的とした「体育」ではなく、土のグランドで足をすりむきながらするサッカーでもない。さまざまな種類のスポーツを一流のコーチで地域住民に伝えたい。サッカーをしたい子どもには、終わった後に空を見上げて寝ころべる芝生のグランドで練習させたい。
 すでにヨーロッパでは当たり前になっている地域スポーツの振興をFC東京は日本で作りあげようとしている。夢物語だと笑うこともできる。しかし「観客を増やせ」と言われ、「無理だ」と言い訳することなく小林氏が走り回ったからこそ、今のFC東京がある。
 45年先のFC東京を、私は心から見たいと思った。さて、FC東京は、バルセロナに肩を並べるビッグクラブになっているだろうか?(■つづく)

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東京大気汚染訴訟~謝罪なき和解への怒り~/原告団事務局長・石川牧子さんに聞く

●月刊「記録」2007年9月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 96年5月の第一次提訴から11年を経て、今月とうとう東京大気汚染公害裁判が原告側と被告側の合意に至った。総勢のべ633人にも上る都内のぜんそく患者らが原告団を結成し、国や東京都、そして同類の大気汚染の裁判では国内で初めて自動車メーカー7社に法的責任を求めた裁判となった。結果として都のぜんそく患者に対する医療費支援制度の創設、公害対策の実施、メーカー7社合計で12億円の解決金が提示され、原告と被告がこれに応じたことになる。今年6月にはぜんそくを患う原告団たちが18日間にわたりトヨタ東京本社前での座り込みを泊まり込みで決行し注目を集めた。和解後の記者会見の場では団長の西順次さんが、医療費支援制度などを得たことについて感慨のこもった力強い声で「何にもかえがたい成果」と語った。
 今回は原告団事務局長の石川牧子さんに11年間に及んだ訴訟について聞いた。

     *     *     *

■裁判の準備期間を含めると14年にもわたる裁判が決着したわけですが、今回の和解について「おめでとう」と言ってよいのでしょうか?
石川さん:たしかに、医療費助成制度や公害対策、メーカーからの一時金の支払いに至ったという点ではよかったし、周りからも評価されました。ただ、私たちの要求の最たるものである自動車メーカーからの謝罪が最後まで聞かれなかったこと、これだけは残念でならないんです。PM2.5(微小粒子)対策などの公害対策などは今後へつながるものとして価値あるものですけれど、原告団の多くは60代から80代といった高齢の人が多いです。その人たちは先のことよりもまずメーカーがこちらを向いて謝ってくれることを望んでいたんです。東京都は02年の1次判決ですでに責任を認め、国は私と団長が今年7月に首相官邸に行くと、安倍首相がその日のうちに出てきて下さって私たち原告団を慮る言葉をおっしゃってくれました。メーカーは違いました。提訴中に121人の原告が亡くなり、ぜんそくの発作で職を失った人もいます。さらに医療費の支払いに追われる。この無念やくやしさは心の問題で、それを全く無視したということです。しかもメーカー側の代理人によると、謝罪の拒否の根拠は後続訴訟が起こったときに過去の謝罪が不利に働く可能性があるから、ということでした。そんなことで謝罪が避けられてしまったんです。とにかく謝罪がなかったことが残念です。もう、私たちは11年間、何をやっていたのだろうというくらいの気持ちです。メーカーはお金を出すことが一番イヤで、謝罪ならすぐしてもらえるだろうと思ってましたが、それは逆でしたね。

■18日にわたるトヨタ前での座り込みで何か向こうからリアクションはありましたか?
石川さん:座り込みまでの経緯についてまず話しておきます。まだ02年の地裁判決の時点ではメーカー側の責任が問われておらず、国も医療費救済制度などを拒否していた段階では、状況的に余裕があったのか、トヨタ側は一時金の支払いについて「応じる準備もありますよ」と話していたんです。ところが、今年5月に入り国が支援制度創設へ動き出したとたん、一時金の支払いが現実的になったからかトヨタ側は原告側の代理人(弁護士)に「その点については今後取り合わない」と一方的に伝えてきたんです。企業のやり方は汚いですよ。対面しているときには「お察しします」みたいなことを言うんですが、突然連絡がつかなくなるみたいなことを平気でやるんです。そんなことがあって本社前の座り込み行動に出たんです。本社ビルの中で原告団から対応に出た社員に「責任ある立場の人に渡してくれ」と手紙を渡しました。後日、秘書課に電話までして渡辺(捷昭)社長にまで手紙が行ったことを確認しましたが、トヨタからの返事は「話し合いは拒否する」ということだけでした。もう、社長ここに連れてこい!ってな感じですよね、そうなってしまうと。原告団の中では東京高裁が結審日を打診してきた05年12月には、和解なんてとんでもない、という雰囲気だったんです。けれど弁護士さんと話し合って、裁判を長引かせれば患っている人にさらに時間を必要とさせる、和解に応じれば一部の原告だけでなく全員が賠償を取ることができるということで泣いて悔しがりながらも受け入れることを決めたんです(*編集部注:02年の地裁判決では99人中7人のみの損害賠償が認められている)。そんな状況をまったくトヨタは見ようとしなかったんです。

■裁判を通して見えてきた自動車メーカーとはどのようなものでしたか?
石川さん:法廷でのやりとりの中で、ディーゼル車が大気汚染の原因になっていることを覆すのは難しいと判断したからなのか、メーカー側は「私たちはディーゼル車とガソリン車をどちらとも販売している、ディーゼル車を選んだのはユーザーでありどこを走るのもユーザーの問題である」というようなことを言いもしました。なぜ11年もかかったのか、ということをよくきかれるんですけど、このような実に熾烈な法廷闘争で時間がかかってしまったのも事実です。いま環境に配慮する車だとかキレイなことを言っていますけど、じゃあこれまではどうだったんだ、ということを問い正したいですよ。         *     *     *
 西順次原告団長は、ぜんそくを抑えるステロイド剤がもう効かない体を引きずってトヨタ前に座り込み「ここで死ねるなら本望」と語ったという。また、原告団の多くはステロイド剤の継続的使用による糖尿病を抱えて座り込んだ。ただ、そんなものはぜんそくの「死んだ方がマシ」という苦しさに比べれば何でもなかったという。話を聞かせていただいた石川さんは22歳のころから29年間ぜんそくを患っている。発作がおさまらず1週間ほとんど飲み食いできないときもあった。詳しく書く余裕がないが、想像を超えるつらさについても話していただいた。
 そして、何より驚いたのは96年の裁判開始以前から関わってきた西村弁護士と原弁護士はじめ弁護団がまったくの無報酬でこれまでやってきたということである。石川さんによると西村弁護士は地元の四日市の大気汚染問題が法廷で争われた時期に高校時代を過ごし、弁護士になることを決意。東京大気汚染訴訟においては「まさにこのために」の気概で奮起してきた。だが、その西村弁護士とも激しい口論をして打ち合わせをしたこともあったという。
 話を聞くうちに確信したのは原告団全体の意志の強さである。だから闘い抜くことができた。それでも結果的にメーカーからの謝罪を聞くことができなかったことに石川さんは落胆と憤りを隠すことができない様子だった。今後も連絡会の場で大気汚染対策で国や都との協議が控えている。裁判は終わったが「東京にほんとうの青空を」の取り組みはまだ続く。  (■了)

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出版界に浸食するトヨタ礼賛の怪

●月刊「記録」2007年11月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 トヨタの影響は産業界だけにとどまらない。じつは出版界もトヨタに「蹂躙」されているのだ。ネット書店大手のamazonで「トヨタ」を検索すると、その数3965件。もちろん、ここには著者が「豊田さん」の本も含まれるが、頭から100件のうち90冊がトヨタ関連本だった。
 これはイカン! いくら本が売れないとはいえ、出版界までがトヨタ方式をヨイショしてどうする!
 というわけでトヨタ関連本を買いに走った。そこで改めて気づいたのだが、やはりトヨタ式はどんな問題も解決してくれるらしい。企業の収益はもちろんのこと人間関係から怠惰な自分まで「カイゼン」してくれる。果ては英語までもが、「トヨタ式」ならうまくいくとか。
 この本を読めば人生がすべてうまくいくかも! と思ってしまった自分が悲しい。
 さて、気を取り直して、1冊づつトヨタ関連本を取り上げていきたい。
 まず手に取ったは『ビジネス漫画 トヨタ式自分「カイゼン」術』(原案・監修 若松義人 宝島社)だ。手っ取り早くトヨタ生産方式を知るなら、やはり漫画だろう。
 内容は業績が悪化している「極東ヨツマル物産」に“カイゼンのドラゴン”と呼ばれるサクラダが呼ばれ、社内をことごとくカイゼンしくいくストーリーだ。ワイシャツを第一ボタンまで開けダラリとネクタイを下げた筋者風のサクラダは、社内の反発をものともせずカイゼンするする。トヨタ式の肝となるセリフでは必ず顔アップなのも、ちょっと昔のマンガを見ているようで楽しい。
 しかし、このマンガには不思議な特徴がある。それは人物が少しでも小さく描かれると、顔が省略されてしまうこと。ひどいのになると1.5センチの輪郭があるなの瞳がない。白目で主人公をにらみ付けている。1センチの輪郭ともなれば、顔には眉だけ。あるいはノッペラボウ。正直、これはかなり怖い。おそらく小さく書き込む顔が「ムダ」だったのだろう。ムリ・ムラ・ムダ(3S)を削減するトヨタイズムに従えば、リードタイム(納品までの時間)を長くしかねない背景の人物などムダでしかない。恐るべしトヨタ生産方式。漫画制作にまで威力を発揮したらしい。
「トヨタ式」の概略をつかんだところで、次に読み始め
たのが『トヨタ流 自己改善力』(若松義人 著 経済界)
である。まえがきにも「自分をカイゼンしていくために、トヨタ生産方式の、ものの見方や考え方、行動の仕方は非常に有効である」と書かれており、怠け者で負け組の私にはピッタリとも思えた。
 しかし、さすが製造業で驚異的な利益率を支えるトヨタ方式。そのカイゼンが並ではない。例えば「『昨日のことは忘れてしまえ、明日のことも考えるな、今日が悪いんだ、今やっていることにムダがあるんだ』という気持ちで臨むことだ」などと書かれている。とにかく日々、目の前にあるムダを省くことだけに集中しろってことだ。そのうえ「『改善とかムダをみつけることは、死ぬまでの仕事だ』というのが大野氏の考えだ」と、トヨタ方式の創始者の名で、ずっとムダを見つけ続けてカイゼンし続けるのが重要だと説く。企業ならまだ分かるが(いや、ずっと企業だけ拡大してどうなるかとも思うが……)、自分の人生からムダを省き続けたら何が残るのだろう。
 考えてみれば、恋人など「ムリ・ムダ・ムラ」の最たるもの。恋人とのつきあい方を「標準化」して、誰とでもつきあえるようにしても浮気されるだけだし……。
 いったいこのトヨタ流自己改革をどうやって自分に使えばいいのかが、残念ながらサッパリわからなかった。 ならば人間関係、特に社内の人間関係をトヨタ式でカイゼンするのはどうだろう。教科書は『人間性尊重のモノづくりを極める トヨタ式人財づくり』(トヨタ生産方式を考える会 編 日刊工業新聞社)である。ちなみに「人財」は小誌のお得意の誤字ではない。人間尊重を込めたトヨタ用語である。
 さて、この本、第1章「人づくり」の初っぱなにくるのが「大野耐一氏の人の育て方」である。当然ながら甘いことは書いてない。
「では、どんようにしたら知恵が出せるようになるか? その中で最も良い方法は、人を徹底的に追い詰めて、困らせる中で、自らが考え、知恵を引き出すことだ」
 これが最善の策らしい。しかも「自主管理活動」のページでは、「困らなければ知恵は出てこない」→「死ぬほど困れば知恵は出てくる」→「職場長をどうやって困らせるか」→“上司はあくまで部下を困り続けさせねばならない”とも書かれている。
 オイオイ、賃金もネームバリューも高くない小社で実施したら、みんな辞めちゃうって。
 やっぱり我が社には採用できそうもない。
 過労死や自殺者を出した越谷郵便局のカイゼン活動を、  「改善参加者への『動機づけ』さえ誤らなければ、必ずや郵便事業の効率化に大きく貢献するものと期待されます」と締めくくっている本に従ってもしかたないが……。
『トヨタの元工場責任者が教える 入門トヨタ生産入門』(中経出版・石井正光)はタイトル通り国内外の工場で30年以上指揮をとってきた人物が著したもの。前出の大野耐一・鬼カントクの現場でのエピソードなど織り交ぜながら、当然のようにTPS(Toyota Product System)やカイゼンの素晴らしさを伝導。トヨタ以外の企業ではカイゼンは通用しないという通説(?)があることに対し、それはその企業に合った形でカイゼンを適応していないからだと一喝。とにもかくにも「ムリ・ムダ・ムラ」を省くこと、これが挙げられるがこの徹底ぶりがすごい。具体的には、部品を取る動作ひとつとっても筋肉を上下に動かすよりは水平に動かす方が疲れなくてすむ、1秒でもムダな時間を省くべしといった具合。以前テレビでトヨタ工場内の様子の映像を見たが、従業員たちはまったく身動きができないような部品ばかりを集めたボックスのような場所で窮屈に手を動かしていた。このトヨタイズムは今や一部の地方自治体にまで取り入れられているという。利益を生みだすのが究極の目的である企業体とはいえここまでくれば原理主義の領域。トヨタは人を育てる? どんな人間ができあがることだろう? (■了)

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産学連携の危険な膨張とトヨタの影

●月刊「記録」2007年10月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 旧文部省が大学運営の方向を転換したのは1990年ごろだといわれている。細かく決まっていた大学設置基準を緩め、各大学が創意工夫して自由に競争する方向へと促し始めたのである。
 そして99年2月、小渕恵三内閣総理大臣の諮問機関「経済戦略会議」で重大な指針が示される。
「シリコンバレーにおけるような世界的ベンチャー企業が日本に興さない理由の一つは国立大学の硬直性にある。国立大学教員の身分を拘束の強い国家公務員から解放し、兼業や産学共同研究の自由度を飛躍的に高める。国立大学については独立行政法人化をはじめ将来の民営化も視野に入れて段階的に制度改革を進める」
 議長に当時アサヒビールの会長である樋口廣太郎氏、委員に井手正敬・西日本旅客鉄道会長や奥田碩・トヨタ自動車社長などの経済人と大学教授を並べた会議で出された、このような答申により大学にも「改革」の波が押し寄せたのである。
 この政策の背景には企業が抱える中央研究所の問題があった。日本の技術開発は長らく海外からの技術導入型であり、その中心を担っていたのが各企業の中央研究所だった。しかし付加価値を高めるため最先端技術開発が必要になると、時間も金もかかる研究を一企業だけで担うことができなくなってしまった。その補完相手として狙いをつけられたのが大学だった。
 じつは、この政策のモデルは米国にある。米国では70年代中頃から企業の中央研究所が衰退。企業は産学連携に活路を求めた。政府も大学への資金提供を縮小してこの方針をバックアップした。補助金を絞ることで、大学側も企業に研究資金を頼らざるを得なくなるからだ。この結果、世界のIT産業を引っ張るシリコン・バレーが生まれたのである。
 日本でも99年の段階で国公立大学の予算は実施的に目減りしており、地方大学ではビーカーなども買い替えられないほどの資金難にあえいでいるとも報じられた。
 また、補助金についても競争的資金を、どんどん増やしてきている。一律に分配するのではなく、研究成果を期待できる研究室に重点的に資金を渡す仕組みだ。95年度に初めて計上した競争的資金の予算は1248億円でしかなかった。それが06年度には4701億円にまで膨らんだ。そのしわ寄せは一律の補助金に及んでいるわけで、研究内容がアピールできなくては研究費を確保することが難しい時代になったことになる。
 さらに国公立大が独立行政法人化した04年度からは、交付金が毎年1%ずつ削減されており、各大学では収入源の確保のため、積極的に産学連携を進めるようになった。
 だが、財源確保に不安を抱く地方国立大の中には、ついに文部科学事務次官の天下りを学長として迎える大学まで現れた。人脈で補助金を狙おうという魂胆であろう。

■論文さえ信用できない

 そもそも国が判断する「研究成果」を、どのような基準で判断するかは難しい。産学連携の評価となれば、企業が活用できる研究かという明確な基準があるが、純粋数学や物理などの理系分野、あるいは文系の成果を企業が活用できるケースは少ない。いくら産学連携を模索しても、これらの学部に資金が集まらないのは明らかだ。そのうえ研究を続けるための根幹となる資金の多くを企業が握ると、大学の研究室が企業の「下請け」になる可能性さえある。
 実際、産学連携が日本より15年以上進んでいる米国では、企業と研究室が密接になり過ぎ学問の公平性を疑う事態にまで発展している。
 例えば、カリフォルニア大学バークレイ校のI.チャペラ氏の論文が引き起こした事件などは有名だ。01年11月の発行の学術雑誌『ネイチャー』に彼が発表した論文には、遺伝子組み換え作物の栽培が禁止されているメキシコのトウモロコシに、かなり交雑しているのが見つかったとの事実が掲載された。この論文に遺伝子組み換え作物を販売する企業や、そうした会社からの補助金で研究を進めている研究者が噛みついた。
 そのうえ所属学科や関連学会から支持されていたのにもかかわらず、事件直後のバークレイ校での終身雇用の審査でチャペラ氏は承認されなかった。これはかなり異例のことだったとも報じられている。
 しかも、この審査を担当する委員会に強い影響力を持っていた人物が、遺伝子組み換え作物を製造しているノバルティスと密接な関係にあることもあきらかになった。またチェペラ氏が論文を発表する以前からバークレイ校とノバルティスの間で結ばれた排他的長期契約が一部で問題になっており、大学と連携した企業に対する批判的な研究がどのように排除されるのかを示した事件となった。
 もう何年も前から、企業がスポンサーである研究論文は企業に有利な内容になっているケースが多く信用できないといった批判が、海外でわき起こっている。そのうえ資金難の大学の足元を見て、企業側に有利な契約を大学に押しつける企業も出てきた。米国の某有名大学では学内すべてのデータベースを企業が所有する契約にサインするよう迫られ、大学側が契約を断念したという。このような契約で学問や大学の独自性が守られるわけがない。
 70年代、大学自治の観点から日本の大学は産学協同を忌み嫌った。その反動であるかのように、現在、産学協同は産学連携と名前を変え称賛されるようになった。批判的な意見はあまり聞こえてこない。
 しかし米国と同じような事態にならないと言い切れるだろうか? 公的資金が減ってくれば、研究を続けるために企業側の意向を受け入れる研究室が出たとしてもおかしくはないはずだ。

■無批判に広まるトヨタイズム

 企業と教育機関と距離をどのように取っていくのかという問題は確かに難しい。
 例えば01年に開校したものつくり大学はトヨタ自動車など民間800社からの寄付で資金の一部を調達した。 「ものつくり大学設立準備財団」にはトヨタ自動車の名誉会長である豊田章一郎氏が就任。現在でも張富士夫・トヨタ自動車会長を理事に迎え、大学支援会員のトップにはトヨタ自動車の名が挙げられいる。またアイシン精機や豊田自動織機などトヨタ系列の企業も支援会員に名を連ねる。このような場合、協賛企業と大学の関係は当然のことながら深まってくる。
 企業が創設した大学としては、同じくトヨタ自動車がつくった豊田工業大学や、ダイエーが深く関わった流通科学大学なども有名である。豊田工業大学の建学の精神は、豊田グループの創始者・豊田佐吉の言葉「研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし」が掲げられている。当然のことながらトヨタ自動車の技術者が教員となっているケースも少なくない。もちろん卒業後にトヨタ自動車に就職する学生も多い。
 一方、流通科学大学は「流通革命」の拠点にしようと故中内功氏がもくろんだものの、ダイエーの落日とともに大学としての魅力も薄れてしまったようだ。90年代初頭、競争倍率が毎年のように10倍を超え、代々木ゼミナールの入試偏差値で60をたたきだし、多くの卒業生をダイエーに送り込んできた同大は、現在、入試偏差値で40代中盤に沈んでいる。これも産学連携の中で、企業と大学がもたれ合ってしまった故の悲劇といえる。
 産学連携のもっとも顕著な形として、企業から大学の教員として迎えられた人もかなり数にのぼる。
 例えば先に触れたものつくり大学では、田中正知名誉教授が大学開設にともない、社命によりトヨタ自動車から転籍した。
「学生たちに教えたいことは、たくさんあった。現場管理者としての安全管理、生産管理、資材管理、労務管理、購買管理、トヨタ生産方式、統計品質管理、故障診断法、リーダーシップロン、QCサークル活動……」(『「トヨタ流」現場の人づくり』日刊工業新聞社)
 田中氏は自らの著作で、このように大学教育への抱負を語った。生産・流通管理の専門家が大学で講義を持つ以上、トヨタ生産方式が教材になることは当たり前だろう。しかしトヨタ生産方式がただの「生産方式」ではなく、社員の哲学として浸透している現実。だからこそ他社ではなかなか浸透しないという状況を考えたとき、トヨタイズムを体現する元社員による教育は学問としての客観性に疑問が生じないだろうか?
 例えば田中氏は自著で次のように書いている。
「トヨタでは、自動車を生産、販売するという仕事を通して社会全体に貢献すること、そして社員みんなが幸せになること、このふたつを会社が存在する最大の理由として掲げている。建前は他の企業も同じかもしれない。が、それほどそれを真摯に、かつ真正直に考えている企業はないのではないか」
 トヨタ自動車が不景気にあっても、リストラをしないという方針を掲げている。それは事実である。しかし史上最高益を出しながらベアを廃止し、社員をリストラしないために大量の非正規雇用者を雇って人数調整しているのもまた周知の事実である。このような側面を同大の学生は教わることがあるのだろうか?
 哲学であるトヨタ生産方式が、ただの生産システムかのように見せかけて教育されているケースは、ものつくり大学だけではない。
 目白大学経営学部長でもある門田安弘教授はトヨタ生産方式を学術的に研究した権威でもあり、JICAの派遣専門家としてシンガポールで同方式を技術指導した経験を持つ。しかし門田教授が最新のトヨタ生産方式を解説したする『トヨタプロダクションシステム――その理論と体系』(ダイヤモンド社)には、トヨタ方式にかんするマイナス面がほとんど書かれていない。
 第Ⅱ部の第3章で「トヨタシステムに対する共産党の批判」という見出しを掲げ、このシステムによりトヨタの下請けがどれだけ泣かされたのかという共産党の訴えを記述しているが、トヨタの対応により「問題点はほとんど解消された」と記しているのだ。
 その一方で「合理化はコストを低減させるし、こうしたコスト低減は親メーカーとサプライヤーの双方が共有する義務だ」と説く。ここには自社の合理化で無理な部分を下請け企業に回しているという現実は含まれていないようだ。
 じつはトヨタ方式が教えられているのは大学だけではない。九州産業大学の国狭武己教授が書いた『現代生産システム論』(泉文堂)は工業高校の教科書としても使われている。第10章「トヨタ生産方式」では歴史や特徴などがそれなりに詳しく記されている。しかし、大きな問題を抱えたシステムであることは、ここでも記載されていない。

■将来の危険性

 日本企業の代表的な存在だからと言われればそれまでだが、注意しながら進めるべき産学連携にトヨタの影がついて回る。経済戦略会議には奥田氏が名を連ね、トヨタが大きな影響力を保てる大学があり、客員教授の形で元社員がトヨタ自動車の哲学を全面的に肯定して教鞭をとる。また日本の最高学府である東京大学の国際・産学共同研究センターにもトヨタのグループ会社社長が籍を置いている。産学連携の歩みのなかで、いつの間にか日本のトップ企業が大学での影響力を強めていた格好だ。
 トヨタが絶賛されている現状ならば、それほど大きな問題にならないかもしれない。しかし遺伝子組み換え作物のように、企業の利益と国民の安全が相反するような事態となれば、こうした教育界でのネットワークは企業保護に向かって走り出すのではないか。そんな不安が頭をよぎる。
 産学協同が叫ばれた時代のように、企業と大学の密接な関係をすべて否定する必要はない。ただし産業向きではない学問も含め、自立した学問の場が大学に確保されるよう常に大学と企業の関係を見守る必要があるだろう。(■了)

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JR福知山線事故の深層/斉藤典雄

●月刊「記録」2005年6月号掲載記事

 脱線転覆。大惨事だ。
 JR史上最悪の事故となってしまった。
 死者107人、重軽傷者460人を出したJR西日本福知山線の脱線事故。
 あまりにも凄惨すぎた。これが現実なのかと本当に信じられなかった。
  「地獄絵図そのもの」「修羅場と化した」と負傷者は茫然とした様子で語っていた。「いつもと違う、もの凄いスピードが出ていた」という多くの証言もあった。
 乗客の救出活動は難航を極め、丸4日を要した。
  「再発防止に全力をあげる」「2度と起こさない」「申し訳ございません」はもう聞き飽きた。
 過去には例がない、これほどの凄絶な惨禍がなぜ起きたのか。現場検証や原因の究明が続く中、JR西日本の、やはり異常だった企業体質等が次々と明らかになってきている。
 まずは、事故現場の状況から記す。
 脱線したのは、7両編成の前寄り5両だった。
 目を疑うほどの何よりの衝撃は、線路脇のマンションに巻きついた車両だった。一枚の板のようにぺちゃんこになり、原形をとどめていない。マンションの角では「く」の字に折れ曲がり、外壁にそって張りついている。それが2両目だった。
 3両目は車両半分が線路上だが、進行方向が180度回転して、前後が逆に入れ変わっている。前部は大破だ。
 4両目は対向車線を完全に塞ぎ、5両目は一見線路上だが何軸かが脱線しているという有様だ。
 では、1両目はどうなっていたのか。事故当初は窺い知れなかったが、暫く経ってからようやく判明した。マンションの1階部分の駐車場に突っ込み、中にすっぽりと入り込んでいたのだった。その上、マンションに巻きついていた2両目が被い隠す格好だったため、外部からは確認出来なかったというものだ。しかも、脱線地点からマンションまでは約60メートル。車両は横倒しになったまま直進して激突したものと見られている。何台かの車を巻き込みながら止まったのだろう。20メートルの車両はじゃばら状に圧縮されて、7メートルになっていたという。想像すらできない。絶句だ。
 次に、脱線に至る経過を記す。
 話が前後してしまったが、事故発生は4月25日朝9時18分。長い直線からカーブに差しかかる塚口(快速は通過)―尼崎間で起きた。
 宝塚発同志社前行きの上り快速電車は約580人の乗客を乗せていた。事故発生前に停車した伊丹駅で、ホームを40メートル行き過ぎるというオーバーランを起こし、バックして乗降させたために1分30秒遅れて発車するという事象が発生した。
 この際、運転士は「(距離が)短かくならないか」と車掌に事故隠蔽を依頼、いわば口裏合わせをしていた。車掌は指令に「8メートル行き過ぎ、1分30秒遅れた」と虚偽の報告をした。指令は、状況を確認するため運転士に無線で2回呼ぶが応答はなし。発車してから約2分後、カーブに差しかかった所で事故は起きた。
 この線区の直線区間の制限速度は120キロ、カーブは70キロと定められていたが、カーブ手前の直線を126キロで走行し、108キロまで減速後、カーブ手前数10メートルの地点で非常ブレーキをかけていたことが事故調査委員会(国交省)などの調べで判明している。また、脱線した原因については複合的な要因があるとした上で、速度超過が主原因であると断定された。以上である。

■ミスした乗務員が草むしり!?

 問題は山積しているが、第一に安全対策はどうであったかだ。
 鉄道輸送は安全が最優先であることはいうまでもない。ダイヤが過密になり、スピードアップが求められる中で、万が一、運転士がミスを犯した場合のバックアップ体制として、「ATS」(自動列車停止装置)という優れた保安システムがある。
 今や、JR東日本をはじめ私鉄各社も速度超過に対応する新型のATSを広く導入している。しかし、この線区は赤信号のみの対応の旧型のATSのままだった。新型の設置がJR西日本全線で8パーセントにも満たないというから対策の遅れが際立っている。
 事故を防ぐ技術があるのにそうしなかったのは会社の怠慢である。責任は重大だ。営利優先、安全軽視といわれても仕方がない。
 また、カーブには「脱線防止ガード」(線路内側にもう1本レールを敷設する)が設置されていなかった。設置していれば脱線を避けられた可能性はある。
 さらに、車両の軽量化だ。コスト削減と高速対応のためのステンレス製だったが、これまでの鋼鉄製と比べれば強度の違いは明らかだ。被害が拡大した原因のひとつであることに間違いない。
 しかしながら、後述の2つは5年前に起きた日比谷線脱線事故でさんざん問題になった点である。手つかずのままだったのか、教訓が全く活かされていないことに愕然とする。安全には万全を期してもらいたい。人命を預かるという責任の重大性を認識し直すべきである。
 次に、電車はなぜ通常では考えられない速度を出したのかだ。
 運転士(23才)の死亡により全て推測でしかないが、異常な速度を出さざるを得なかった心理的要因には確証がある。
 それは、JR西日本の労務管理の特異性にあると断言出来る。乗務員がミスや問題を起こした場合の教育、指導のあり方に如実に表れている。2度と起こさないようにするために、安全への意識を高め技術を向上させるという本来の目的から大きく逸脱しているのだ。
 まず、この線区は速さが売りで1秒の遅れも許されない雰囲気があったという。実際、運転士にも秒単位の乗務報告をさせていた。
 その上、ミスを犯せば処分され、乗務停止の「日勤教育」と称する再教育が待ちうけている。なぜミスしたのかという「事情聴取」に始まり、原因究明より責任追及に重点が置かれている。
 言動は全てチェックされ、必要以上に問い詰められる。上司らが監視する中、反省文、自己批判、就業規則の書き写し等が何日も続く。期間は現場長の裁量に委ねられているため(これ自体疑問だが)、いつ終わるか分からない。
 一日中部屋に閉じ込められる屈辱。あるいは皆の目のつく所でさらし者にされるというみせしめだ。「誰から給料貰っていると思ってんだ」「乗務員失格だ」「辞めてもいいんだ」「もうしないと誓え」等々、ドラマで見る警察の取り調べのように人格まで否定される。果ては、基本動作等の強要、草むしりといった精神教育にまでエスカレートしていく。
 命を預かる以上、ミスに厳しい姿勢で臨むことは当然だが、これでは懲罰目的としか思えない、いじめそのものなのである。
 こうした恐怖のペナルティーで受ける精神的ダメージは相当なものだろう。目には見えない過大なプレッシャーに耐えきれず、自殺した運転士もいる。その父親は「日勤教育はいじめだ」として、JR西日本に損害賠償を求める訴訟を起こしている。裁判所は請求は退けたものの、日勤教育が自殺の原因だったことを認めている(現在は高裁に控訴中)。
 また、兵庫県弁護士会は「人権侵害にあたる」と、同社に改善勧告を出した例もある。
 もう何もいう必要はあるまい。運転士はオーバーランのミスと1分30秒の遅れを取り戻そうとパニック状態に陥ったことは容易に推察できるわけである。
 このような誤った管理体制は社員の志気を低下させるばかりではない。会社としての一体感まで損う結果となっている。それが今、切りがないほど明るみになっている、事故当日の社員の不祥事の数々だ。

■事故が起きても他所なら関係なし

 当初から、会社の対応は、責任転嫁ともとれる置き石発表、事故隠蔽を思わせる二転三転する会見内容等々、不手際が目立ち、どれもこれもといっていいくらい集中砲火を浴びていたが、もはや弁解の余地はない事態にまで発展している。
 事故車両に客として乗り合わせた運転士が2人いて、救助活動もせずに出勤した問題。事故を知りながらボウリング大会、ゴルフコンペ、海外旅行、宴会等々、枚挙にいとまがない失態続きである。
 「不謹慎だ」「鉄道マンとしての意識があるのか」「何を考えているんだ」と、遺族や負傷者の不信は増すばかりで、怒りを通り越してあきれ返っているという状態だ。鉄道員である以前に、まず人間としての使命を果たしていない。
 出勤した運転士は事故車両内から「メチャメチャだ、大変なことになっている」と電話を入れたそうだ。受けた当直は「ケガをしていないのなら出て来て」と出勤を指示したという。当直はどれくらい大変な事故かイメージ出来なかったに違いない。それは、事故直後に流された社内一斉放送からも窺える。いくら混乱していたとはいえ、「踏切事故発生、車と衝突、運転再開は12時ごろの見込み……」といった、普通では考えられないほどお粗末なものだったからだ。
 それにしてもと私は思う。誰もが皆、すっかりJR社員になり切ってしまったと。1分1秒たりとも遅れない、なにがなんでも出勤するという、いい意味での「ぽっぽや魂」を履き違え、本来人が持つべき当たり前の心さえ失ったのではないかと。これも一種の間違えた洗脳の結果だと思うのである。
 また、ボウリング大会を中止しなかった区長は計らずもこういっていた。「エリアが違う」と。JRは組織が大きい縦割り社会の典型だ。残念ながら横の繋がりは殆どない。職場、あるいは支社単位で競わされていることもあり、事故が起きても、他所なら「うちじゃなくてよかった」と、管理者ですらまるで他人事のように平気で口にしているという風潮が根強くある。これらは素直に改めるべき課題でもある。

■私が担当だったらブレーキを使えたか

 会社の失態を書き連ねたが、ふと思ったりもした。「もし私が担当だったら……」と。
 鳥肌が立つ。恐ろしい。イヤだ、イヤだといっても、やっぱり考える。
 車掌の仕事(役割)は3つある。
 ①列車の後方防護。②列車の状態監視。③車内秩序維持。
 中でも①が最も重要で、車掌は後方防護要員であるとまでいわれている。だから、最後部に乗務しているのだ。
 後方防護(列車防護)とは、事故が起きた場合、後続列車を止めること(運転士負傷の場合は対向列車も)、すなわち、併発事故(2次災害)を起こさないようにするということである。
 危険と感じたら(疑わしい時は)躊躇することなく非常ブレーキで止めることと、規則でも厳しく義務づけられている。
 例えば、この事故同様、普段とは違う異常なほどのスピードが出ていたとする。車掌には速度を見る義務はないが、駅への進入時とかならまだしも、運転の途中の一瞬の出来事であり、運転士に「大丈夫ですか」と問い合わせするくらいが関の山だろうと思う。変だなと感じてもあれよあれよと同じ結果になったに違いない。それで、脱線してしまった。確認したら、まず直ちに防護無線を発報する。これで近隣の列車は全て止まる仕組みだ。
 そして、指令に状況を報告する。もちろん、救急車、レスキュー隊の手配等要請もする。あとは、ひたすら人命救助にあたるだけである。……と頭では分かっているが、これほどの大事故だと、正直いって分からない。想像すらできない。
 何もできずに、ただ茫然と立ちすくみ、そのうちだんだんと気が遠くなり、意識を失っているかもしれない。気がついたら病院かも。この車掌は、全てを包み隠さず話すことがなによりの責務であると考える。
 いずれにしても、JR東日本では、分割・民営化前後の約10年間をピークに「日勤教育」という悪夢は影を潜めた感じだが、職場によっては未だにこうしたファッショ的な指導が残っているのが実情である。
 社長がいくら頭を下げて謝罪しても、心は遺族たちには届かない。また、幹部が「全社一丸となって……、事故を共有する気持ちで……」といっても、面従腹背が蔓延している現状では意思疎通すら計れず、信頼の回復は前途多難なばかりか絵空事でしかないだろう。
 お客様が便利になると、必ずといっていいほど社員が犠牲になっている。それは人員削減であったり、労働強化であったり、ゆとりや働くという喜びがどんどん失われていくのだ。これを正常といえるのか。それにしても遅すぎた。なにもかも全てが遅すぎた。
 最後に、誰もいわないから私が言う。「若い運転士が気の毒だ。名前も全て公表され、残された家族は永遠と不幸を背負う。人生これからだったのに……」。

■音声変えてもハッキリ私だと……

 この大事故の影響は意外な形で私にもおとずれた。
  コメントがほしいなどと、事故当日から約2週間の間にテレビ局3社と週刊誌1社から取材があったのだ。
「なんでおれなんかに」と思う反面、「仕方がないのか」という諦めのような複雑な気持ちが入り交じった。
 事故当日、私は夜勤明けだった。10時半ごろ乗務が終わり、本区に戻ると、控え室では同僚達がテレビの前で大騒ぎとなっていた。1両目か2両目かがぺちゃんこになり、マンションの外壁にへばりついているという、まったく信じ難い、わけの分からぬ衝撃的な光景が映し出されていた。
 ひとまず帰宅してからも、いつもはすぐ休むところを一日中テレビに釘付けとなっていた。どのチャンネルを回してもこの事故のことが報じられていた。これ以上はない大惨事だと思った。ただただ茫然とするばかりで言葉が出ない。晩ごはんを済ませ、あとは早目に寝るだけという8時前のことだった。テレビ番組スタッフからの電話である。
 取材だけならいいが、テレビに映る(写真も)のだけは本当に大イヤで勘弁してほしいのだ。その理由はいいようがない。イヤなものはイヤだと駄々をこねる子どもに理由を聞くようなもので、まるでオトナ気ない、理由にならない理由だからだ。
 そもそも私は人前に出るような人間ではない。喋るのは大の苦手でもある。その上、いつもの通り酔っていた。
 これから車を飛ばして、赤坂(TBS)から八王子(家)まで来るという。スピード違反だけは止めてほしいと思った。グズグズと決断しかねたが、全然大丈夫じゃないのに「大丈夫ですから」という相手に押し切られた格好だった。もう仕方なく承諾したのである。それからが大変。水やお茶をがぶ飲みし、熱い風呂に浸かりと、酔いを覚ますのに必死だったことはいうまでもない。テレビクルーが到着するのに時間がかかったおかげで、すっかり酔いも抜けたのだが……。
 10時前にチャイムが鳴った。ディレクター、カメラ、照明と総勢4人が家にみえた。約1時間位だったろうか。
全然大丈夫じゃないのに、またも「大丈夫ですから」と慰められ、事態はどんどん進んでいった。
 撮影とインタビューはわけの分からぬままに終了したといってよい。もう、ただただしどろもどろで、内柔外剛の自分をイヤというほど思い知らされ、意気消沈してしまったのはいうまでもない。
 従って、結果はどれも恥ずかしくって誰にもいえないものばかりだった。
 ところが、さっそく同僚にいわれた。「テレビに出てたよね、あれは間違いなく典ちゃんだ」と。どうしてバレたのかと不思議でならなかった。顔はボカシで音声まで変えてあったのに…。私のデカイ鼻がボカシからはみ出しそうだったからか。また、私は元々音声を変えたようなボソボソとした声質だから、地のままでいっても同じだったのかもしれない。
 翌日の朝に放映された、その具体的な内容といったらナサケナイったらない。スタジオに設置された大きなボードには「人為的ミスか? 現役車掌は語る『オーバーランはよくあること』」とものものしく書かれてあった。司会のみの某氏さんが「現役の車掌さんが大変な証言をしてくれました」と紹介した後、私が映し出された。
「オーバーランはよくあるといっても差し支えない」「若い運転士なだけに心理的に追いつめられたのでは」「運転士は職人気質で、秒単位で動かしているというプライドがある」「時間に対してのプライドが強く働きすぎて、安全面がおろそかになったのではないか」と途切れ途切れでたどたどしいったらないのだ。「オーバーランが原因の1つなのではないかと現役のJR車掌は推測する」と、合い間に入るプロのナレーションに助けられたが、まったく話になっていない。
 これでどこが大変な証言なのか。時間にして1分にも満たない。語るなどという代物でもない。どっちらけだ。恥ずかしさのあまり、テレビをぶち壊してやろうかと思ったほどだった。

■ついに会社から呼び出し!

 一方、週刊誌の方はとんでもない事態になった。私がいってないこと、いった内容と異なることが記事になっていた。これではJR東日本を誹謗中傷していると捉えられるかもしれない。会社から何をいわれるか分からない。私は直ちに抗議をした。そして、謝罪してもらったのだ。
 案の定、2日後には会社から呼び出しがあった。会社の要望は2点。記事にあることを私がいったかどうかの事実確認。会社には広報という窓口があるから、会社の名前を出して個人でマスコミ等に出るのは慎んでほしいということであった。
 主な3点だけ記す。
 取材で私がいったことは①東でも重大事故は起きる可能性はある。ないとはいえない。しかし、西のような事故はまず起きない。いくら超過密ダイヤでも、新型のATSが整備されているからスピードが出せない仕組みだ(速度超過をすれば、ATSによりラッシュの電車は次々と止まってしまうということ)。②10秒単位の乗務をしている。③3時間ぐらいしか仮眠出来ないこともある。
 それに対する記事の内容は①東でも西と同じ事故が起きる可能性が大きい。過密ダイヤの首都圏こそ危険だ。②1秒の遅れも報告するのが原則。③乗務員の睡眠時間は平均3時間程度。
 私は記事のようなことはいっていないことを告げ、以上の点を説明した。また、迷惑しているのは私であり、謝罪してもらったこと。誰にでも間違いはある(新聞、テレビでも)こと。
 そして、私は同業者として107人も死亡した、この大惨事を黙っていることは出来ない。対岸の火事ではない。JRへの愛社精神をもって、安全等の問題については警鐘を鳴らし続けていく。要請があればマスコミにもどんどん出る。会社もいったらいい、東は安全ですよって。これで終わりだ。
 会社はもう何もいわなかったが、翌日また呼ばれ、「もし、外部から会社に問い合わせのようなことがあれば、本人は謝罪してもらっていることだと答えるが、それでいいか」といってきた。わたしはオカシナことをいうものだと思った。そんなことはもう関知しないことだ。うちの困ったヒラ社員が勝手な発言をしたものでしてとでも、好きにいえばいいのではないか。会社は週刊誌に抗議するなり、謝罪文を出してもらうなり勝手にすればいい。

■東労組の若手が支持してくれた

 これで一件落着かと思いきや、今度は東労組による私への個人攻撃が始まったようなのだ。
 聞いた話だが、「いい加減なことを週刊誌に載せてんじゃねぇ」「断じて許さない」みたいな内容の掲示を張り出しているという。
 ま、私がとんちんかんなことをいったことになっているのだから無理もないが、うちの職場ではなく他所の職場に張り出すといった、相変わらず因循姑息なやり方である。
 呆れ果てるばかりだ。いずれ真実は分かるはず。そんなことをしていたら、組合員の気持ちは離れていくだけだろう。
 その夜、東労組の若い組合員が多くの人にメールを送ってくれたという。
「良識ある仲間に転送を! 週刊誌に掲載された三鷹車掌区の斎藤氏の記事の件で誤った情報が流されています。氏の意に反した内容が記事になってしまい、週刊誌に抗議、謝罪を得たとのことです。会社側も一連の事は把握しており特に問題はありません」。
 心から感謝する。ありがとう。涙がちょちょ切れるくらい嬉しかったよ。(■了)

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「健康意識」とサプリメント

●月刊「記録」2004年7月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 薬局に限らずコンビニでも簡単に手にはいるようになったサプリメント。これは「薬」ではなくて、栄養補助「食品」なのだ。一日に必要な栄養素を食事だけで摂取できないときの補助として飲むのが一般的な利用のされ方である。
 サプリメント市場は年々成長しており、大手のファンケルでは、94年の売り出し初年で約15億円を売り上げたのを皮切りに2000年には約220億円と200億を突破。現在は約300億円近くまで到達し、当初の20倍以上の売り上げだ。
 同社はかつて無店舗で「無添加」をうたった化粧品を販売し、健康に気を使う女性を中心に支持を広げた。その後「無店舗」はやめたが無添加路線は食品にも手を広げた今でも守っている。
 サプリメントの販売を開始した94年2月当初はビタミンC、ローヤルゼリーなど28品目を売っていたそうである。
 ファンケル広報担当者は「消費者の健康意識の高まりと共に売り上げも増えていきました」と背景を推察する。確かに「健康意識の高まり」もあるかもしれない。しかしよく考えてみるとサプリメントを必要として飲んでいる人の多数は不規則な生活をしている人である。
 ここには大きな矛盾がある。つまり普段が不規則=健康とはいえない生活を送っているために、本来ならば気にしなくてもいい「健康」へと関心が高まっているという構図に、だ。言い換えれば健康への志向は不健康な生活を続けることが前提となっている。いささか問題ありではないだろうか。
 本来ならば3回きちんと食べ、しかもバランスの取れた献立が必要だ。そうすればサプリメントを頼らなくてもいい。こうすることが本来の「健康意識の高まり」であるべきである。

■「不健康」だから買う

  「健康意識が高まって」いるにも関わらず、日々の生活が病因につながる「生活習慣病」が増えている。
 生活習慣病には、ガン、動脈硬化、高血圧、2型糖尿病などがある。最近子供の間で増えている肥満もその一つだ。
 かつて壮年期を迎えた人が多くかかる疾患ということで「成人病」と呼ばれていたが、生活習慣の混乱、とくに食生活の乱れが日常化した今はもう子供もかかるので最近では生活習慣病と呼ばれるようになった。
 したがって規則正しい食生活を送ることが生活習慣病を回避する大切な要素になってくるのはいうまでもない。1日3回ちゃんと食べよう。それが難しくてもバランスの取れた食事を心がけようということだ。
 もっとも現代人が食生活を正しくするのは容易でない。3食をしっかりとることが仕事柄不可能な人もいれば、朝食をきちんといただいてから出社したくてもできない人もいる。そのうち可能であっても「朝からご飯なんて……」と食べずに出社する習慣がつく場合もあろう。責められない現実ともいえる。
 一方の「バランスの取れた食事」も言うは簡単だが、実行するにはよほど意識しないとうまくいかない。朝はこれを食べたから昼は別のあれにしようと強く意識してセレクトするようにならなくてはならない。「そんなの簡単」と思ったら大間違いだ。なぜならばそれがうまくいっていないからこそ生活習慣病が増えているからだ。かくしてサプリメントは売れていく。
 さらに本物の「健康意識」派が売れ行きに拍車をかける。いくら規則正しい食生活を送っていても「環境の変化によって野菜中の栄養素量が減ってきているから」などと考える本当の健康志向もまた確実に増加中。要するに「不健康だから」と「より健康に」の一見正反対の人たちが「どっちにしろ必要だ」とばかりに買い求めているようなのだ。

■完璧を目指せば飲む量が増えてくる

 そうである以上「サプリメントに頼るな」と叫ぶのは非現実的だ。正しい使用法を探る必要があろう。
 サプリメントの一番良い点は、飲み方がとても簡単なところだろう。自分に足りないと思われる栄養素が入っている製品を買ってきて、袋に記載されている粒数を守って飲めばいいのである。
 食事のように食材を買ってきて、調理して盛りつけなくても、水で飲むだけで簡単に栄養補給できてしまうのだからこれ以上楽なことはない。
 だがここで大きな疑問がわく。一日に必要な栄養素を補うためには、足りない栄養素がなにかを知らなければ摂ろうにも摂りようがないという点だ。
 もちろん日本人が一日に必要な栄養素量を細かく定めた「日本人の栄養所要量」というのがあるので、それを参考に一日必要な量を「食品成分表」を見ながら電卓片手に計算して摂っていけばいいのである。
 だがそれが容易ではないのは「日本人の栄養所要量」を手元に持っている人などほとんどいないことでも明らかだ。自分で調べないならば病院へ行って栄養指導をうけたり、身近に栄養士がいれば「あなたに必要な栄養素量をすべて含んだ献立を作ったわ」などということが可能だが、これまた現実にはほとんどない。
 したがって「私にはビタミンCが足りないと思うから摂るわ」というように、自分で何が足りないかをたいした根拠もなく摂取している人が多いと容易に想像できるが「生兵法はけがのもと」という古いことわざもある。素人判断ほど危険なものはない。
 たとえば不規則な生活を送っている人はビタミンだけが足りないわけではなく、完璧をめざせば数十種類はあげられる。すべてを果てしなくサプリメントに加えていくことなど不可能だ。
 1つの栄養素に限っても一粒飲んだだけで十分というわけではないことは意外に知られていない。サプリメントだけで補おうとすればするほど、飲む量も多くなるから面倒になる。
 以上の問題も含めて「サプリメントにはお金がかかる」のも深刻だ。オーソドックスなビタミンやミネラルなどは安いが、摂りづらいものや希少価値の高いものになればなるほど価格があがっていく。
 よく新聞広告などで目にするローヤルゼリーやプロポリスなどは驚くべき金額である。高くても健康でいたい、健康になりたいという健康オタクならば気にはならないだろうが。絶大な効果を期待すると裏切られる可能性が高い。
 なぜならばサプリメントは本来が食品であり、消耗品だからだ。消耗品だから飲めばなくなる。即効性のある薬ではなく、続けなければ効果が表れない食品なので毎月効果が表れるまで飲み続けなくてはならないし、病気を治すために飲むのではなく病を予防するためだから「ここでやめてもいい」というラインもない。そうした特性を踏まえると高いサプリメントに手を出しづらい。だから毎月飲み続けるならば低価格の方がいいはずだ。低価格路線のファンケルが売れ続けるのは、そこにも原因があるのだろう。

■食事を楽しむのが基本

 重ねていうがサプリメントは食品である。したがってカプセルに入っていたり錠剤だったりと薬に似ているが実際には食物に由来するのだ。端的にいえば食べているのとある一点を除いて同じである。
 例えば食物のマグロの眼球裏に多く入っていて、摂取すると頭が良くなると話題になったDHAや、カニの殻から取られた脂肪が気になる人にはおすすめのキトサンなど、食材で摂りたくても一度には摂りづらい栄養素や、眼球疲労に効果的とされているブルーベリー、トマトに多く含まれるリコピンなど食材でも手軽に摂れる栄養素などさまざまあり、TPOに合わせてセレクトできるのである。他にもビタミンやカルシウムなど身近な栄養素も含めて一口にサプリメントと言っても種類は豊富だ。その意味でサプリメントは食べる暇もない忙しい現代人にとって救世主のような存在といえなくもない。
 ただしサプリメントでは栄養は満たされるが腹は満たされない。これが先に述べた「一点を除いて」の一点である。現状ではサプリメントだけで生きている人はほとんどいない。
 今では原点である食事こそ大切にしようという運動が起こっている。「スローフード運動」だ。これは「消化が遅い食べ物」という意味ではなく「ゆっくりと食事をする」ということで、ゆっくり食べる楽しさを再認識しよという、食生活・食文化を大切にするイタリアから始まった運動である。
 スローフードが浸透し当たり前になったら、家族で食事を囲むという文化も復活する。そうすればバランスのとれた食事をとることも可能だ。
 そのためには浸透させられるだけの土台作りが必要になってくる。農林水産省が厚生労働省、文部科学省と共に策定した「食生活指針」に「食事を楽しみましょう」という項目を作っているのだから、具体的に動き出してもよいのではないだろうか。
 そうすれば生活習慣病も減り、団らんがキレる子供を減らす一石二鳥である。
 サプリメントが売れるということは、現代人の食生活、食事に対する考え方が希薄になってきていることを示している。ついにサプリメントで全ての栄養を摂っている人も出てきたくらいだ。この先さらに希薄さが増していったら、栄養補助食品から、サプリメントが食事の主となる日が来るのだろうか。
 もう一つ問題がある。数年前にゴージャス姉妹で有名な叶姉妹が出演したダイエット用サプリメントのCMがあったが、痩身を目的としたサプリメントである。
 ドラッグストアへ行くと、栄養系と同じくらいダイエット目的のサプリメントが売られているのを目にすることが多いはずだ。女性のやせ信仰は「健康意識の高まり」とは全然異なる。これがなくならないかぎりこれまた「健康」とは無縁のダイエット系サプリメントは売れ続けるだろう。(■了)

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なんでタバコがやめられないんですか?

●月刊「記録」2004年6月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部


 喫煙者には世知辛い世の中になってきた。タバコを嫌う嫌煙家と呼ばれる人々や、非喫煙者が増え、喫煙者を端へと追いやろうと、いや、現に追いやり作戦が実行中である。
 日本たばこ産業(JT)が昨年8月に行った「喫煙者率」調査によると、男性48.3%、女性13.6%と全体で50%を超えていない。一時期言われていた女性の喫煙者率増加も、この数字を見る限りでは信憑性にかける。
 さらにJT広報は、「60歳を超えると、タバコを吸う本数が減りますね」と話していた。
 日本はこれからますます高齢化が進んでいく。何をせずとも喫煙者は減っていくのだ。
 しかしそんな状況でも政府は、2003年5月に『健康増進法』施行した。この法は、2000年に現在の厚生労働省が国民の健康作り運動として発案した「健康日本21」の中核としてつくられたものである。
 第25条に「受動喫煙の防止」というのがあり、「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない」と定められている。
 最近は飲食店でも全面禁煙の店や、禁煙席が増えるなど、非喫煙者に優しい環境になってきている。
 さらに東京・千代田区では「生活環境条例」というものができ、路上喫煙が禁止となった。違反すれば2000円の過料を取られる。今年3月までの違反者は約8000人にのぼったという。
 過料の支払い方は2種類あって、その場で2000円を支払う場合と後日納付する方法である。
 なぜ二通りがあるのか、同区環境土木部生活環境課に問い合わせてみたところ、「その場で払う方もいますが、持ち合わせがない方や後日支払うという人には納付書を渡しています」との回答だった。
 ちなみに現金で支払った場合、「領収書もその場で出しますし、おつりもきちんと持ち歩いています」とのことなので、5000円、1万円しか持っていなくても支払うことが可能。とても良心的である。
 それにしても単純に計算しても8000人×2000円で1600万円もの収入になる。行政としてはかなりいい財源である。
 そんなふうに、喫煙者には肩身の狭い世の中になってきが、それでもどうしてタバコを吸うのだろうか。喫煙者にアンケートをしてみた。
 まずタバコを止めようと思ったことがあるかを聞いてみたところ、21人中11人。女性よりも圧倒的に男性のが多かった。
 その理由として、「金銭面でやめようと思ったことはある」(21歳・男)「タバコ代がかさむから。しかし、社会人になったらそんな気はなくなった」(24歳・男)と、金銭面の理由。
 2003年7月からたばこ税が増税され、喫煙者のタバコの負担額が増した。一箱の値段の平均は約280円。一日一箱消費するとして、一ヶ月だと280円×30日で8400円。一日一箱だからこれだけで済むが、ヘビースモーカーになっていくとそれは倍々になる恐れがある。
 文字通り「煙となって消えていく」商品が一箱280円なのか。JTによると、税負担率が6割にものぼる、日本で最も負担率が重い商品の一つなのだそうである。消費税は5円だが、270円のタバコの場合、税は170円ほどになる。タバコを買うというよりも、自動販売機を通して国に納税しているようなものである。ちなみに、14年度のたばこ税は総額で8441億100万円。
 タバコの消費本数は、2003年は全国で2994億本。1999年の3320億本から確実に100億本(5億箱)ずつ減少していっている。1本や2本どころの騒ぎではないのだ。億単位で減少しているのである。
 たばこ税の問題だけでなく高齢化も含めたうえでの減少でもあるから一概には言えないが、確実に税収は減っていっているはずだ。
 そのことをどう思うのかと財務省の担当者に尋ねると、「毎年税制改革をしているので、その時々に応じて赤字国債で補填するか、他の税で負担することになります」
 どのみち税金なので、喫煙者が減ると非喫煙者につけは回ってくるというわけだ。
 ちなみにタバコをやめようと思ったもう1つの理由は、「ダイビングの大会に影響が出るから」(36歳・男)「太るために」(28歳・男)と身体面での理由だった。
 また、やめようと思ったことのあるなしに関わらず次のような回答もあった。
「風邪をひいて、しばらくタバコをやめた」(28歳・男)「妊娠したときはつわりでやめられた」(22歳・女)
 やめようと思ったときに取った行動や方法は、「灰皿を割った。アメをなめて代用した。タバコを挟んでいるつもりで、吸うマネをした」(23歳・男)、「ライターを捨てた」(23歳・男)「意志の力で」(28歳・男)「彼氏への愛でひたすら我慢」(21歳・女)などさまざまだ。意外と喫煙者は試行錯誤しているのである
 効果的な禁煙の方法はたくさんあり、「ニコチンパッチ」という体に貼る湿布薬のようなものがある。それで禁煙が成功した女性によると、就寝前に貼って寝たら、朝から吸わなくても大丈夫だったそうで、貼ってから2週間(かなり早い)でタバコを吸わなくてもよくなったそうだ。治療期間はだいたい1~2ヶ月程度で、総費用は2~3万円。医療機関で処方してもらえるらしい。
 禁煙に関する書籍も山のように出ており、「ノー、タバコ」に向かっているのに、なぜタバコがやめられないのか単刀直入に聞いてみた。
「タバコは生活の一部になっているため特に意識していないです」(21歳・男)「今は必要性が見当たらないから」(36歳・男)「理由がわかればやめているが、好きだから」(24歳・男)「朝の一服、昼の一服がおいしいから。赤ちゃんのおしゃぶりみたいな感じで、ないと落ち着かない」(25歳・男)「口寂しい。落ち着かない」(23歳・男)「吸ってると気分が安らぐから」(20歳・男)「気がついたら吸ってるからかな」(23歳・男)「暇な時間が増えるとつい吸ってしまう」(21歳・男)「イライラすると手が伸びる」(21歳・男)「やめる理由がないから。今やめたいとは思ってない」(28歳・男)「仕事以外での余計なストレスをためたくないから」(28歳・男)「根性がないから」(32歳・男)「体がニコチンを欲しているから」(22歳・女)「生活の一部となっているから、ないとさみしい」(22歳・女)「止める必要がない」(22歳・女)「止めようと思ったことがない」(22歳・女)「やっぱり落ち着くし、タバコうまいもん! 食事後のタバコの味覚えたら止められまへん」(21歳・女)「止める気がない」(25歳・女)。
 まとめると「やめる理由もないし、必要もない。タバコ吸うと落ち着くんだよね」ということだ。
 やめられた人には明確な理由があったからやめられたのであって、やめられない人はさしあたってやめる理由がないからやめられないのである。
 さらに、今回アンケートに協力してくれた方々は、一様にタバコが好きなのである。
 「好きだから」「ないとさみしい」「必要性がない」など、理由としてはかなり甘いが、彼らにとって“タバコに火を付けてを吸う”という行為は、トイレに行く、ご飯を食べると同じことで、日常生活の一部となっている。
 だから理由としては明確ではなく、あいまいになるのではないだろうか。直接口頭で「なんでタバコをやめられないの?」という質問を投げかけたところ、ほとんどの人が一瞬考え込んだ。
 トイレに行くことも、ご飯を食べることも、どうして? と聞かれれば答えられるが、普段は考えない。タバコも同じライン上にあるのだ。だから一瞬考え込んだのだろう。
 健康増進法が施行され、灰皿の数が減ったり、禁煙席が増えたりと、嫌煙家や非喫煙者にはとても過ごしやすい環境になってきたが、はたしてそれが問題解決の糸口になるのだろうか。
 現状を見る限りでは、タバコの存在を疎むというより、喫煙者を疎んでいる傾向のが強い。
 禁煙を促したり、過ごしにくい環境を作ることは方法の一つとしてありだが、結局のところタバコ自体が存在する限り喫煙者がいなくなることはないのではないか。 タバコがあるから喫煙者は吸うのである。お腹がすいたら食べる。それは食べるものがあるから食べるのであって、なければ我慢する。
 ここで気になるのは、やはりタバコ税の問題だ。あれだけの税収を、国や地方自治体は手放せるのだろうか。げんに喫煙者の減少は、赤字国債の発行を招いていると財務省の担当者は認めている。事実、国や地方自治体は分煙を推進こそすれ、禁煙を推し進めてはいないのではないか。
 しかも財務省担当者は、「どうしてたばこに税をかけるのか」というこちらの問いに、「タバコは嗜好性が強いものだから、価格が変わったとしても個人の消費量はかわりません」と答えているのだ。つまり単刀直入に言い換えれば、「ニコチン中毒から搾り取るのが楽だから高い税金を掛けているんですよ」ってことになる。
 健康に害があることもあきらかで、大麻よりも中毒性の高いとも言われるタバコを、税収入のために勧めているなら大きな問題だろう。
 さらにうがった見方をするなら、病人が増えれば医者が儲かり、自民党を支える医師会がほくそ笑む図式も見える。こうした構図をうまく隠すしているのが、喫煙者と非喫煙者との戦いだ。
 そろそろ非喫煙者も本当の敵に目を向けるべきだろう。(■了)

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妻の恋・材は自らの経験から始まった/

■月刊「記録」2004年5月号掲載記事

 1997年3月、東京電力に勤める女性が殺害された。その後、被害者女性が昼は経済アナリストとして活躍する一方、夜な夜な売春を繰り返したいたとしてマスコミで大きく報道された。
 その事件から4年半ほど過ぎ、ノンフィクション作家の佐野眞一氏は、『東電OL症候群』という本を出版している。作品を支える柱の1つが、売春婦に身をやつした被害者女性の生き様に共感する一般女性の姿だった。会社勤めという枠組みを維持しつつ、売春婦として「堕ちていきたい」という気持ち。そうした暗い願望は、社会のひずみと深い関連性を持つと、著者は説いた。
 佐野氏が殺人事件から女性の心と社会に宿る闇に迫っていたのとほぼ同時期、私は女性の暗い願望にただただ困惑していた。
 きっかけは合コンで既婚女性と知り合い、3ヶ月ばかり付きあったことだった。元モデルで、経営者の夫を持ち、有り余る金と時間に恵まれた専業主婦の彼女は、何不自由ない暮らしをしていた。夫婦仲も悪くなく、年に数回、豪勢な海外旅行に2人で出かけてもいた。
 わからなかったのは、どうして彼女が私と浮気をしたのかだ。
 彼女の生活基盤は、夫が握っている。浮気が夫の知るところとなれば、豊かな生活など吹き飛んでしまうだろう。それでも彼女が、私にほれていたのなら納得できる。しかし彼女は、さして私のことを好きではなかった。妙な確信だが、それだけは自信がある。もちろん、よく男性誌に取りあげられるように、性欲の解消役として私が選ばれたわけでもない。
 それなのに、どうして危険な橋を渡ろうとするのか。答が知りたくて、彼女にさまざまな形で質問を繰り返した。よくしゃべる女性だったこともあり、言葉は山のように溢れた。しかし核心には一向に近づかず、そのうち彼女はプッツリと姿を消した。
 残ったのは、解決しなかった疑問と、生活そのものを彼女自身が壊しかったのではないかという疑念だった。

■立ち現れる暗い願望

 そこから、この本の取材が始まった。
 友人・知人から恋愛している既婚者を紹介してもらい、ひたすら話を聞く。編集部に集う人からは楽しそうな取材だと羨ましがられたが、私にとってラクな取材ではなかった。彼女たちの恋愛を突きつめていくほどに、希望の見えない、暗い願望が立ち現れてくるからである。
 取材対象者は、好きでもない相手を恋人として選んでいる女性が少なくない。妻や恋人としての扱いを受けていないせいもあるのだろう。相手の男性からアブノーマルな性行為を求められ、受け入れている女性も少なからずいた。カップル喫茶や公園での乱交、SMなどなど。本に書かなかった事柄もある。
 もちろんちまたでいわれているように、恋愛で女としての魅力を確かめたい、との思いを口にする女性も多かった。しかし、それなりの人生経験を積んできた既婚女性は、体を預けることで、ほとんどの男性がメロメロになることを知っている。彼女の魅力を褒めちりもするし、食事だってご馳走してくれるのだ。
 またインターネットの世界では、男女比率が極端に違うため、女性の恋人募集に信じられないほどの申し込みが殺到する現実にも気づく。つまり女性としての魅力を確かめようと構えた時点で、その欲求は満たされてしまう。好きでもない相手と何度も浮気を繰り返す必要さえない。むしろ「女性としての魅力を確かめる」という言葉から見えてきたのは、女性としての魅力を常に確認したくなる彼女たちの不安定な心持ちだった。
 取材当時、よく思い出していたのは、97年から4年余り続けてきたホームレスへの取材である。
 失業し、住む場所をなくしたホームレス。彼らがホームレスになった直接の原因は不況だ。しかし彼の人生を聞き込んでいくと、「堕ちるに任せた時間」があることに気づかされる。
 ホームレスになりたい人など、ほとんどいない。実際の生活が非常に厳しいからだ。にもかかわらず住居を失う危機が迫ってきたとき、その状況に抗おうとする人は少ない。ある者はあきらめ、ある人は親族の死などによって努力する気力すらなく傍観する。
 容易ならざる事態だと気づいたときには、這い上がる道はほとんど残されていない。そして堕ちるに任せた時間を、段ボールハウスなどで悔やむのである。
 私が取材した既婚女性の多くは、浮気が夫に知られることで自身の生活が立ち行かなくなることはわかっていた。それでも、さして面白くもない恋愛を続けようとするのは、『東電OL症候群』紹介された「堕ちたい」女性の想いとも、ホームレスの「堕ちるに任せた時間」とも重なりあるように感じた。

■誰も耳を傾けない彼女たちの不満

「男の人に対しては何も期待してないの、私」と語った女性は、幾人かと浮気をした後、女性とも関係を結び、さらに浮気相手と夫、どちらが父親かわからない赤ちゃんを出産した。
 出産を経験したことで、夫を「男」と感じられなくなった女性は、子どもを実家に預けて、元彼とカップル喫茶で乱交をしていた。
 どちらの女性も穏やかで素敵な女性だ。私が夫でも、浮気など疑わないだろう。まして、そんな激しい行動など、予想することさえ難しい。少なくとも彼女たちの話からは、良き妻であり、良き母親であることに疑問を差し挟む余地さえなかった。
 間違えもらっては困るのだが、彼女たちの道徳観念をどうこう言うつもりなどない。私自身、言える立場にはいない。ただ、こうした出来事が、それなりの頻度で起こる現実に驚き、そして彼女たちをそこまで追い詰めた社会に思いを馳せてしまう。
 取材に応じてくれた女性が、楽しそうに自分の恋愛を語ってくれたら、どんなにかラクだったろう。またカップル喫茶などでの体験を、心から楽しんでいたと話してくれたら、取材を続けようとも思わなかったはずだ。
 過激な性行動や幾人もの「彼氏」は、既婚女性が直面するツライ現実と密接な関係がある。しかし会社に忙しい夫は、そのような妻の現実に付きあう時間さえない。子どもを介した地域社会は、恋人がいるという話題自体がタブーとなる。逆に恋人を探す「悪友」とは、家庭で何がツライかなど真剣には話しにくい。彼氏を見つけることはただの「遊び」であり、深刻な問題ではないというスタンスが、「悪友」との関係に必要だからだ。
 そして彼女たちの満たされない心は、誰にも聞かれることなく取り残される。
 じつは取材開始から2年半、私は記事をまとめることが全くできなかった。それは、彼女たちの真実の声を聞けていないのではないかという不安が拭えなかったからだ。社会人経験もある30前後の既婚女性は、こちらが求める内容を、自身の経験からわかりやすく話してくれる。過激な性も、夫への不満や愛情も。ただ本当に感じている不安については、なかなか口にしてくれない。だから話し合える関係を築くのにも時間が必要だった。
 では、それだけの時間をかけて、彼女たちの思いを伝えられたかと問われると、とても100%とは言い切れない。男だからなのか、単に私がニブイからなのか、彼女たちの苦しみにしっかりと共感するのは難しかった。書き終わり、出版を待つ現在でも、どこかやり残した感が残っている。
 だからこそ読者のリアクションから共感への足がかりをつかみたい。(■了)

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